3-18:歪みの生きもの
本日二話目です。
何かはゆっくりと歩き出した。
あ、ぁ、と濁った音を出しながら手を前に出して一歩一歩踏み出してくる。
黒いヘドロのような体は常に生まれそして腐り、床にぼたぼたと肉片が落ちる。じゅわ、と音を立ててそれが燃え、悪臭を放つ。ダンジョンの床が溶けるのは初めて見た。
「歪みの生きものとはなんだ」
ラングは視線をそれに置いたまま問うた。シェイは顔色を変えずに答えた。
「ダンジョンが人を食うのは知っているか」
「あぁ」
「その結果の一つだ。妬み、嫉妬、憎悪、郷愁、思慕、戻りたいと願う心、そういったモノがあぁしてダンジョンの力を借りて形になる」
「そうなると、どうなる」
「人の願いって奴は積み重なればとんでもない力になる。あいつがあの大きさの内に来れたのは運が良かった」
「質問に答えろ」
「簡単な話だ」
何かはぶるぶると震え頭を押さえ込んだあと、息を吸った。
「世界に恨みをぶつけだすのさ」
シェイの言葉と、何かが産声を上げたのは同時だった。
耳を劈く雄叫びは悲鳴とも絶叫とも断末魔の咆哮とも言えた。
ザッと全員が武器を構える。
「来るぞ、構えろ!」
「倒し方は!」
「鬱憤晴らしに付き合ってやればいずれ消える」
「消耗戦かよ!」
よたよた、たった、ダダダ、と徐々に足の慣れる赤子のようにそれは向かってきた。最終的には凄まじい速さで突進をしてきたので全員が道を空けた。
ぐちゃりと生々しい音を立てて扉にぶつかり、一度崩れ落ちた。扉がじゅわぁと溶けていき先ほど一掃したはずの魔獣たちが向こうでリポップしているのが見える。
アルはさーっと血の気が引いた。扉が全て溶けて消えればおかしくなっているダンジョンのことだ、この部屋にも大量の魔獣が入りかねない。
「おい不味い、というかダンジョンが壊れるぞあいつの体!」
「言っただろ、世界に恨みをぶつけだすって」
「こいつをダンジョンから出したら不味いってのはよくわかった! それで、どう鬱憤を晴らすのに付き合えばいい!?」
「ダンジョンは理の中の生き物だ」
「なぁ回りくどいんだけど!」
「魔法か」
ラングが言い、武器を仕舞う。
シェイは肩を竦めてまた前に出た。
「そうだ、理には魔導、魔導には理。話が早くて良い」
ついと差し出された左手が、指先が、何かを払うように動いた。
歪みの生きものはぐるりと丸い障壁に包まれ檻に囚われた子供のように暴れ出した。飛び散るどろどろの肉片は障壁の中で蒸発し、煙を立て、叩く腕は障壁に触れればまた抉れていく。
―― か えり た い
声が響いたのはその時だった。
歪みの生きものの眼らしい部分からどろりどろりと何かが零れる。
―― かえり たい
―― どうし て
―― じゆう に やりた い
―― な んで じゃま するの
「全てという訳ではないが、これは【渡り人】の心の声の一部、というわけだ」
シェイが吐き捨て、全員が何とも言えない顔で球体の障壁内を眺めていた。
ここにいるメンバーの中で【渡り人】はラングだけだが、歪みの生きものの嘆きを理解できなかった。
ラング自身も帰りたいという想いは理解できるが、その後に続いた自由にやりたい、という部分には眉を顰めた。その土地、その場所の規則やルールを守る冒険者だからこそ、自由が自己責任でこそ許されたものだと知っている。
他者を侵し排し自らのみが好き勝手にすることを自由というならば、それは他者から侵し排し害されることを覚悟しなくてはならない。
いつでも死にますの証である冒険者証は、そうした覚悟を持って焼き印と共に与えられる。
我儘な子供のように魔法障壁を叩き続けるそれが、このダンジョンを占拠した【渡り人】たちの願いなのだとすれば。
「…相容れないだろうな」
今ここで前を見て地に足をつけ生きようとする者と、かつての栄光を捨てられず同じものを求めて生きる者。
現実を受け止めて生きる者と、理想を追い求めて生きる者。
重なるところよりも平行線が多いだろうことは想像に容易い。
ラングは左手を向け続けるシェイへ尋ねた。
「あの生き物はよく出るのか?」
「いや、数年に一体出るか出ないかだ。出たとしても何人かの冒険者を犠牲に、討ち取られる。報酬も何もない、ただただ迷惑な存在だ。そもそもあいつがぼやいてる願いを胸に抱く【渡り人】が大量に入らなければ発生しないしな。負のエネルギーだってダンジョンでは上手く消化されるように出来ているのさ」
「何故それを知っている」
あまりに詳しいシェイにそう問えば、金色の眼がラングを見た。
「師匠に教わった」
端的に言う言葉だが真実なのだろう。少しの揺らぎもない瞳は、左目が一瞬不思議な色合いに変わった気がした。ついと視線がまた球体に戻る。
「こいつが出たらとことん殺すしかない。魔導士を頼れ」
「覚えておこう」
一時間も暴れたところで歪みの生きものはぶつぶつと何かを言いながら球体の中で灰になって崩れ落ちた。
崩れ落ちた灰すらも消えて球体が空になってから、シェイは障壁をぱちんと割った。
「でさ、これ、踏破ってどうなるんだ?」
アッシュが頭の後ろで腕を組んで首を傾げ、クルドが腕を組む。
「あいつはボスじゃないんだろ?」
「そうだな」
「リポップさせるためには一度ここを出る必要があるんだっけ?」
「そうだな」
「っていうと…え、どこに? 戻れないだろ? 出るための魔法陣ないぞ?」
「帰還石で一度出て、四十六階層のやり直しだろう」
ラングの言葉に、ちらっと半分溶けている扉の方を見遣る。
ぎゅうぎゅうとお互いを潰し合いながら犇めく魔獣を見て、各々が顔を覆う。げんなりとした声でアルが呟いた。
「あれまた蹴散らすのか…」
――― 大人しく帰還するを唱え、一日外でキャンプをした後、魔獣であふれ返った四十六階層を再度駆け抜けることになった。
方針が決まり外に出た際、吊るしておいた【渡り人】たちはいろいろ酷いことになっていたので助けてやった。交代で誰か来るだろうと放置していたのだが、どうやら魔獣暴走が起こるまでこの二名で監視をする手筈だったようだ。
空腹と服の汚れとで憔悴した二人は、放置された時間が余程応えたのか実行犯である一行に対しても随分素直になっていた。
替えの服を恵んでやり、温かい食事を与えてやれば大の大人が情けない嗚咽を漏らして鼻水を垂らして食事を平らげた。
二人は自分たちが見捨てられていたことをようやく知ったのだという。
「スタンピードが起きたら逃げてこいと言われていたんだ、何かあればすぐに助けに向かうからと」
「足が速い奴にしか任せられない、少し離れたところに仲間もいるからと言われた」
縛り上げられた後、すぐに助けが来ると高を括っていた。だが待てど暮らせど助けは来ない。ぎりぎりに釣られた足は地面を掻くのも難しく、肩は痛み筋が伸び、いつの間にか気絶をしたり粗相したりと尊厳は失われた。
ヴァンは人好きのする顔で大変だったね、と労い、二人の心の隙間に上手に入り込んだ。まるで救いの手と言わんばかりに感謝を告げる二人に、やれと言った張本人だぞ、とアルは胸中で合掌した。
そこからゆっくりと聞きだした渡り人の街の話は興味深かった。
渡り人の街ではスキルで幾人かの代表が決まり、スキルで立場が変わるという。
どういうスキルが重宝されるのかと問えば、鑑定などの他者を見れる能力や、単純に強さによるらしい。つまり戦力になるか、役に立つかで決まるのだ。そうでない者たちはスキルを活かして商売をしたり、そこで勤め人になったりするという。現在ではギルドの拡張に力を入れているため、スキルに恵まれていない者たちはそこで雑務に従事したりしているそうだ。
今回出会ったミゲルとハンは足が速くなるスキルと隠れるためのスキルを持っているという。そうして魔獣暴走から逃れるはずだった。
「まさか誰も助けに来ないとは思わなくて」
「だからあいつら信用ならないって言ったんだ!」
しょぼくれるミゲルにハンが声を荒らげ、アッシュが宥めた。
二人はダイガクで友人だったらしく、ここに来たのも同時、元々はイーグリスに流れ着いていたのだ。
丁度渡り人の街の建設が始まった頃で、冒険者として職を得ていない時分、取り急ぎの仕事と寝食を得るために従事したところ、そのまま取り込まれた。
ハンはイーグリスに戻りたかったが気の弱いミゲルが同郷の者に捕まってずるずると残ってしまったという。
「今回、俺たちそのまま処分されるところだったんじゃないか」
ハンの言葉はある意味の真実だが、ミゲルには受け入れ難い事実だったようで、その後ミゲルは黙りこんでしまった。
ヴァンはさらさらと手紙を書いてハンに差し出した。
「イーグリスの門兵にこれを、君たちの保護を願い出る文書だ。これがあれば悪いようにはならないと思う」
「悪い、ありがとう…。すまなかったな、最初あんな態度で」
「お互い様さ、僕らも君たちに手酷いことをした。事情もわかったし。出来るだけ渡り人の街の話を伝えてあげてほしい」
「あぁ、もちろんだ」
一晩を共に過ごし、彼らの姿が紫の森に消えていったところで、ヴァンはさて、と伸びをした。
「止めに行こうか、魔獣暴走」
かなりの速さで四十六階層まで到達しておいたから出来たことだ。これで悠々構えていたならば様々な被害があったかもしれない。
一行はシェイが思い出したかのように風魔法で通路を蹂躙するまで、再び魔獣を狩り潰した。
ボス部屋は前回とは違い、きちんとボスがいた。
溶けた扉から中を覗き込めば、事前に調べていた影獣ではなく雷を纏ったドラゴンだった。ラングにとっては二体目のドラゴンだ。
ピシャン、とドラゴンから発せられた雷が地面にぶつかって弾けた。ヴァンが目を輝かせた。
「僕、ダンジョンでドラゴンに会うのは初めてだ」
「この大陸では少ないのか?」
「そうだね、今のところ出現したって聞いたのはスカイの東側にある沼地のダンジョンかな。あそこはたまに狩られてるみたい。そもそも外にはこういうドラゴンいないしね」
「伝達竜などは違うのか?」
「あれは魔獣というよりは人の友だからね」
「【渡り人】連中はダンジョン外にドラゴンやグリフォンとかの大型種がいないことも不満らしい」
雷をひょいひょいと避けながら雑談をしていたヴァンとラングにラダンが混ざる。
「そんなのが外にいたら、あちこちで被害があるっていうのに」
クルドが呆れたように言い、アッシュがその横で変な声を上げながら雷を避けた。
「あいつら、自分が英雄になるためなら被害に遭う人がいてもどうでもいいんだ。で、どうする?」
アッシュが言い、短剣を手の中で回す。
ドラゴンが咆哮を上げれば床をバリバリと雷撃が走る。それに触れれば良くないだろうことはわかる。
遠距離から攻めるのならば、やはりシェイの魔法が有効だ。
グレンの背に庇われたレウィルがひょっこりと顔を出した。
「ドラゴンの心臓、ってドロップしますかね?」
「なんだと?」
「伝説なんですよ、ドラゴンの心臓。万能薬であり長寿の象徴。何かに使いたいという訳ではなく、一度お目見えしてみたいんですよねぇ、ひゃぁっ」
「とぼけたことを言っているな、そのような場合か」
グレンに押しやられレウィルの頭が引っ込む。眼前に突きたてた剣が避雷針になり何度目かの雷撃がぶつかる。芯が燃え尽きず、刃が焼けずに残っているのでグレンの剣もダンジョンドロップ品なのだろうか。
「あのびりびりとしたものの正体がわからん」
「かみなり、雷撃、触れれば痺れ、高温で焼ける。場合により一瞬で黒焦げだ」
「ッチ、全く、この世界は剣だけでどうにかなるものが少ないな」
シェイの説明に舌打ちをしてラングは双剣をひゅんと振った。
一度戦っているファイアドラゴンを思い出し、すーはーすーはーと呼吸をいれる。
「アル、逆側から回り込んでくれ」
「うん? 了解」
ドラゴンの視線を、僅かに感じるピリッとしたものを感覚で動き雷撃を避けつつ接敵。その避け方はふわりふわりとしており、一見するとふらついているようにも見える。
「シェイ、一応魔法を」
「いつでも撃てる」
「さて、何を見せてくれる?」
返事に頷き、ヴァンはラングを注視した。
ラングの動きにドラゴンの苛立ちが増すのがわかる。そちらへ首を向けようとしたところで、アルが槍を突き立てた。
鱗の薄い脇腹部分だ。
咆哮を上げてアルへ威嚇の顔を向けたドラゴンの首に向かってラングは剣を投げた。その軌跡をすぐさま追って、柄頭を靴底で蹴った。
鱗と鱗の隙間、そこへドシュッと音を立てて差し込まれた剣はドラゴンに顎を上げさせた。キュゥっと音がしたのは鋼線だ。己の剣に巻き付けてあったそれを手に、ドラゴンの首を回る。怒り狂ったドラゴンの殴打をわざと受けて跳べば、鋼線に引っ張られた剣が凄まじい速度で捻じれ、ドラゴンの首を掻っ切った。
「なるほど、考えたね」
首を抜けて飛んだ剣を鋼線で引き寄せ手に納める。
ドラゴンは血を垂れ流しバチバチと音を立てていたが、やがてどすんと倒れ込むと端から灰になっていった。
ドラゴンの後には宝箱と鱗などの素材。
剣を腰に納めながらラングは振り返った。
「素材は討伐者のもの、だったな」
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