(18)狂人とて(多少)常識はある
そのちょっとおかしいくらい苛烈な信仰心から来る奇行の数々から街の人々に多大な迷惑をかけ、バラージュ・ロイドの頭を悩ませているシスター・ペトラだが、まったく常識がないというわけではない。
枯れ井戸に残された一滴の水くらいの常識らしき何かは存在するのである。
ペトラとて、白昼堂々とクラウ・ヴィナテロワを嬲り殺すような真似をすれば、さすがに聖職者として大衆から非難を受けることは免れないことくらいは弁えている。
であるからしてまず、クラウ・ヴィナテロワが邪悪である証を白日の下に示さねばならない。証拠を集めた後、広場で彼の邪悪の徒を磔にし、それを読み上げる。人々がクラウ・ヴィナテロアこそ七大神龍の歯向かう愚かなる異端者であることを詳らかにし、極刑に処すのだ。ペトラは慈悲深いので、できるだけ痛みを伴わない方法で処すつもりである。優しい。
とにかくそんな考えから、シスター・ペトラはクラウ・ヴィナテロワの身辺を洗うことにした。
とはいえ特に尾行や隠密の技能があるわけでもないペトラである。クラウに気取られないよう対策を講じる必要があった。
非常に不本意だが――ペトラはいつもの修道服から平服に着替えることにする。シスター・ペトラと言えば修道服。修道服と言えばシスター・ペトラである。隠されていた長い黒髪が露わになるだけでも大きく印象は変わる。
そして立ち居振る舞いである。キレたナイフのように邪悪認定した相手に噛みつき、道ばたの猫や犬にまで説教するのがシスター・ペトラである。“多少”お淑やかに振舞うだけでも、まるで別人に見えるだろう。
しかし生まれ持った性分はそう簡単に覆せるものではない。
そこでペトラは別人になりきるため、自己暗示をかけることにした。
人気のない森の中に入り込んだペトラは、こほんと咳払いをする。
「あー、あーあーあ……あっ、はっ、はっ、はっ、はっ~~~~♪」
軽く発声練習をして、ペトラは胸の前で両手を組み七大神龍に祈りを捧げた。
そして、大きく背中を逸らし、ブリッジの体勢をとる。
「お~~ぅおうおうおう~~♪ わたくしは~ペトラではなくて~~、別の誰か~~♪ べっつの~~~誰か~~~~♪」
前後左右に腰を振りながら、高らかに歌い上げるペトラ。
自己暗示に技術は必要ない。必要なのは勢いである。
聖竜教が伝える龍祈法にそんな教えはないのだが、ペトラはそのように信じている。
――あきらめずに歩み続ければ、想いはきっと叶う。
「ペトラァッ! ペトラァッ! ペトラァッ! ペトラはどこだァッ! ん~~~~~~ッフゥ~~~~~~~~~~~ッ♪ 残念ッ! 無念ッ! ここにはいません~~~~♪」
ペトラが腰を激しく振り回す度、玉の如き美しい汗が飛び散る。
それはペトラの努力の証。揺ぎ無き信念の発露であった。
「ヴェッツノー・ダッレーカー! ウェイッ!」
そしてシスター・ペトラの聖なる祈りの舞いは最高潮に達する――。
ちょうどそこに通りかかる者たちがあった。
ここ最近、リュヴェルトワ-ル付近の植生調査をしているリュイ・アールマーとレッキ・レックである。
異教徒のレッキ・レックからしてみれば奇怪にしか見えない踊りを舞っているシスター・ペトラの姿を見て、レッキ・レックがあからさまに顔を引きつらせる。
「変な声が聞こえるから様子を見に来てみればよりにもよってシスター・ペトラにゃ……幸いこっちに気付いていないみたいにゃ……そっとしておくにゃ……」
「シスター・ペトラ? それは一体誰のことです?」
「うに゛ゃぁぁぁぁッ!? 音もなく背後に回り込んで来たにゃッ」
尻尾の気を逆立てて、レッキ・レックがその場から飛び退る。五感に秀でた獣人族の背後に回るとは相当な業の持ち主――だがシスター・ペトラのすることをいちいち気にしていてはキリがないのも現実である。
「わたくしは、ヴェッツノー・ダレーカ。――ああ、なんということでしょう。名前以外、何も覚えておりません。何か――重大な使命があったことだけは覚えているのですが……んほお゛ッ、頭が」
アヘ顔ダブルピースをして呻き出すペトラ――じゃない、ヴェッツノーに、ここまで目を眇めて様子を見ていたリュイが進み出る。
ペトラ――じゃない、ヴェッツノーの様子を観察していたリュイは、彼女に何らかの術がかかっていることを看破していた。訓練を受けた魔術師は、魔力の流れを読むことができる。
竜祈法の作法についてリュイは明るくないが、シスター・ペトラが真っ当な方法で竜祈法を発動していないことくらいは理解している。状況を見るに、おそらくペトラ――じゃない、ヴェッツノーは、何の目的か自身に暗示をかけようとしたのだろう。
しかしいつだったか本人も言っていたように、ペトラは力が強すぎるからか、あるいは正しい作法に則っていないからか、どうにも術の加減が利かないようだ。
どういうつもりでこんな暗示をかけたのかはわからないが、強く暗示をかけすぎて記憶が消し飛んでしまったのだろう。
「ヴェッツノーさん。無理に想い出そうとすることはありません。時間が――そう――時間が解決してくれるでしょう。多分。おそらく――」
優しく手を差し伸べるリュイに、ペトラ――じゃない、ヴェッツノーは瞳を潤ませる。記憶のあった頃は信仰上の対立から毛嫌いしていた相手だが、リュイは『可憐』という言葉がぴたりと当てはまる美少年だ。
小柄で華奢な骨格。肉付きの薄い体に強く抱きしめれば折れそうな細い腰。柔らかい金の髪は、風に揺れる小麦の穂のようにうねり、菫色の大きな瞳は水底に沈んだ紫水晶の如き輝きを称えている。差し出された手が、手袋で隠されているのが惜しいと、ペトラ――じゃない、ヴェッツーノは心の底から思った。きっと少女のように柔らかで細い指なのだろう。
ペトラ――じゃない、ヴェッツーノは気づいたら差し出された手を息を荒くしてぺろぺろと舐めまわしていた。
これにはさすがに面の皮の厚いリュイの表情も凍り付くというものである。
「な、何をやっとるにゃ変態ッ!」
素早く横合いから割って入ったレッキ・レックの爪先が、ヴェッツーノのこめかみにめり込む。
レッキ・レックも小柄とは言え、人族と比べてはるかに身体能力の高い獣人族である。取り分け猫獣人は脚力に秀でている。しかもレッキ・レックが放った回し蹴りの型は、中々堂に入ったもので、ただの狩人が放ったものとも思えない。おそらく『師匠』と呼んで慕う“隻腕の”ウィードの仕込みだろう。
そんな蹴りを急所に全力で叩き込まれては、頑丈なペトラ――じゃない、ヴェッツーノも無事では済まない。
ヴェッツーノは鼻血を出して昏倒した。
これは大丈夫――なのだろうか。まあ大丈夫だろう……たぶん。
「まったく、聖職者が聞いて呆れるにゃ! ――平気にゃ? リュイ」
レッキ・レックが憤然として鼻を鳴らし、変態行為の被害者であるリュイに声をかける。
しかしリュイの返答はない。
怪訝に思ったレッキ・レックはリュイの顔を覗き込む。リュイは顔を真っ青にして立ち竦み、肩を小刻みに振るわせていた。
「リュイ、どうしたにゃ?」
レッキ・レックがその型に手を触れると、普段のどこかゆっくりとした動きが信じられないの反応速度で、リュイはその手を払い除ける。
「りゅ、リュイ?」
「レッキ、あ、僕……」
それで我に返ったのか、自分に触れたのがレッキ・レックであったことに気付き、青い顔をさらに青くした。
「ごめん、僕、う、うえっ――」
そして慌てて両手で口元を抑えると、踵を返して蹲り、嘔吐を始めた。リュイの嘔吐は、胃の中の者をすべて吐き切っても収まらず、数十分続いた。
レッキ・レックはその介助と応急処置に追われ、自分が蹴り飛ばしたペトラ――じゃなかった、ヴェッツーノのことなど、街への帰路につく頃にはすっかり忘れてしまっていたのだった。
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