(3)サフィーリュと魔術師ギルド
翌朝、朝食を摂ったサフィーリュは魔術師ギルドリュヴェルトワール支部を訪ねることにした。
この街の魔術師ギルドは、領主であるトワール伯爵家が商店街区にある別邸を提供しているらしい。それなりに立派な建物のようだ。
ギルドまでの道を訪ねた宿屋の女将も、意外にも魔術師ギルド――というかリュイに対して好意的なようだった。
事前に聞いていた話では、聖竜教会の大司教でも治せなかった伯爵家侍女――アンゼリカ・ル・トワールの目の病を治療したとのことでリュイの評判はうなぎのぼりのようだった。
昨日出会ったエルクラッド・ル・トワール――伯爵家嫡男も魔術師ギルドに出入りしているらしいし。聖竜教会の発言力が強い土地柄だと聞いていたが、そのパワーバランスは崩れつつあるようだ。
ちなみに女将にシスター・ペトラなる人物には注意するよう口を酸っぱくして言われた。おそらく聖竜教会の聖職者だろうが――一体何者なのだろうか?
宿屋を出て少し歩くと商店街区に出る。特筆すべき産業もなく、ダンジョンも強い魔物も出現しないトワール伯爵領。その玄関口であるリュヴェルトワールは、魔導蒸気船普及の影響で河川港の利用者が減少傾向にあるらしく、商店街区をあるく人はまばらだ。
魔術師ギルドらしき建物はすぐに見つかった。伯爵家の持ち物というだけあってなかな立派な建物だ。サフィーリュは意を決してそのドアを開く。リュイが王都から出てそれほど経っていない――のだが、常に目の上のたんこぶだった相手だ。どうしても身構えてしまう。
ドアを開くとひっつめ髪に眼鏡の女性が書類仕事をしていた。女性はドアの開いた音に気付いて顔を上げると、仏頂面のまま口を開いた。
「――ごきげんよう。魔術師ギルドに何かご用件でも?」
「王都から来た魔術師のサフィーリュ・フランよ。リュイ・アールマーはいるかしら?」
女性は眼鏡をずらし、サフィーリュを品定めするようにじろりと見た。
「導師アールマーにどのようなご用件でしょう」
「それは――話があって来たのよ」
感情のこもらない眼差しと声に、サフィーリュは思わず視線を逸らした。
「話というのは個人的な用件でしょうか?」
「それは――ええと――」
まさか王家の勅命でリュイを引き抜きに来ました――なんて言えるはずもない。
サフィーリュが言葉につまると、女性はふうとため息をついた。
「導師アールマーは街の外で薬草の採取と付近の植生の調査を行っています。帰りは日も落ちる頃になるでしょうから、日を改めておいでください」
「薬草の採取ってどこに――」
「さあ、そこまでは存じかねます」
サフィーリュの問いに対して、手元の書類に目を落とすと淡々とした声音でそう答えた。取り付く島もないとはこのことだ。
「じ、じゃあリュイの自宅を教えてよ。この街で下宿してるんでしょう?」
サフィーリュの言葉に女性は目を眇める。魔術師だからと言っても無条件に信用してくれるわけではない。魔術師の自宅ともあれば、貴重な研究資料を保管していることもある。警戒されて当然だろう。
「――失礼ですが導師アールマーとどのようなご関係で?」
シャルロタの問いにサフィーリュは一瞬言葉に詰まってから、
「お、幼馴染で、養成所の同期よ」
そう答えた。
サフィーリュの言葉に女性は話にならないと言わんばかりに深くため息を吐いた。
「あくまで私的な関係というわけですね。であればわたしからお伝えできることはありません。日を改めてまたいらしてください。その様子では火急の要件というわけでもないでしょう?」
サフィーリュ今度こそ言い返せずに黙り込む。ちょうど同じタイミングで二階から降りてくる足音が聞こえた。
二階から降りてきたのは見覚えのある少年――エルクラッドだ。
「あれ? サフィーリュちゃんじゃーん。一日ぶり。こんなところでまた会うなんて、運命、感じじゃうね?」
「エルクラッドさん。女性に対するその軽薄な態度はどうにかならないのですか」
調子よく手を振るエルクラッドに、事務員の女性が振り返って白けた目を向ける。
「シャルロタさんはお堅いなあ」
そう言ってエルクラッドは唇を尖らせる。
「エルクラッドさんが緩すぎるのです。まあ、緩いのはあなたに限ったことではありませんが」
そう言ってシャルロタは眼鏡の位置を直す。
「エルクラッド・ル・トワール――伯爵家の嫡男がどうしてここに?」
「お? 俺のことに興味ある感じ?」
まさかここで伯爵家の嫡男と遭遇するとは思っていなかった。サフィーリュの疑問に、エルクラッドがますます調子付いて喜色を浮かべる。そんなエルクラッドを無視してシャルロタが事情を説明した。
「このギルドでは読み書き算術を教えているのです。エルクラッドさんはその手伝いにいらしてるんですよ」
「読み書きを?」
それは聖竜教会の役割ではないだろうか。シャルロタの説明にサフィーリュは思わず首を傾げる。
「ああ。リュイの提案でな。昼食を出すって言ったらどんどん人が集まってきてな。最近は生徒の数も増えて大変だよ」
エルクラッドはそう言って肩を竦めた。とはいえ決して嫌そうではないあたり、それなりに楽しんで取り組んでいるのだろう。
「でもトワール伯爵家は聖竜教徒よね?」
サフィーリュが眉をひそめて当然の疑問を返す。聖竜教会は他の信仰に対して排他的だ。聖竜教会の発言力が強い土地で、その領主の嫡男が魔術師ギルドに出入りしているというのは問題にならないのだろうか。
「あー、その辺は色々あってな」
エルクラッドは言葉を濁す。もしかしなくとも、伯爵家の次女の病をリュイが治療した、という話と関わりがあるのかも知れない。ただエルクラッドの言い様はどうもそれだけが理由ではないような気がした。
「エルクラッドさん、そのお話は」
「わかってますって。シャルロタさんは心配性だな」
眉間に皺を寄せて釘を刺すシャルロタにエルクラッドはへらへらと笑って見せた。
「――しかしあれだな、ホントにリュイの言う通りになったな」
しばし間を置いて、エルクラッドが思い出したようにぽつりと零す。
「どういうこと?」
サフィーリュが眉をひそめる。
「いやな。あいつの占術でサフィーリュ・フランって魔術師の女の子が今日ここに来るって」
エルクラッドが腕を組んで状況を説明する。リュイ・アールマーは天才魔術師だ。その技量は魔道具の製作や魔法の解呪、霊薬の精製、そして占術など様々な領域に渡る――。
「……」
エルクラッドの言葉にサフィーリュの表情が硬直する。
「あ、あいつ――」
サフィーリュの肩がふるふる怒りに震える。
「あいつ! あの女男! わたしが来るのわかってて逃げたわね! ド畜生! わたしだって人探しの術くらい使えるんだから!」
突然両の拳を握って大声を出したサフィーリュにエルクラッドとシャルロタは目を丸くする。
「覚悟なさい! 目にもの見せてやるんだから!」
そう言って踵を返すと、どすどすと床を踏み鳴らし、肩をいからせて魔術師ギルドを去っていった。
その姿をしばらく茫然と見つめていた二人だったが、先にシャルロタが我に返った。
「ああ――エルクラッドさん? 何か問題でも?」
「ああ、紙が大分減ってきたから――」