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【旧版】リュヴェルトワールの幻術士【一時打ち切り】  作者: 夜空睦
第二章 幼馴染と脛の傷
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(11)カラスとイバラ


 ――教会の『影』。


 その存在は、上流階級に置いては公然の秘密だ。異端者や聖竜教会にとって不利益になるものを密かに監視――あるいは処分する役目を負っている聖竜教会の暗部である。


 これまでも教会の在り様を改革しようと言う動きはあった。ドラゴニア大陸中央部において聖竜教会の信徒は極めて多い。聖竜教会は、信徒には手厚いもののそれ以外の教徒には排他的である。


 とりわけこれが顕著であったのがエルサス聖王国である。時の王家は聖竜教会の権威を後ろ盾に権力の地盤を固めた。そして聖竜教会を崇めていない種族――獣人族やドワーフ族などを奴隷の身分に落とした。これが二百年ほど前のエルサス聖王国建国の出来事である。同じ奴隷階級に落とされたエルフ族は森の奥深くに引きこもり、俗世との関わりを立った。


 初代エルサス国王のこの政策については、現在も評価が分かれる。鉱山や水運、農業など、安く扱える労働力が必要であったのは事実であるし、それなりに高い値がついていた奴隷が乱雑に扱われることが少なかったのもまた事実である。


 問題は三十年ほど前、現国王ナザールが奴隷解放令を発布した後のことである。


 この奴隷解放令には信仰の自由も含まれていた。というより、これが主たる目的であるというのが聖竜教会および国内貴族の見方である。国王ナザールは論理教徒が扱う魔術や魔導具に注目しており、国益のため、公にこれを研究させたかったのだ。その証拠に王立魔術師養成所の設立もほぼ同時期に行われている。


 しかし、奴隷解放令が発せられたと言っても、ことはそう簡単ではない。


 奴隷たちには自由がなかったが、衣食住は保証されていた。労働環境のいい場所では給与や休息日も与えられていたほどである。それが突然禁止になったのだから、当然職にあぶれる者たちが数多く出現した。これは国王ナザールにとっても誤算だった。


 ドワーフたちは元々職人奴隷であったから、すぐ職を見つけることができた。問題は、獣人族や、下層階級の人族である。職に就くことができなかった彼らがどうなったかと言えば、野盗に身をやつすことになったのである。


 言うまでもなく、エルサス聖王国の治安は大幅に悪化した。


 そこで問題になったのが聖竜教会の対応である。


 当時、聖竜教会が職を失った人々に手を差し伸べたか?


 応えは否である。


 理由は単純だ。聖竜教会に帰依しない人々であるからだ。


 もちろん、この聖竜教会内部でもこの対応について多くの議論がなされ、内紛も起こった。


 そこで登場するのが「教会の影」である。


 彼らは当時の教会の方針に反する者たちを、次々と葬っていった。彼らがそのやり方に疑問を感じることはない。幼い頃からそのように教育されているのだから。それは半ば『刷り込み』にも近く、疑問を持つ、という発想すらなかった。場合によっては魔法的な契約で行動を縛られている場合もあった。


 これにより、多くの聖職者が命を落とした。『大粛清』と呼ばれる当時の出来事は、教会の内々で今なお語り継がれている。


 教会が未だに排他的であるのはこれが原因だ。聖竜教会の司祭は、例えば死にかけている子供が目の前にいようと、その子供が異教徒であるのなら治癒の術を施さない。それは教会上層部の意志に反する行いであり、異端たる行為であり、ともすれば『影』に命を狙われる可能性があるからである――。


 さて、この度その『影』がリュヴェルトワールという田舎町に差し向けられていた。


 名を、カラス。姓はない。二十代前半の、女にしては上背の高い暗殺者である。


 漆黒の髪に漆黒の瞳、顔立ちはそれなりに整っている方だろう。だが職業柄目付きは鋭く、漂う死の気配は隠しきることができない。


 カラスはこの地域一帯を管轄する大司教バルトロメオ直属の『影』だ。「諜報活動」もやれば「殺し」もやる。同じ聖竜教会に属する人々からも『影』は恐れられる存在であり、実際戦闘に長けた僧兵に勝る戦闘能力を有している。


 『影』の任務は概ね後ろ暗いものだが、カラスは特に気に留めたことがない。身寄りのないカラスには他に生き方がない。人を殺すのも、欺くのにも、もう慣れた。


 そんなカラスに下された任務は魔術師リュイ・アールマーの監視、および排除だ。


 リュイ・アールマーという魔術師が大司教バルトロメオにも解くことができなかった伯爵令嬢アンゼリカの呪いを解いた。この話は教会上層部にすでに知れ渡っており、バルトロメオの立場は悪くなっている。


 近頃はただでさえエルサス聖王国内における聖竜教会の求心力は弱体化しているのだ。


 奴隷解放令に次いで、論理教と魔術師たちの台頭。そして信徒以外への冷たい対応から聖竜教会は信用を失っているのだ。


 この状況に霊峰エルーアを守る枢機卿は静観を決め込んでいる。大司教であるバルトロメオ一人が焦っている状況なのだ。


 そこへきて論理教の導師、リュイ・アールマーの登場である。聖竜教会の大司教が治療できなかった伯爵令嬢の目の病が一介の魔術師の手により快癒したことで、いよいよ大司教の立場が危うくなっている。


 そこで派遣されたのがカラスだ。聖竜教会の聖職者の多くは魔術を知らない。理解しようともしない。カラスは現実主義者だから、その原理原則がまるで異なることを知っているが、聖竜教会の老人たちは違う。魔術と竜祈法は似たようなもので、魔術の秘密を盗めば竜祈法でも同じことができると信じている。――少し調べればそんなことは不可能だとわかるのだが、頭の堅い老人たちには理解できないらしい。


 まあ、カラスにとってはどちらでも良いことだ。『影』として育った以上、任務を果たさねば生きていけない。そういう制約(ギアス)がかけられている。命令に背けば、死ぬしかない。


 リュイ・アールマーは商店街区の片隅にある古民家に暮らしているらしい。近頃はあの“隻腕の”ウィードが護衛についていることもあったようだが、最近は伯爵家の嫡男と獣人族の少年とつるんでいることが多いようだ。


 リュイ・アールマーは“天啓”という二つ名がつくほどの魔術師のようだが、魔術を放つにはタイムラグがある。不意を突けば暗殺者にとって殺すのは容易い。しかも調べたところによると身体能力はかなり低いらしい。


 ――しかも暮らしているのはなんの防備もない古民家だ。


 殺すと決まったなら簡単な仕事である。とは言えまず「呪いを解いた方法」を探らなければならない。聖竜教会の聖職者が使う竜祈法と異なり、魔術は繊細だ。ましてやリュイ・アールマーは王都なら知らぬ者はいないほどの天才である。――本来ならこんな田舎町にいるのがおかしいのだ。従って、実力ではなく政治手腕で大司教に上り詰めたバルトロメオには絶対に真似などできないとわかってはいるが、仕事は仕事。命令は命令。任務は任務である。


(それに個人的にも興味はある)


 “天啓の”リュイ・アールマー。その実力。大司教の顔に泥を塗ったからには、危険は承知の上だろう。それでも護衛を置いていない。であれば何か『仕掛け』があるに違いない。


 カラスにも魔術師とやり合った経験がある。だがどれも容易な仕事だった。背後から首を切り裂いてやれば数秒で命は途絶える。人を殺すのは簡単だ。それが魔術師であれ、貴族であれ、聖竜教会の聖職者であれ。


 カラスは黒ずくめの衣装で闇に紛れてリュイの自宅に近づく。人気はない。しかし二階の窓から明かりが漏れている。耳を澄ますと少年たちの話声が聞こえる。――騒がしくもないが、親しげではある。獣人の少年はともかく伯爵令息がいるのならば面倒だ。今日は侵入――あるいは暗殺は見送った方がいいだろう。


調べたところによるとこの古民家は、この街の商家、ネム一族の持ち家らしい。リュイ・アールマーは爵位を金で買えるほどの資産を有していると言うから、もっといい家を借りる――どころか家の一つや二つ軽く買えるだろう。その点も奇妙ではある。


(魔術師の考えることは解らない)


 そう胸中で独り言ちながら、カラスは長い黒髪を撫ぜる。これはカラスの武器だ。カラスは竜祈法の得意な方ではない。だから代わりに長い黒髪に念を込めた。細く丈夫な黒髪は、竜祈法の身体強化を応用すれば鋼よりも頑丈になる。


 カラスは小さな古民家から、庭に視線を移した。


(庭だけでも探ってみるか?)


 そう考えて、カラスはその考えを頭から振り払う。


 家屋の大きさに対して、庭は広い。民家にはお決まりのプラムの木と、数種のハーブ類、そして――棘のあるバラ科の植物が植えられている。夜の庭は静まり返っている。植物が眠るかどうか、そんなことをカラスは知らないが、何か『生きた気配』――いや、『視られている』と感じるのだ。


 命を削り合う任務の中で培った感性――それがカラスに危険信号を告げている。


(庭にも迂闊に立ち入るべきじゃない。希代の天才魔術師が、何の備えもしていないとは思えない)


 リュイ・アールマーの自宅に不用意に侵入すべきではない。直感からそう考えたカラスはやり方を変えることにした。


 まずはリュイ・アールマーの身辺を探るべきだろう。遠回りに思えるが、それが結果として近道になることもある。


 カラスは一時撤退を決意し、闇に溶けるように姿を消した。


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