(16)カラスと司祭・2
「もし、司祭様はいらっしゃいませんでしょうか?」
クラウが聖堂の中に向けてそのように呼びかけると、「どうぞ」と言う若い男性の声が返って来た。よく通るその声は普段から鍛えていなければ出るものではないだろう。これがバラージュ・ロイドの声かと当たりを付けた。クラウは「失礼いたします」と中に一声かけ、聖堂の扉を開く。
中には人相書き通りのバラージュ・ロイド司祭がいた。金髪に青い瞳を持つ、細身の優男だ。もっとも司祭となれば相応以上の竜祈法の使い手である。見た目だけで戦闘能力を判断することはできまい。
竜祈法の使い手は、一部の聖騎士等を除いて杖か鈍器で戦うのが普通だ。部屋の片隅に鈍器がたてかけてあるところを見るに、彼は鈍器で戦うのだろう。いずれにしても得物を考慮すれば狭いところに追い込めば御しやすい。
そんな『影』としての思考を追いやると、一人の少女が目についた。どうやら先客がいるらしい。赤毛にそばかす、そして大きな胸が印象的な少女だ。
「こんな時間に礼拝? 珍しいわね。それにこの街では見ない顔だけど」
赤毛の少女はこちらを無遠慮にじろじろと観察してくる。田舎町特有の警戒心だろうか。あるいはクラウの生業――血の匂いを本能的に察知しているのかも知れない。
今のクラウは黒髪を束ね、粗末な麻の服を身に纏っている。腰には護身用の短剣を下げているが、これもかなり粗末なものだ。化粧で頬がこけているように見せかけているので、食い詰めた農村の娘に見えるはずだ。
「その恰好を見ると出稼ぎよね? あたしはマイア・ネム。年は——あたしより少し上くらい?」
「クラウ・ヴィナテロワです。南部の農村から出稼ぎにやってきました」
クラウは少しおどおどしたような素振りで偽りの素姓を告げる。
「商店街区で『ネムの店』っていう万屋をやっているの。何か訳ありっぽいけど、お金さえ払ってくれればうちは大歓迎よ」
疑われることはなかったようだ。少女はマイア・ネムという名前らしい。朗らかにそういうと、クラウを観察するのをやめバラージュ司祭に向き直った。
マイアが深い詮索をしないタイプの娘ならクラウにとって好都合だ。商人の人間観察能力は侮れない。クラウは戦闘や隠密以外にも、諜報活動の訓練を受けているが、いつどこでボロが出るかわかったものではない。その可能性は低ければ低い方が良かった。
「それじゃあ司祭様。ご注文いただいた品は店に入り次第こちらに納入いたしますね」
「ええ。よろしくお願いしますね」
マイアは司祭――バラージュに一礼すると、すれ違いざまにクラウに愛想笑いを一つ向けて聖堂を去っていった。マイアは万屋をやっていると言っていたから、出入りの商人なのだろう。注文を受けるついでに世間話でもしていたのかも知れない。
聞き耳を立てておけばよかったと少し後悔しながら、クラウはバラージュ・ロイド司祭を観察する。
教会の聖職者が司祭位を授かって聖堂を一つ預かれるようになるのは、大体三十半ばになってからだ。片田舎の小さな聖堂を預かるだけとは言っても、バラージュ司祭はかなり若い。
竜祈法の技量や人柄はもちろん、相応の政治力持っているのは間違いないだろう。裏も表も含めて。生半可な手腕では、聖竜協会で出世するのは困難だ。
クラウはなんでもない振りをして、胸元からちらりと『ワタリガラスの爪』のペンダントを取り出した。それは教会の『影』であることを示す証だ。教会の政治に通じている者ならば、それだけでクラウが何者であるかがわかるだろう。
案の定、バラージュの顔色が変わる。
「やはり来ましたか。いえ、思ったよりも遅かったくらいですが――」
そう言うとバラージュは教会の扉の方へ歩いていく。
「偉大なる智龍エル・リウラよ。盟約に従いこの地より人々を遠ざけよ。我が名はバラージュ・ロイド。大いなる七大神龍に身命を捧ぐ者なり」
バラージュはそのように祈りの聖句を唱えた。おそらく智龍エル・リウラの名を出したということは、おそらく近づく者の精神に干渉する人払いの法であろう。
「それで教会の『影』殿が我が聖堂にどのような御用向きでしょう。リュイ・アールマーの件であれば、魔術師ギルドの誘致は私共聖竜教会の行き届かぬ点を補うために伯爵閣下にお願いしたこと。表立った協力はできかねますが」
バラージュの冷静な問いかけに、クラウは少しばかり感心した。彼女が教会の『影』であると知った聖職者は、大抵おびえて話にならないのだ。
――それが『影』よりも厄介な生き物がこの街にいるからだとは、さすがのクラウも予想していないし、できるはずもないのだが。
「難しいことではありません。任務にあたってまずリュイ・アールマーの身辺を洗う必要があると私は判断しました」
「続けてください」
クラウの言葉を促すバラージュの眉間にはしわが寄っている。何を要求されるか理解している顔である。
「そのためには表向きの『顔』が必要です。『クラウ・ヴィナテロワ』という出稼ぎの村娘として振る舞うつもりですが、あくまで偽りの身分ですから、当座の身分保障が必要なのです」
「私に『クラウ・ヴィナテロワ』の身元保証人になれと言うことですね」
静かなバラージュの言葉にクラウは頷く。
「ええ。司祭からの身元保証があれば、わたしが身分を偽っていると疑う者はまず現れないでしょうから」
クラウの言葉に、バラージュはこめかみに親指を当ててしばし考え込んだ。
それから口を開いて、このように言った。
「いいでしょう。ただし条件があります」
「条件とは?」
「簡単なことです。あなたがこのリュヴェルトワールにて暮らす何者かと諍いを起こしたとしても、私は仲裁に入りませんし、あなたを擁護することも致しません。――要するに『知らん顔』をするということです。身上書に署名はいたしますが、あなたが法に反する行いをした場合、聖竜教会からの庇護は受けられないものと思って下さい。全ての判断はトワール伯爵領の法に基づいてクリストファス・イードゥ判事が採決するものと、理解してください。その結果『影』の秘密が世に知られることとなっても、私の関知するところではありません。それにご同意いただけるのであれば、あなたの身元保証人になりましょう」
感情の読めない表情と声音でバラージュはそう告げた。
つまるところ『面倒ごとを抱え込むのはごめんだ』ということだろう。教会の『影』のすることに積極的に関わりたいと考える聖職者は、改革派であれ保守派であれ少数派だ。バラージュのような対応は、そう珍しいことではない。
少し考えて、クラウは首を縦に振る。
「承知しました。こちらが用意した身上書です」
「――ふむ。問題はなさそうですね」
クラウが差し出した偽りの身上書を受け取ると、バラージュは懐から万年筆を取り出して慣れた手つきで署名をした。そして柔和そうな笑みを浮かべると「どうぞ」とその身上書をクラウに向けて手渡す。
あくまで物腰は柔らかだが、魔術師ギルドを誘致するよう伯爵に提言したことと言い、どことなく読めない男だ。現地の教会が非協力的なことも含めて、難しい任務になるかも知れない。
何か問題が起きた際、現地法で裁かれることを考慮すると、バラージュ・ロイドは身元が偽造であったことをあっさりと認める可能性もある。それを考慮すると、慎重に行動する必要があるだろう。
そんなことを考えながらクラウが聖堂を出ると、一人の女性聖職者とすれ違った。背筋をスッと伸ばして歩く敬虔そうなその女性は、すれ違った瞬間こう呟いた。
「――邪悪の香りがいたしますね」
低く――地を這う混沌のような静かな声。
クラウの背筋を、言いしれない怖気が襲った。
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