(13)魔術とは数式である
「――なあ、リュイ。このわけのわかんない複雑怪奇な算術、本当に魔術に役立つのか?」
魚の死んだような目でエルクラッドがリュイを見やる。
「その質問三回目にゃ」
レッキ・レックが呆れた顔で茶々を入れる。魔術師を目指しているエルクラッドと違い、レッキ・レックが学んでいるのは読み書きと算術、最近では法律や歴史の基礎知識を少しと言ったところだ。基本的に他人事とである。
「役に立つっていうか、基礎中の基礎だよ。前にも説明したじゃない」
リュイは資料に目を通しながら、なんでもないことのようにそう答える。
「魔術の訓練って、もっとこう、バァ――ッときてシュゥワワ~~ッって感じだと思ってたんだよ!」
「まあ言わんとすることはわからないでもないけど」
エルクラッドの答えに、リュイは苦笑いする。
魔術――いや、カテゴリを問わず魔法の訓練と言うのは大体派手なものを想像されるのが普通だ。が、実際のところ、リュイが書物で知る範囲では、どの魔法系統も修練は地味、かつ地道である。
魔術の修練はその中でももっとも地味だろう。まず魔力――元素のエネルギーの流れを感じ取る瞑想から端を発して、その魔力の流れを数式に書き起こし、さらにそれを“術式”として体の中に焼き付けるために図形として描画――魔法陣を作成できるようにならなくてはならない。
一つの魔術の描画には、この算式の組み立てと魔法陣の描画を何度も繰り返して、魔術式を頭の中に刻み付ける必要がある。一流の演奏家が楽曲を覚える際に、譜面を何度も描き起こすようなものだ。
リュイがサフィーリュに対して『術式の構築が甘い』と言ったのはここである。サフィーリュはリュイへの対抗心から、数多くの魔術を習得しようと躍起になっていた。サフィーリュはサフィーリュで相当な才能の持ち主なのだが、いささか急き過ぎた。魔術式をしっかり頭の中に焼き付けていないため、魔術破りの術でちょっと横入りすればサフィーリュの魔術は存外簡単に敗れてしまうのである。
新しく魔術を開発するにしても、既存の術式を身に付けるにしても、数式を正しく理解していなければスタートラインにも立てない。これにはある程度以上の数学を学ぶ必要がある。
それに魔術師に限らず、論理教徒なら一通りの数学の知識は学ぶ。
魔術師としての素質はないが、支部の経理も担っているシャルロタなどが典型的な例だ。高度な数学を利用して金の出入りに目測を付けているらしく、金銭の出納管理については王宮の文官も真っ青な手腕を持っている。
魔術の資質がないことと、三十路も手前で結婚相手がいないことに引け目を感じているようだが、しっかり者のシャルロタにリュイは随分助けられている。
リュイの姉は王都で弁護士をしており、顧客から一定の信頼を得ているのだが、私生活は恐ろしくだらしない。まず自室を始め片づけというものができない――あの姉には『使ったものは元の場所に戻す』という概念がないのではないかとリュイは思っている――し、家事に至っては「手を出すと悪化する」レベルである。最近同棲している売れない吟遊詩人の彼氏が私生活を色々とフォローしてくれているらしいのだが、大人として色々とどうなのだ、と弟としては思わなくもない。
が、人のことを言えないのがリュイである。
一度研究に夢中になると、寝食を忘れて倒れるまで夢中になってしまうのだ。それで成果を出しているので講師陣に注意されることはなかったが、幼馴染で同期のサフィーリュからは皮肉交じりに苦言を呈されたものである。
その辺、シャルロタはリュイの気質を理解しているのか、気付かれないように作業をしながらでも食べやすいペイストリーなどをそっと差し入れてくれたりする。睡眠に関しては――諦めているようだが。
さて、話が逸れたが。
「数学は領地運営にも役に立つはずだよ。統計学だったり経済学だったり、魔術に使わなかったとしても役に立つんだ。実家の商会だと、この辺り身に付いてないとまず出世できない」
「トウケイ……何?」
リュイが口にした聞き覚えのない学問の名前に、エルクラッドが目を白黒させている。
「端的に言うと一定数の情報サンプルを集めて、規則性や傾向を導き出す数学から発展した学問――かな。商業だと、『この地域では何が売れるか』とか『この世代、この性別にはどんな商品が好まれるか』とかを推測する時に使ったりする。エルクは将来領地経営を担うことになるじゃない? 例えばそうだな――領民が王都なんかの領外に流出しているとするでしょ? 統計学の知識があれば、領外に出て行った人と領内に残った人の地位、経済状況なんかの諸々を調べて、領外に人が流出する原因を推測、特定することができるわけ。原因がわかれば、対策を打つことも絶対とは言えないけれど限りなく容易になるからね。魔術が使えなくても、こういう知識を求めて魔術師を雇ったり、論理教に鞍替えしたりする貴族も最近じゃ珍しくないんた」
「領民の流出については父上がぼやいてたな……」
リュイの説明にエルクラッドが腕組みをして唸る。レッキ・レックは話と勉強に飽きたのか、寝に入っている。この辺り、やはり猫である。
「まあ僕は自分の研究があるから手伝えないけど、エルクが勉強すればいいんじゃない? 数学は他にもいろんな学問の基礎になるからね。魔術がモノにならなかったとしても身に付けておいて損はないと思う。エルク自身がアレでもギルドで勉強してる子たちの中から優秀な子を引き抜くって手もあるしね」
「お前ってちょいちょい失礼だよな」
「だってエルク、器用貧乏の極みだからねえ」
エルクラッドに睨み付けられたそう言ってリュイは笑って肩を竦める。エルクはこう見えて、結構なんでもできる。なんでもできるのだが、何をやらせても中の下止まり。それがエルクラッドという少年である。
努力家ではあるのだが、努力の方向性が間違っている。
それがリュイから見たエルクラッドの評価である。
とは言え、エルクラッドが重ねてきた努力は無駄ではないだろう。広く浅くではあっても、多様な分野について造詣があることは、部下を使役する立場では必ず役に立つに違いない。
言ったら図に乗りそうなので、言わないけれど。
「自分にできないことは信頼できる他人に任せるのが合理的だよ」
「まあそうかも知れないけど」
リュイの言葉を頭では理解できていても、気持ちは納得できないのだろう。エルクラッドは少し不満げだ。
リュイだって魔術に関しては天才だが、運動についてはてんでだめだ。今はリュヴェルトワール近辺だから植生調査を行えているが、伯爵領南部などの離れた場所に足を延ばすとしたら、体力的に難しいかも知れない。
誰しもできることとできないことはある。できることは他人に任せた方が効率は良い。割り切りは大事だ。信頼して任せられる相手を見つけられるかどうかが課題ではあるが、元より人当たりのいいエルクラッドにその心配はないだろう。これからの仕事で信用を得て、侮られることがなくなれば猶更だ。
「それで、俺はいつになったら魔術を教えてもらえるんだよ」
エルクラッドがまだ不満そうに口を尖らせて言い募る。
「教えてるじゃない。基礎を」
「基礎じゃなくて、魔術を使えるようになるのはいつかって話だよ!」
エルクラッドが大声を出すと、寝に入っていたレッキ・レックが「うるせえにゃ!」とクッションをエルクラッドの顔面に投げつける。この猫獣人は安眠妨害を何より嫌う。いや、これは猫獣人に共通した性質なのかも知れないが。
「まあ、まずその『初級数学』が身に付いてからだねえ。そこから魔力感知、土属性の基礎魔術と――そうだな、適正的には猟犬か騎馬の使い魔を持つのもいいかも知れない。エルクは動物に好かれる質みたいだからね」
その言葉にエルクラッドは食いついた。
「使い魔を持てるのか?」
「うん。術式としてはそう難しいものじゃないからね。猟犬や猛禽類なら護衛になるだろうし、領内をあちこち移動するなら騎馬の使い魔は便利だよ」
身を乗り出したエルクラッドにそこまで説明して、リュイはふむ、と鼻を鳴らした。
「うん。じゃあいい機会だし、息抜きに使い魔について説明しておこうか」
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