(10)また会う日には法廷で
「はあ!? 誘惑!? わたしがあいつを!?」
アンゼリカが落とした爆弾に、サフィーリュは目を剥いた。確かに連れ戻せと命令は受けているし、幼馴染で手のかかる弟のような目で見てはいたが、リュイに対して恋愛感情など抱いたこともない。ハーフエルフの成長速度は普通に人族よりもゆっくりだ。サフィーリュからすれば、リュイなど子供にしか見えない。彼女に稚児趣味はないのだ。
「他にどんな理由があって魔術師の女がリュイ様に近づくと言うのです!」
アンゼリカはきっぱりと言い切った。リュイは確かに美形なのだが――この貴族令嬢にはあの少年魔術師がどのように見えているのだろうか。魔術に関しては王国で並ぶものなしの技術と知識を持ち家事も礼儀作法も完璧だが、性格は少々陰険なところがあるし、運藤神経に関しては壊滅的だ。
恋は盲目というけれども、この少女はずいぶん思い込みが激しいようだ。
「わたしは王家からの依頼でリュイを連れ戻しに来ただけよ。別に誘惑しようだなんて― ―」
サフィーリュは努めて冷静に事情を説明しようと試みるが、
「王家に連れ戻してリュイ様とキャッキャウフフするつもりなのでしょう! あなたの不埒な願望なんてわたしにはお見通しです!」
興奮状態に陥ったご令嬢は全然話を聞いてくれないのである。
そうこうしている内に周囲にはなんだなんだと野次馬が集まり始めていた。
「キャッキャウフフなんてするわけないでしょう! そりゃまあ、子供の頃は家族ぐるみの付き合いでしたけど!? 養成所に入ってからはライバルで、全然仲悪かったんですからね!」
サフィーリュは元々気が短い質だ。つい相手と同じテンションで言い返してしまう。
ライバルとは言うが、リュイは使える魔術に偏りがあっただけで、技術、座学とも歴代卒業生の中で断トツトップの成績だった。サフィーリュは必死で対抗し、何かと突っかかっていたのだがまるで相手にされていなかったのである。
幼い頃のリュイは体の小ささと女の子のような顔、そしてハーフエルフであることからからかいの標的にされていた。が、とにかく頭の回るリュイは毎度毎回、親兄弟、教師や覚えたての魔術など使えるものはなんでも使って手酷いしっぺ返しを相手に加えるものだから、次第に学習した悪ガキたちはリュイをからかうのをやめた。
普通ならここはサフィーリュが「幼い頃はいじめられっ子だったリュイを庇っていた」と言いたいところなのだが、そんなフラグは一切立っていないのである。
むしろ実家が貴族であるうえ、養成所時代何かと突っかかっていたので悪役令嬢ポジションである。リュイは男子学生からも告白されるくらい華奢で可憐だったから猶更。
しかしそこはアンゼリカ・ル・トワール。
思い込んだらまったく話が通じないのである。
「なんですそれ!? マウント!? 幼馴染マウントですか!? わたしはあんたよりあの子のこと知ってるのよ、的なあれですか!」
「違うわよ! あなたはあいつの腹黒さを知らないでしょう! 小さい頃も養成所に入ってからもいじめっ子には陰湿かつ悪辣な仕返しをしてきたんだから!」
「リュイ様……専守防衛主義でいらっしゃるのですね……なんてお優しい!」
「話がまったく通じない……!」
くっ、とサフィーリュが歯ぎしりすると後ろにいるアンゼリカ専任であろうレディメイドが憐憫の眼差しを向けてくる。
それを見てサフィーリュはささっと指と手を動かす。ハンドサインである。
『この娘いつもこんな調子なんですか?』
それに対してメイドもハンドサインで応じる。
『元から夢見がちで思い込みの激しい方ではあるのですが、リュイ様に助けられてからはずっとこの調子で……影となり日向となりリュイ様の周りをずっと付き纏っておいでです』
『それはストーカーでは?』
『そうとも言いますが……リュイ様は特段嫌そうにしておりませんし……妹のような感覚で接しておられるのかと』
妹のような感覚で接する友人。論理教徒を絵に描いたような、徹底した合理主義者のリュイ・アールマーが? いや、兄であるエルクラッドと親しくしているようだし、あり得ない話ではないかと思い直す。
まあいずれにせよ奴は外面がいいから貴族の子女相手にわざわざ嫌がる素振りなど見せないだろうけど。
「とにかくリュイとわたしは旧い友人同士ではあるけど、恋愛感情なんて持ち合わせていませんから。ここは引き下がっていただけませんか? あの子を」
「あの子! リュイ様をあの子呼ばわりしましたわよこの女狐! ここぞとばかりに親しい関係アピールを挟み込んでいくスタイルですよ!」
なんだこの地雷原のような娘は。どこで嫉妬のスイッチが入るかわからない。これほど相手にして疲れる人間は貴族でもそうはいない。
サフィーリュはふうと息を吐く。論理教徒たるもの、魔術師たるもの、常に沈着冷静たらねば。例えば目の前にいるのが恋に恋するストーカー気質の夢見る乙女であっても理知的な対応を心掛けねば。
そう気持ちを仕切り直し、
「あの、わたしそろそろ宿に戻って休みたいんだけど……あなたのお兄さんからも『リュイは梃子でもここを離れない』って釘を刺されているの。導師としてのリュイ・アールマーを王都に連れ戻すのは王家からの勅命ではあるのだけれど、長期化も覚悟の上よ。しばらくこの宿に逗留するつもりだからお話の続きは後日にしていただけないかしら?」
アンゼリカの背後でメイドが手で大きく丸を作っている。あのメイドとはいい友人になれそうな気がする。今度休息日にでもお茶に誘おう。サフィーリュはそう思った。
「お兄様が、そんなことを……?」
アンゼリカの表情が固まる。
「確かにリュイ様とお兄様は親しくしてらっしゃるし……今日はリュイ様のお宅に外泊なさるとか……まさかリュイ様とお兄様が……いえ、お兄様は大の女好きでいらっしゃるはずで……でもお姉様が持っていたラブロマンスの中には女好きの王子が騎士見習いの少年に夢中になる話も……」
アンゼリカがなんだか恐ろしいことをぶつぶつと呟き始めた。まあその容姿から男性からも『そういう目』で見られることが多いリュイだが、これまで浮いた話の一つも聞いたことがない。ストーカーやセクハラの話は聞いたことはあるし、追い払うために恋人のフリをしたことはあるが――。
商家の子として養育されてきただけあって世間知らずではないし、着飾ることも好きなので騙されるが、中身は典型的魔術オタクだ。常に新しい術式のことで頭がいっぱいなのだ。どんなアプローチを仕掛けようともすげなくされるのが目に見えている。
というかアンゼリカの姉――確かクローディアと言ったか。王都に婚約者がいると聞いているが、一体全体何を妹に読ませているのだか。
「――これはお兄様を問い質さなければなりませんね」
アンゼリカは意を決したように背筋を伸ばし居住まいを正した。
「リュセット。一度お屋敷に戻りましょう」
アンゼリカが言うと、メイドのリュセットはあからさまにほっとした顔で「かしこまりました」と返答する。アンゼリカは颯爽と踵を返して歩き出し、リュセットもそれに付き従う。
ああ、やっと行ってくれたか。サフィーリュがそう思った瞬間、アンゼリカは立ち止まり振り返る。そしてこう言った。
「この、泥棒猫ッ! 今度は法廷で会うわよッ☆」
バチコーン! ウィンクを添えた捨て台詞であった。多分言って見たかっただけなのだろうが、ウィンクは必要だったのだろうか。その後、サフィーリュは一晩悩んだ。




