(17)バラージュ司祭とペトラの密談
バラージュの張っていた人払いの結界をパワーで引き千切って聖堂に入ったペトラ・ラブラフカは、先ほどすれ違った人物について狂人なりの直感で何かを感じ取っていた。
粗末な服装。明らかに安物とわかる探検。頭の後ろで束ねた黒髪。――この黒髪に奇妙な違和感を覚えた。わざわざこのような時間帯に聖堂を訪れ、祈りを捧げに来たというのならば素晴らしいことだ。服装も薄汚れていたから、宿に荷物を置いて真っ先に聖堂を訪ねたのだろう。——単に湯屋を訪ねる金もなかったのかも知れないが。
だがペトラの内なる神はあの黒髪の女とすれ違った瞬間、彼女にこうささやきかけたのだ。
『この女はきっと邪悪。絶対そう。いや、絶対とまでは言わないけど、多分そう。私が言うんだから間違いないんじゃないかなあ、おそらく、言うほど自信はないけど』
そのようなお告げがあったので間違いない。あの女は邪悪だ。
ペトラの内なる神が神託を下すほどの邪悪な女が聖堂に出入りしている。由々しき事態である。
聖堂の中では直属の上司であるバラージュ・ロイド司祭が書き物をしていた。司祭として聖堂を預かる彼には、布教活動以外にも帳簿を付けたり、備品を商店から買い取ったり、ペトラからすれば『俗な』仕事もしているようだ。
ペトラに『街の南の荒れ地で深さ1000メートルの穴を掘って埋め戻す作業を千回繰り返して来い』だとか、『一万株の雑草を抜いてもう一度埋め戻す作業を百回繰り返して来い』だとか、そういう簡単なおつかいが言いつけられる時は大抵バラージュの元に来客がある。
おそらくは商人がここに来ていたのだろう。この街に聖職者はあまりいないが、それでも生活や聖務を行ううえで、やはり色々と物入りではあるのだ。
ちなみにペトラが買い物に行くことはない。
誰も物を売ってくれないのだ。
おそらくペトラが放つ神聖なオゥラに腰が引けてしまうのだろう。当然とは言え、仕方のないことだ。食べ物がない時はミミズとかカタツムリなどを茹でて食べればいいだけのことだし。
ペトラが聖堂に入って来たのに気が付いたのだろう。難しい顔で書類に目を通していたバラージュが顔を上げる。
「おや、シスター・ペトラ。『街の北部で蟻を一匹ずつピンセットで摘んで瓶の中に詰め、いっぱいになったところで川に流すのを千回繰り返す』勤めはもう終わったのですか?」
「はい。まずかまどを組み立てるところから始まり、瓶を作るのに適した粘土を探すのには大変苦労しました。しかしこれが中々楽しい作業でして、つい興が乗ってしまい、リュヴェルトワール北部地域の蟻は全滅してしまったのです。これもきっと『蟻よ死すべし!』との七大神龍による思し召しでありましょう」
頬を上気させ、うっとりとした様子で言うペトラに、バラージュは胡乱な目を向ける。
バラージュは毎度、シスター・ペトラが一生帰って来ないように(意味のない)無理難題を押し付けているのだが、彼女は予想以上の結果を出して帰ってくる。そして大体無意味に周辺に被害をもたらすのである。
蟻には申し訳ないことをした。次はもっと無意味な仕事を与えよう。バラージュは猛省し、心の中で蟻たちのために祈った。
「ところで司祭様。人払いの結界が張ってあったようですが――」
ペトラが話を切り替える。何分『影』が出入りした直後だ。バラージュは念のため人払いの結界をそのままにしていたのである。――『影』と対峙した直後にペトラと顔を合わせたくなかったからとか、そういう理由ではない。
「あなたは力業で結界を解くのをやめなさいと常々言っているでしょうに」
バラージュはため息をつく。
「だって、ここをこう、ぐいっとやったら解けてしまうのだからしょうがないではありませんか」
扉を力づくでこじ開けるようなジェスチャーをするペトラに、バラージュは思わず眉間を摘んだ。なんとかならんかこいつ。
「では言い換えましょう。ぐいっとやるのやめてください」
「わたくしの前に道はない。わたくしの後ろに道はできるのです」
ペトラは胸の前で両手を組み目を閉じると、なんかそれっぽいことを言った。
「あなたの後ろにできる道は地獄道でしょう」
「失礼な。カントリーロードです。あの街に続いている気がしますよ」
「ルナティックヘルロードの間違いでは……」
にわかに鈍い頭痛がしてきて、バラージュはこめかみを揉み解した。
それからため息をついて気持ちを仕切り直し、おもむろにに口を開いた。
「――来客があったのです。少しばかり、予期せぬ来客です」
「それは先ほどの邪悪な気配を漂わせた黒髪の女性でしょうか?」
間髪入れずに答えたペトラに、バラージュは辟易すると同時に感心する。どうしようもないアホだが、勘は妙に鋭い。
「大したことではありませんよ。彼女は少し出自に事情があったため、私が身元保証人になっただけの話です」
「始末してきます」
「決断が早過ぎる!」
即決即断で走りだそうとするペトラに、バラージュは傍らにあったモールを振りかぶって、ペトラの脳天めがけて振り下ろした。
ぐしゃっ! ペトラの首が変な方向に曲がったが、ペトラはこきりと両手で頭の位置を正す。バラージュとて司祭としてそれなりの鍛錬は積んでいる。普通の人間がまともに受けたら即死する領域の一撃なのだが――。
「むう――ではあの邪悪っぽい人をどのように処理すれば良いのです?」
「『っぽい』だけで始末しようとしないでくださいよ」
バラージュは呆れてため息をついた。
ぶおん、ぶおんとモールの素振りをしながらバラージュ・ロイドは考える。制御不能な暴力装置ペトラ・ラブラフカ。一度邪悪認定をした相手は地の果てまでも追いかけるのは目に見えている。――今のところ『疑いがある』程度で済んでいるようだが。下手にクラウを擁護しようものなら、自分も邪悪認定される可能性がある。
一方のクラウ・ヴィナテロワ。本名は知らないが、正体は教会の『影』だ。汚れ仕事も数多く請け負ってきただろう。彼女を『邪悪』と判断するペトラの勘はあながち間違いでもない。
クラウの目的ははっきりしている。可能であればリュイ・アールマーが呪いを解いた方法を特定し、教会の権威を揺るがす彼を闇に葬り去ることだ。
しかし、その目的が達成されてしまえば聖竜教会の改革は大きく後退することになるだろう。『呪いを解く』『体を癒す』といった行為はこれまで教会の専売特許だった。だからこそ教会は権威を持ち、汚職を始めとしたさまざまな横暴が許されてきたのだ。
それを排除するには、教会が持つ権威に対抗し得る存在が必要不可欠だ。
バラージュは、リュイこそそのような人材であると考えている。
クラウにリュイを殺されては困るのだ。
表立って協力はできない、とクラウには言ったが、同時に妨害することもできない。
――しかし目の前の歩く災害であれば……。
「――シスター・ペトラ」
バラージュは、静かに目の前の暴力装置の名を呼んだ。
「あなたは彼女から邪悪な気配がすると言いましたね」
「ええ。ペトライヤーは地獄絵図。確かに邪悪な気配を感じ取りました」
「んんっ、何か引っかかる発言ですが――実は人払いの術をかけてまで彼女と話し込んでいたのには、沢より深いわけがあるのです」
「それは——実に深そうな理由です」
「彼女は——」
バラージュは息を吸い込んで、たっぷりタメを取ってから続ける。
「悪霊に取り憑かれているのです」
デデーン! バラージュのその言葉に、ペトラの全身に電流が走った。
「ん゛ほお、なんということでしょう。悪霊に取り憑かれているとは——見る者すべてを石にするとナウなヤングにバカウケのペトラアイを以てしても見抜けませんでした……」
「そんな剣呑な眼球は一度抉って取り換えた方がいいと思いますよ。あとん゛ほおはやめましょうね」
そこまで言ってバラージュはこほんと咳払いする。
「ともかく、彼女は自らの意志と無関係に悪事に手を染めてしまうことがあるとのこと。敬虔で潔癖で気高い志を持つ聖職者の導きが必要です。場合によってはこう——」
そう言ってバラージュは首を極めて折るポーズを取った。
「私はあの女性——クラウ・ヴィナテロワを導く適任者は、シスター・ペトラ、あなたを置いて他にいないと考えました。どうでしょう。この勤め、お受けいただけますか?」
バラージュは真っ直ぐで――そして死んだ魚のように濁った眼差しでペトラを見つめる。
ペトラは力強く頷く。
「ある時は敬虔なる尼僧、またある時は」
「あ、そういうのいいんで」
「シスター・ペトラ、必ずやクラウ・ヴィナテロワを縊り殺して差し上げます!」
殺すのは確定なのか。マジか。
シスター・ペトラはそのままくるりとトリプルアクセルを飛んで反転すると、凄まじいスピードで聖堂から出て行った。
目には目を、歯には歯を、厄介事には厄介事を。これがバラージュの企みだ。両者がお互いつぶし合いをしてくれれば、リュイ・アールマーの相手をしているどころではなくなるはず。シスター・ペトラはあんなだけれどずば抜けて強いのだ。たぶん人間じゃないと思う。
なに、教会の『影』ともあれば簡単にやられはしないだろう。ペトラが動いた結果クラウが排除されればそれでよし。ペトラが敗北したとしても、あのアレと戦って済むとも思えない。一時撤退は免れないだろう。その上でペトラが片付くのなら、それはそれで御の字である。
バラージュはモールを片付けると、帳簿を付ける作業に戻った。聖堂への寄進は右肩下がりだ。これもまた、シスター・ペトラの動向と同じく頭の痛い問題である。
――この時のバラージュは、この選択がまさかあのような結末を生むなどとは、夢にも思っていなかった。
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