3-9:イーグリスへ
本日最後の更新です。
四話目です。
ノルトンはアルの言葉を聞いても不審そうにして、信じてはくれなかった。
統治者に何かあれば自分の首も危ないと言い、食事の礼は既に返した、と立ち上がった。
そこでアルが見せたのは小さなペンダントだった。
首にかけたら落ちてしまう、と腰のポーチに入れてあったそれは、身分を証明出来る物だった。ノルトンは描かれた紋章を見ると素早く頭を垂れたのだ。
以前に喜々として鍵魔法をエレナにねだったのは、恐らくこのペンダントを入れていたからなのだ。落としたところで誰にも利用されないよう、考えたのだろう。
「やめてくれ、俺は責任を兄貴に押し付けただけなんだ」
謙遜ではなく心からそう思っての言葉だった。ラングはノルトンの腕を引いて無理矢理立たせ、首を僅かに傾げた。
「頼まれてくれるだろうか」
「あぁ、もちろんだ、もちろんです」
「あの男も証人として連れて行きたい」
「あっしもですかい!?」
シールドを向けられたヘクターはびくりと震えたが、顔をぶるぶる振ってから両頬を叩いた。
「恩人の旦那方がそう言うんじゃ、ついていくしかありやせんね」
何やら意気込んだ様子のヘクターにアルは苦笑を浮かべた。
革鎧に小手、脛当てにロングブーツと冒険者の基本を守っているヘクターは、パッと見痩せているがその実不要なものがないだけだとわかる。
冒険者のランク規定に厳しいこの大陸で銀級だというので腕の方も確かなのだろう。丸腰なのは今は仕方ない。
それからのノルトンの行動は早かった。
馬車のスペースを開けるためにラングが荷物を預かり、男三人が荷台へ丸くなって納まった。街道を真っ直ぐいくと渡り人の街だが、途中逸れる道が出来ているとのことでそちらへ馬を向けた。何も知らずに街道を来た冒険者たちは、素直に道を歩いて渡り人の街をイーグリスと思い、入る訳だ。
ラングとアルを運んだ交通組合の乗合馬車はなぜこちらで停まったのか。ノルトン曰く、客の意思に任せているのだという。
せめて状況くらい言ってくれればいいものを、はた迷惑な善意だと八つ当たりをする。
逸れた道は商人や事情を知る冒険者の足で草が踏まれ、ラングの知る形の道になっていた。立て看板くらいは立ててもらいたいと言えば、ノルトンは笑った。
立て看板を立てたことは一度や二度ではない、いつの間にか撤去されているらしい。
道中苛立った気配をいくつか感じたので渡り人の街の冒険者たちが横を通ったのだろう。ノルトンはそちらにも顔を出したことのある商人だからこそ、御目溢しをされて荷台を調べられることもなかった。
「ねぇ、ラングの兄貴、アルの兄貴」
こそこそとヘクターが声を掛けてくるので、ラングは面倒そうにそちらを見遣る。
「お二人共すごかったっすねぇ、俺は感動しちまいやしたよ」
「利用価値があったから助けたまでだ」
「くぅー!クールでシビれちまいやす」
「イーグリスに入るまでは大人しくしててくれよな」
「えぇ!もちろん!その後もぜひお供させてほしいっすよ」
「いらん」
「クールっすねぇ!」
ノルトンから咳払いが聞こえ、三人はまた黙る。
ヘクターはそわそわとしていたがあまりの煩さにラングが首の後ろを摘まみ、オトした。アルはドン引きしていた。
移動を始めたのが午後過ぎだとすれば随分時間がかかったといえよう。外はすっかり陽が落ちて暗くなっていた。
本来であれば重量オーバーのところ、馬は頑張ってくれた。ノルトン自身、疑いの目を受けないように移動に細心の注意を払ったのも理由だ。
「着きましたよ」
馬車が停車してしばらく、外でやり取りがいくつかあった後、荷台に声がかかり体を起こした。
降りながら小さくジャンプして体を慣らしていると門兵がランタンを向けてきた。
「渡り人の街では大変だったそうだな。軽く話は聞いたが、手続きは通常通り進めさせてくれないか?」
「構わん」
冒険者証を差し出して水晶板に当てる。ラングの物はすぐに終わり、アルの物はすぐに戻されなかった。
「エフェールム…、統治者の家名、ということは」
ザッ、と門兵が膝を突き、アルは顔を覆ってから同じように膝を突いた。
「悪い、それはやめてくれ、頼む。俺はただの冒険者だ」
「ハッ!」
素早く立ち上がり礼をし、冒険者証を返される。
ラングはそれに少しだけ驚いた。相手に膝を突かせるのは最大の敬意だ。アルはそれを受ける身分なのだということだ。
ラングは冒険者としてのアルしか知らないが、ここには隠された姿があるようだ。
アルは疲れた様子でラングの隣へ戻り、ヘクターはその後起こされ同じように手続きをした。
「手間をかけたな、礼を言う」
「いいや、かまわないさ。こちらこそ良い縁だった」
空いた荷台に荷物を戻して手を差し出す。握手を交わしてイーグリスに足を踏み入れた。
暗闇を照らす光はどの世界でも心をホッとさせる何かがある。
故郷でも月明かりだけの道を行った際、丘から覗き下方に村の明かりがあるとホッとしたものだ。
門を入れば広場になっており、明るい街灯が煌々とオレンジや黄色の明かりを灯していた。
夜だというのに足元が見えるほど明るい。自身でランタンをかざしている訳でもないのに体の細部まで見える明るさは驚くものがあった。途中の街々も同じほどの明るさがあったと思うが、不思議とこちらの方が明るいように思えた。
整然とした石畳、街路樹に花壇。渡り人の街でも見た構造だ。
街灯の種類も様々で目が楽しく感じた。
「失礼、よろしいか」
イーグリスの街を見渡していたラングに門兵が声を掛ける。丁寧な礼を受けて首を傾げて返した。
「なんだ」
「統治者の館へ連絡をさせていただきました」
「うぇ!?」
アルが悲鳴を上げる。さっと逃げ出そうとしたので槍のホルダーを掴んで捕まえた。じたばたしていたが槍を置いて行く訳にもいかず、やがて大人しくなった。それを確認してから再び門兵へ視線を戻した。
「それで?」
「館へ来てほしいと連絡が返ってきています」
「ふむ」
少しだけ小高い丘の上に館が見える。外観までは見えないが、ある程度大きいだろう館は煌々と灯りが灯っており、それが徐々に増えているようだ。連絡が入り館が騒がしくなっているのだろう。
「どうするんだ?」
「行きたくなぁい!宿に行こう、宿に!」
即答で首を振り、アルは目の前の大通りを指差した。
それを聞いて門兵は苦笑を浮かべて、頬を掻いた。
「行くのが早いか、遅いかの違いですよ」
「尤もだな。それに元々情報収集もしたくて来たんだ、それなら本陣へ行くべきだろう」
「そうだけどさぁ!」
「何がそんなに嫌だというんだ」
掴んでいたベルトを手放して肩を竦めれば、アルは口を噤む。門兵から礼を受けるほどなのだ、統治者がこの場所で高い地位にいることもラングには察せられた。歓迎を受けることからアル自身が罪を犯して逃げ出した可能性も消えている。
兄から習った【精霊の呼び笛】で命を拾ったこともある。家族仲も決して悪いわけではなさそうだ。
だから、ラングにはアルがここまで頑なな理由がわからなかった。
「統治者っていうのは王家と同等の、独立国家の王家みたいなもんなんすよ」
ひょっこりと横から口を出したのはヘクターだ。
ラングはシールドの中で少しだけ驚いた顔をした。一統治者にそこまでの権限と権威があるとは思ってもいなかったのだ。
シールドを向ければアルは渋々といった様子で首肯を返した。
ヘクターはラングが隣の大陸から来たと言った言葉を覚えているのだろう、説明しやす、と胸を叩いた。
イーグリスの指導者が貴族でも領主でもなく統治者なのは、スカイの中では有名な話だという。柔軟で豪快、それでいて繊細で警戒心の高い施策は、ただただ街と住まう人々の為であることも評判が高い。
領主と統治者は何が違うのかと問えば、国からそこを治める権利を渡された立場なのは同じだ。けれどそこに一つ違う物が含まれる。
ヘクターの言った通り、統治者は国と、つまり王家と対等なのだ。
各貴族がその領域を侵すことは許されない。
治める街を奪うことは許されない。
軽んじることは許されない。
これは初代の統治者が神託により任命された際、【渡り人】とそこに住まう者たちを守るために国から勝ち取った盟約だった。
スカイ王家はそれを二つ返事で了承し、書面に残し、それは今も統治者と王家の両者が保管している。
そんな話を隠し立てすることもなく大っぴらにしているのだから可笑しな国だ。いや、貴族や他国がイーグリスを軽んじる可能性を思えば、事前に周知するのは施策としては正しかったのかもしれない。
ヘクターは今代の統治者もまた思慮深き指導者だと他の街で小耳に挟んでいる、と締め括った。
だからこそヘクターは統治者が誰なのかを確認したのだが、事の顛末はあのとおりだ。
「俺が聞いたのは噂程度っすけどね、統治者の次男坊は誰にも言わずに出奔したから、家族が探し続けてるらしいんすよ」
「ほう」
「アルの兄貴が出てった理由は知りやせんが、ご家族からしたら逃してたまるか、でしょうな」
アルの方を見遣ればラングの視線からさっと顔を逸らされる。腕を組んでそちらを見続ければアルはしょぼりと肩を落とした。どうやら諦めたらしい。
「思えば、お前の話もあまり聞いてこなかったな」
「必要なかっただろ」
「私は話した」
「うううう!」
アルはぐしゃぐしゃと自分の髪を掻き混ぜて、ぼさぼさになったまま夜空を仰ぐ。それを横目にラングはヘクターの肩を叩いた。
「思ったよりも使える男だ」
「ありがとうごぜぇやす、兄貴!」
「それはやめろ」
「んでは旦那!」
やり取りが面倒になって小さく肩を竦め、ラングは横で笑みを浮かべて見守っていた門兵を振り返った。
「館へはどう行けば早い」
「大丈夫です、お迎えが来ていますから」
視線で大通りを指されてそちらへ半身を切れば、見慣れない魔獣に乗った騎士が遠くに見えた。
凄まじい速度で大通りを駆けるが人を巻き込むことはなく、最後にはきちんと減速し、ぴたりと眼前に止まった。
ガシャリと降りてきたのは短い黒髪に灰色の瞳の、身長の高いすらりとした男だった。アルがもっと年を取ればこうなるだろう。
身に纏うのは陣羽織、その下には軽鎧が着込まれており騎士であることがわかる。剣と盾は背中に、ひらりと降りた体の動きから腕は立つだろう。装備自体の物も良く手入れもしっかりとされている。判断材料をしっかり覆い隠していることから警戒心も高そうだ。
ラングは自然と双剣の柄を撫でていた。
「無事だったか」
一瞬、ラングに視線をやった後にアルに近寄り、ガバリと抱き締めた。
軽装のアルには鎧が当たって痛いのだろう、苦痛の表情を浮かべてうぐぅと呻き声を上げた。
「無事だよ、その、戻りました」
「顔をよく見せてくれ、あぁ、身長も随分伸びたな。武器は槍に落ち着いたのか、怪我はしていないか? 全くお前と来たら置手紙一つで飛び出していくものだから、父上も母上もそれは心配していたんだぞ。もちろん、私もだ」
「兄貴、兄貴!」
顔を押さえられ肩を押さえられ脇腹を足を、手の欠損が無いかをわさわさと確認する兄の肩を叩いて視線を合わせる。
変わっていない。弟に対して心配性なところも、慈愛を込めて見てくる灰色の瞳も、大きな掌も。
ぐっと喉を鳴らして強く瞑目し、溢れそうになる何かを堪えた。深呼吸して兄を見据え、アルは少しだけ笑ってみせた。
「ただいま、いろいろ話したいけど、ここじゃ不味いだろ」
「あぁ、そうだな。そちらの御仁たちのことも聞きたいし、お前も聞きたいことがあるのだろう?」
灰色の眼はラングとヘクターを捉え、胸に手を当てて礼を取った。
「申し遅れた、私は統治者家現当主、シグレ・エフェールム。少しばかり歩く必要があるが、我が家へ招待させていただけないだろうか」
ラングはシグレとはまた違う型の礼を返した。
「丁寧な挨拶、痛み入る。【異邦の旅人】のラングだ、招待に与ろう」
「俺のパーティのリーダー」
「なるほど、そちらは?」
「証人のヘクターだ」
「よろしく頼む、早速だが案内をさせてほしい。途中まで行けば馬車と合流できるだろう」
シグレは自身の頭をかぷりと咥える不思議な生き物の喉を撫でながら言い、こちらへ、と先導し始めた。
道すがらイーグリスの民に声を掛けられ、それに穏やかな面差しで返しながらゆっくりと歩く。
長い脚はもっと距離を稼げるだろうに、アルに久々の故郷をゆっくり見せてやりたい、初見のラングに見せておきたい気持ちからの配慮だとわかった。
ヘクターは目を輝かせて屋台や店を覗き込み、その後に必ず脱力した。財布が無いのだ。
「ヘクター」
「へい!旦那、なんでしょ?」
「見繕ってこい、行先はわかっているだろう」
「承知しやした!」
革袋を投げてやれば委細承知と胸を叩き、ヘクターはパッと屋台へ走っていった。肩越しにそのやり取りを見ていたシグレは僅かに驚いた表情を浮かべた。
「信用していいのか?」
「逃げられたらそれまで、私の見る目がなかっただけだ」
「そうか、貴殿がそれで良いのなら言うことはない」
頷いて、シグレは手綱を掴む手で人差し指を一瞬だけ立てた。
暗部か、とラングは感心した。今の指の動きだけでヘクターの監視は解かれただろう。
アルはラングの隣で周りをゆっくりと見渡して目を細めていた。
「覚えている光景か?」
「あぁ、うん、これだ」
夕飯時なのだろう、通りの屋台は賑わい人が多い。酒場は外にもテーブルと椅子が置いてあり、赤ら顔の様々な民族が酒を酌み交わしていた。
テーブルの上の料理も統一性がなく、好きなものを好きなように選んでいる。渡り人の街でアルが専門店と言った意味を垣間見た気がした。
家々の並びも面白い。レンガ造りの家もあれば漆喰で塗られた家もある。道に面して玄関のある家もあれば、玄関まで距離を取った家もある。多種多様な国が混在した光景は不思議な感動をラングに与えた。
「追いついたようだ。さぁ、乗ってくれ客人よ」
シグレが言い、足を止める。正面から二頭立ての馬車が現れて促された。大きく装飾のしっかりついている馬車は、御者が扉を開いて会釈することまでセットでついてきた。
正直なところ、イーグリスまでの強行軍に加えて渡り人の街脱出の際の大立ち回り、その後体を縮めて荷物として移動したこともあって非常に疲れていた。
固辞することもない、ラングは馬車に乗り椅子に座った。ふか、と優しく抱き留められて体が睡魔に沈みそうになった。
アルは進化してる、と呟いた後、窓に頭を預けて眠り始めた。
ラングも釣られて目を瞑ってしまい、結局睡魔に落ちたのは言うまでもない。
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