2-58:アズリア入国 <ラング・アルside>
本日三話目です。
あの後、ルノアーは怒られなかったが無言の圧力がすごく、素直に謝罪した。
アズファル側の国境都市ジャンヴェード、そこでラングとアルが情報収集している間、ルノアーは商売を行う。
それは物品のやり取りというよりは下地造りで、冒険者ギルドと商人ギルド、ゲイルニタス乗合馬車組合に斡旋事業を行いたい旨を説明に行くことだった。
どうやらルノアーは斡旋業を主体に、合間に移動に必要とされる物を販売する商売を考えているようで、種まきに忙しくしていた。
元々依頼料の一割が冒険者ギルド、商人ギルドから冒険者ギルドに回すための費用がまた一割、残り八割が冒険者といった方式なので、冒険者が納得をすれば手間を引き受けてくれるのは有難いといった反応だ。
時期的な儲けの増減はあるだろうが、上手くすれば一手に引き受けることも出来る。まずはお試しで始める、いずれ支店が出来たときにはよろしくお願いします、というわけだ。
閑話休題。
アズリアの情報を得るには慎重を期した。
ヴァンドラーテをお勧めしてきた男が引き受けたように、アズリアの草らしい者たちが多数存在し、ラングは煩わし気に煙に巻いた。
アズリアの今は、ある程度情勢は落ち着いているらしい。
本家がスカイへ戦争を仕掛けたことで信用が失墜し、分家が現王として立てられた。
本家のような暴君ではないが政務に不慣れで貴族の掌で回されている、と揶揄される程度ではある。ただそれでも声高に言えば斬首が待っている圧力の国家だという。
その分、付き従う民へは寛容で、ある程度配慮はされている。元々小麦がよく実る国なので食糧事情は良く、刑罰は厳しい。反抗する姿勢さえ見せなければ冒険者や旅人にも牙を剥くことはない。その代わり、反抗的な態度が見えればありとあらゆる手段で牢に入れられる。
栄光を取り戻すために、またスカイへ戦争を仕掛ける準備を進めている、などという話も聞いた。
そんな国だという。
情報を仕入れ終わった後、宿で防音の宝珠を起動して方針を検討した。
会話のお供は芋を潰して小麦を混ぜて焼いた芋パンのようなものだ。塩味がよく利いていてなかなかおいしい。
「アズリア内では行動に気を付けた方がよさそうだな」
「だなぁ、俺はアズリアから出るためにパーティを募集しただけで、憲兵に追われたからな」
「そういえばそんなことを言っていたな」
そこでマイロキアの冒険者【炎熱の竜】に拾われたのだった。
「海を隔てたスカイへ執着をするのは何故だろうな」
「わかんないんだよな、まずこっちの大陸を統一でもしてから来いよと思うけど」
「狡っからい手で他国を吸収しようとはしている、らしいがな」
「あいつそんな情報どこから手に入れたんだろうな」
バンダナの男のにんまりした笑顔が脳裏に浮かんだ。
「さてな」
「とにかく、立ち居振る舞いには気を付けて、アズリア流石、みたいな顔してようぜ」
「そうだな」
「喧嘩売られても買うなよ?」
「いつも買っていない」
「えぇ…」
信じられない物を見たと言いたげなアルを無視して食事を終え、防音の宝珠を切った。
「ルノアーは?」
「明日には出れるってさ、こっち側でやることは終わったらしい。明日向こう側で下地造りを始めて、向こうでは二日くらいでいいって」
「そうか」
ラングが窓の方を見た。
木窓は締め切られているが、隙間風がスゥスゥ入ってくるので中途半端に部屋が温まらない。今夜も布団の上に毛皮を乗せる必要があるかもしれない。
「雨の匂いがする」
ラングの言葉にアルもすんと鼻を鳴らした。
「そうだな、ちょっと湿ってる気がする」
それ以上の会話は続かなかった。
――― 翌日、国境を越えてアズリアへ入った。
アズリア側の国境都市ドンジェ。
こちらもまた堅牢な城郭都市だがアズファルとはまた毛色が違う。積まれた城郭の石は同じように重く硬いが、こちらは常に臨戦態勢が整っている印象だ。
憲兵が隊列を組んで国境都市を闊歩し、一定の間隔で騎士が槍を縦に構えている。今通ってきた門の向こうではある程度の呼び込みもあったが、こちらは不思議な静けさがある。
ガラガラ音を立てて移動するルノアーは手綱を握る手に汗をかき、ラングはシールドを僅かに上げて空を見上げた。空が不機嫌な色をしていた。
「降るぞ」
「宿を早めに決めよう」
仲介所はいつものことながら門を通ってすぐのところにあった。
スタッフの毛色も違い、ピシリとしたやり取りで対応をされた。
ひっつめた女性の髪や、オイルを塗ってぺたりと整えられた男性のヘアスタイルが統一されており、気味の悪さを覚えた。
宿はこちらの要求を聞かず、人数と職業を聞いて押し付けられた。おかげで商人向けの宿を一部屋だけ斡旋され、予定よりも高い出費になった。
ここは仕方なく差額を【異邦の旅人】が持ってやった。
重苦しい、監視された都市。
ラングもアルも一言も言葉を交わさずに宿に入り、外に出るのも危険視され、すべての食事を宿で取ることにした。
夕食も静かに過ごし、部屋に上がったところでアルとルノアーは盛大に脱力してベッドに倒れた。
「なんですかこれ、すごい息が詰まります」
「まるで戦時中じゃんかよこれ」
同室だったのは逆に良かったのかもしれない。これでルノアーを一人行動させていたら、それはそれで巻き込まれた時の対処が難しかった気がした。
「ルノアー、外に出る時は必ずアルを供に連れていけ」
「は、はい、わかりました」
「アル」
「わかった、ちゃんと護衛する。ラングは?」
「少々調べたいことがある。それから風呂は私が最後に入る」
「わかりました、ラングさんはその、仮面…」
「寝る時も着けてるよ」
「えぇ!?そ、そうなんですね」
理由があって仮面を着けているのだろうとわかってはいるが、ここまで一度も素顔を見ていないのでどうしても気になってしまう。
じろじろ見てしまった視線が不愉快だったのだろう、ラングはシールドをルノアーに向けて真っすぐに見た。
「見ようとはするな。反射で殺してしまうかもしれん」
「ひっ」
ルノアーはその言葉の本気度がわかってしまい、アルの背に隠れて笑われた。
「それさ、本当に呪われてるのか?エルキスでそんなこと言ってただろ」
「呪われていない。嘘も砂糖菓子というやつだ」
「何それ?」
「言わないのか、嘘も砂糖菓子」
「あー、あれか、嘘は時に黄金ってやつか」
「面白い言い回しだ」
やり取りの意味がわからなかったが、ルノアーは深く首を突っ込むのはやめておいた。
夜、変な緊張に見舞われたせいで風呂で温まったらすぐに睡魔がルノアーを襲った。
一番風呂をもらったので早々に寝息を零し、アルがその後に体を温め、最後にラングが風呂へ入った。
魔石で出した温かい湯に体を浸けて、ラングは防音の宝珠を起動した。
手桶に癒しの泉エリアの水を出し、声をかける。
「アクアエリス、話したいことがある」
ふわりと微かな風のそよぎ、とぷりと音がしてラングの隣にゆったりとしたアクアエリスが現れる。
二人で入るには狭い風呂だ。置いてある手桶が悲しい。
「何故こちらなんだ」
「温かかったので」
嘆息するラングの顔をまじまじ眺め、アクアエリスは微笑む。
「何故顔を隠しているのです?」
「いろいろだ」
「そうですか、何故私には見せてくれたんですか?」
「精霊であれば見ようと思えばいつでも見れるだろう」
「ふふ、おっしゃる通り。それで、何か御用ですね?」
「頼みがある」
「伺いましょう」
「ツカサを気にかけてやってほしい」
ラングが言えば、アクアエリスは少し目を瞠って、それから申し訳なさそうに微笑んだ。
「見つけるのに時間がかかりますよ?貴方が見えないくらい、魔力の強い子でしたから」
「わかっている。こちらもアズリアに入ったら所在を探す」
「見つけたら印をつけます、そうすれば見えますからね」
「頼む」
アクアエリスはラングへ頷いた。
「それだけだ」
「もう少し雑談してもいいのですよ?」
「特にない」
「ふふ、そうですか」
アクアエリスはぱしゃりと浮いて体を伸ばした。
精霊もそういった動作をするのかと眺めてしまう。
「気になったんだが」
ラングの声に振り返る。
「この…世界には魔導士も多いのだろう」
「えぇ、そうですね」
「世界の、見えないところは多いのか?」
「あぁ、ううん、難しい質問です」
アクアエリスは空中で膝を組み、頬に手を添えた。
「世界は見えます、世界そのものが理に属するものですから。ただ、こう、魔力が強いとそこだけ色が抜けたような…わかります?」
「わからん」
「例えば、そうですね…」
そう言ってアクアエリスは少し考え込んでしまった。
自身に見えている世界を相手にわかるように伝えるというのはなかなか難しいものだ。
少しだけ茹ってきた気がしてラングは湯から出た。
冒険者の宿にタオルはない。商人の宿には小さな手拭いがある程度だ。ラングは自前のタオルを取り出して髪を、体を拭う。
そうしてラングが着替えている間にアクアエリスは言葉を見つけたようだ。
「人の形はわかっても、それが誰だかわからない、と言ったような形です。これもまた言い難いのですが、視認は出来ますよ、見ようと思えば」
「ウィゴールも似たようなことを言っていたな。すべての魔導士に印でもつけて歩いたらどうだ」
「気づきませんでした、それもありかもしれません…」
また考え込んだアクアエリスは気づいたら消えていた。
空しく残った癒しの泉エリアの水を流して、ラングは防音の宝珠を解除し、フードとシールドを着けて風呂場を出た。
風呂に入る前には槍の手入れをしていたアルも寝息を立てており、ラングはテーブルに置いてあったランタンの明かりを少しだけ小さくした。
日記を書いて空間収納に仕舞い、風が吹いてガタガタ言う窓の閂を閉め直した。ついに降り出した雨が木窓を叩く音が大きく感じる。
ぞわりとした感覚。
背筋を撫ぜる悪寒に、ラングは一度だけ強く拳を握りしめた。




