3-14:シグレの方針
二話目です。
シグレとの対談は執務室で行われた。
部屋は広く、正面に焦げ茶色の光沢のある執務机、その前には対面型のソファとテーブル。代々の統治者が使ってきたのだろう、傷や凹み、中には明らかに剣戟の跡があった。ここだけでいくつもの出来事を語れる気がした。
壁を覆いつくすように本棚があり、様々な本と書類が収まっている。そこを見れば改めてスカイの製本技術を知ることが出来た。
カイラスの案内で通された執務室ではシグレが忙しくなくペンを走らせていた。インクペンではなく、延々と書き続けることのできるものだ。構造が気になったので聞けば、筒に納められたインクが降りてくる仕組みなのだとか。ペン先のカリカリいう音はそのままに、インク壺に浸す手間がないのは好ましい。イーグリスの街で買えると聞いたので今度探すことにした。
執務室を見渡すのもそこそこにラングはソファに深く腰掛け、カイラスがまた紅茶と茶菓子を用意してシグレの横に立ち、対談の場は整った。
今回はアルもいない。
「お待たせして申し訳ない、イーグリスの見学はどうだ?」
「なかなか面白い街だ、食事が美味いな」
「よかった、イーグリスの食事は皆の自慢なのだよ」
ほっと嬉しそうに笑い、シグレはぎしりと椅子を鳴らした。
「それで、話とはなんだろうか」
「単刀直入に聞くが、いつどのタイミングで反乱を起こさせるつもりだ?」
つ、と細められた目は何かを読み取ろうとしていた。
「何故そう思う?」
「最初は渡り人の街に対しての方針を聞こうと思っていた。アルが解決まで残る気持ちでいるのでな。だが、昨日とある人物からの依頼もあって少し考え直した」
「ほう、どなただろうか」
「フィルと名乗る人物だ。紫壁のダンジョンを十人で踏破してほしいと依頼を受けた」
名を聞き、シグレは目を瞑ってから深く息を吐いた。それでも言葉はないようなのでラングが続けた。
「紫壁のダンジョンは今、【渡り人】に占拠されているそうだな」
「…おおよそ、貴殿に情報が流れた元が分かった気がするよ。声を掛けておいたから、とは、なんのことかと思ったが…」
「隠し立てはしないのか」
「事実を隠してどうなるというのだ、知っているならば巻き込んだほうが早い」
「確かに」
シグレは執務机から立つとラングの正面に座り直した。カイラスが紅茶と茶菓子を運び直すのを横目に見ながら本題を切り出す。
「紫壁のダンジョンは魔石が多くとれるダンジョンだ。様々な資源に関わってくるので渡り人の街が確保するのも理にかなっている。しかしながら魔獣暴走の道具にされるのは困るのだ」
「そうだろうな。イーグリスの東に位置すると聞いた、魔獣の種類は知らないがそちらの対処に力を割いているうちに、と考えたのだろう」
「同じ推察をしている」
今日の紅茶は柔らかい味だった。今のところ、ラングは最初に飲んだ薫香を感じる紅茶が好みだ。
「ゆえに、こちらも魔獣暴走を返した」
灰色の瞳は冷たく暗い色をしてラングを見た。その視線に紅茶を置いて顔を上げる。
「どこを攻めた」
「北西に位置する黄壁のダンジョンを。こちらは小麦などの穀物食材が取れるのだが、復活するまでの間の食糧は常に確保している。私たちは栽培も行っているのでそれこそ売れるほどにな」
「奴らがその対処に当たっている間に、崩していくと言ったところか」
「如何にも」
「魔獣暴走には十人以上のメンバーが必要だが、手筈は整っているのか」
「既に種は撒いてある。黄壁のダンジョンは最下層が五十ほど、深いは深いが、転移石を持つ者や知っている者ならばそう難しくはない。ただ、決まった人数で踏破しなくてはならない規則性を知らない彼らがすぐに魔獣暴走を止められるとは思えない。
こちら側の手の者は、入りは別で中で合流し、各階層十三人攻略を行った。それを二十五階層まで繰り返してきたと報告を受けている。
黄壁のダンジョンが魔獣暴走するまでに恐らくあと二十日ほど、魔獣暴走の期間は凡そ三、四か月と言ったところか」
ラングは得心がいった。
「なるほど、だから軍は年明けにならねば来ないのだな?」
「そこまで聞いているのか、そのとおりだ。イーグリスの街に被害が及ぶ範囲は我々で抑えるが、他の街々に行ってしまうものは狩らねばならない。そのための防波堤に軍が派兵されることになっている。今頃は冒険者の風体であちこちに居るだろう」
「奴ら、紫壁のダンジョンでいつ魔獣暴走を起こす予定だ?」
「占有され、今は魔石を集めているそうだからな。ある程度の資材を貯めてからの過剰人数攻略になると見込んでいる。近日中に過剰人数攻略はされると思うが、そこから魔獣暴走は早くて二十日ほど。それが起こる前に最下層を十人攻略すれば防げる」
「ふむ」
水面下でしっかりと対策を考え、国との連携も出来ている。
魔獣暴走対策という名目であれば軍も協力することが出来、尚且つ、直接手を汚さずに渡り人の街を消耗させることも出来る。
ラングは明確に、これは戦争なのだと理解した。
「お前の方針では渡り人の街を潰すのだな?」
「潰すなど勿体ないことはしないさ。何せ我が家の投資とイーグリスの街の税が注ぎ込まれて出来た街なのだから」
シグレは穏やかな笑みを浮かべた。
「ただ、まぁ、魔獣暴走に力を削がれ、紫壁のダンジョンも踏破されたとなれば、自暴自棄になって暴動という名の反乱を起こすだろう。そうなれば犯罪奴隷として押さえることが出来る」
「起きなければ?」
「歩み寄るさ、私にも【渡り人】の血が入っているのだからな。他のイーグリスの民とて同じだ、同じ故郷の者同士で争うことは本意ではない」
浮かべた苦笑がアルと似ており、ラングは小さく息を吐く。
犯罪奴隷に落としたとしても、アギリットから聞いた話では懲役労働者として扱うのだろう。ダンジョンに行くことを禁じられ、畑を耕すのかもしれない。家畜の世話をするのかもしれない。魔力を収めるのかもしれない。加工品の職に就くのかもしれない。なんにせよ、【渡り人】たちはやりたいことをやりたいようにやる自由を奪われるのだ。良い仕置きになるだろうと想像できる。
「全て向こうの出方次第というわけか」
「そのとおり」
すまなかった、手を取り合いたいと言える度量をどれほどの人間が持っているだろうか。頭を下げることは敗北を意味すると考える人もいるとラングは知っている。それが出来なかったために双剣に切り刻まれた者たちだっていた。命よりもプライドを取ったのだから仕方ない。
手を取り合うのならば最初からそうすればよかったものを、どういった理由で頑なになったのか、ラングにはわからなかった。
一応の方針と策を知れたので紅茶を飲み干す。真っすぐすぎるアルやツカサにはどこまで話せばいいか悩ましいが、嘘を吐くよりはマシだろう。
「時間を取らせたな」
「いや、こちらこそ。有意義な意見交換だった」
「紫壁のダンジョンは踏破するメンバーに入る気でいる」
「有難い、紫壁のダンジョンの情報は我が家にもあるが、冒険者ギルドでも得られる。気分転換を兼ねて好きな方で情報収集してくれ。時間が惜しければカイラスに声を掛ければいい」
「ご準備は整っております」
「アルと話して決めるとしよう。そうだ、応援の冒険者だがあと五日もすれば来るだろうとのことだ」
「承知した、部屋を今から用意させよう。パーティ名は?」
「【快晴の蒼】だそうだ」
「有名どころの金級冒険者パーティだな、有難い。足りない人数はこちらで補充をしようと思うが構わないか?」
「構わん、が、ヘクターは入れておいてくれ。もしかしたら【快晴の蒼】が引き連れてくる可能性もあるが」
「臨機応変に対応しよう、ありがとう」
ラングの退室を立ち上がって見送りながらシグレは微笑む。それを肩越しに見遣り、ラングは執務室を後にした。
向かった先は昨日フィルと会話した四阿だ。
風に乗って土や草花の香りが頬を撫でる。それを心地よく思いながら空を眺めた。
ラングとて戦争の経験がないわけではない。故郷の世界では玉座を巡って血で血を洗う諍いもあれば、まだ幼子の王子を手にかけようと暗躍する第二妃がいたり、貴族による粛清もあったりした。その度に我慢を強いられ迷惑を被るのは無辜の民だ。
その点、今回の戦争は見ている分には気が楽だ。
魔獣暴走の影響を最も受けるであろう民に被害がいかないよう、統治者と軍がきちんと連携している。
魔獣という機能を使って相手を攻めるやり方は、ここならではだろう。
アクアエリスは言った、人が増えすぎることを防ぐ、そのための循環手段としてダンジョンがあるのだと。人を燃料にする場所なのだと。
なるほど、ダンジョンも理の内だと言ったセルクスの言葉もようやく胸に落ちてきた。
「…真理など」
面倒なだけだ。
「ラング?」
ざくざくと重心のしっかりした足音はアルだ。
声を掛けられシールドの中で目を開き、視線だけをそちらへやる。目視は出来ないが視線そのものは感じたのだろう、アルはほっとした笑みを浮かべて四阿に入り腰掛けた。
「兄さんとの話は済んだのか」
「あぁ」
手に持っていた紙袋から肉串を差し出され、受け取る。タレ焼き鳥だ。
「何話してたんだ?」
「いくつかの確認と今後の方針だ。五日後にここに来る冒険者と共に、紫壁のダンジョンを踏破しに行く」
「俺たちだけじゃないのか」
「ダンジョンを停止させたいそうだ」
「あぁー、イーグリスのダンジョン、特殊だもんな…」
アルは規則性を知っているらしく焼き鳥を串からぐいっと抜きながら頷いた。
「なんかしら理由があるんだな、わかった。とりあえずその冒険者が来るまで自由時間で良いんだな?」
「そうなる。お前は紫壁のダンジョンに入った経験はあるか?」
「緑壁のダンジョンなら踏破してるけど、紫壁は旅のお供に美味しくないからいかなかった。ほら、俺の槍は緑壁のダンジョンで出たんだよ」
「ほう。食材に重点が置かれがちだが、武器防具やアイテム類も出るのか」
「そうだなぁ、調べる?」
「時間は出来た、そうするか」
話している間にあっという間に串だけになった紙袋を手に立ち上がった。
四阿から戻る途中、そわそわとアルへ視線を送るカイラスがいたが無視をした。腕に紙束や本を持っていたのでダンジョンのことをいろいろ伝えたかったのだろう。機嫌を損ねられても面倒なので、あとで資料だけもらうことにした。
だがまず初見は自分の足で、目で、耳で調査を行いたい。
カイラスの落ち込んだ犬のような背中を見ない振りをしてイーグリスの街へ繰り出した。
冒険者ギルドは賑わっていた。
見慣れた革鎧の防具を身に着ける者、デザイン重視の上着を羽織る者、武器は剣に杖に斧、弓に渡り人の街で女に向けられた筒状の物など様々だ。
筒状の武器は銃というらしく鉛玉が火薬で押し出されて飛ぶ仕組みらしい。近接を苦手とする冒険者たちが多く腰に下げているが、消費の多い武器で割には合わないものだ。
ラングは風通しの良い冒険者ギルドを見渡し、構造は向こうの大陸と似ていることを確認した。とはいえ、こちらの方が臭くはない。
「お待たせしました、どうぞ」
列に並んでしばらく、声がかかったのでスタッフの方へ行く。
いつも通り紫壁のダンジョンに行きたいこと、情報がほしいことを伝えればスタッフは青い顔をして声を潜めた。
「今は行かない方が良いです」
「いかねばならない。アル」
「はい、はい、大声出さないでくれよな」
身分証としてのペンダントをポーチから出してスタッフに見せれば、叫びそうになった口をぱしりと自分で押さえ、深呼吸してから外した。
「ご事情はご存じなのですね?」
「そうだ、行けと言われているので事前準備をしたい」
「であればお館へ情報はお届けしておりますが…」
「イーグリスに戻るのも久々だからさ、冒険者として調べたいんだ」
「なるほど、わかりました。であればそのお気持ちに応えてこそですね!」
女性はにっこりと笑い腕を捲るとどさりと分厚い冊子を取り出した。
「紫壁のダンジョンは踏破済みですから攻略本が出ています。こちらはギルド秘蔵の赤裸々情報が載っている物になります。ご確認いただければある程度の網羅は可能かと」
「借りても構わないか?」
「もちろんです!とはいえ、これも貴重品、読むのはあちらの青いテーブルのみ、持ち帰りは不可です」
「わかった」
ずしりと重い冊子をアルが持ち、二人で青いテーブルを目指そうとした背中に声がかかった。
「あの」
振り返れば女性は祈るように手を組んだ。
「…よろしくお願いします」
魔獣暴走を止めることなのか、それとも渡り人の街を止めることなのか、どちらかはわからないが頷いて返した。
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