(2)サフィーリュと青い鳥
リュヴェルトワールに着いたサフィーリュは宿に荷物を預けると、その足で食事に向かうことにした。リュイはよく口の回る少年だ。サフィーリュが王都に戻るよう説得してものらりくらりとかわされるのが目に見えている。
リュイと舌戦することを考えればそれだけで気が重くなる。
とりあえず今日は食事をとって宿で休み、リュイと会うのは先送りにすることにした。サフィーリュの悪い癖である。
基本的に、エルサス聖王国の夕食は質素だ。チーズやサラミをおかずにしてパンを食べるという冷たい食事が主である。
だがサフィーリュは温かい料理が恋しくてたまらなかった。ここ最近は冒険者として各地を巡っていて、中々温かい食事にありつけていなかったのもある。
サフィーリュは宿の女将に温かい食事を取れる店を訪ねると、『青い鳥の止まり木』亭という店を紹介された。知る人ぞ知る穴場らしい。
もう日はすっかり陰り、時刻は夜を回っている。空腹を訴える腹を気合で黙らせながら、サフィーリュは教えられた店へ向かった。
『青い鳥の止まり木』亭は穴場と言わればなるほどというような、こぢんまりとした店だった。サフィーリュがドアを開けるとカラカラとベルが鳴り、カウンターの中で作業をしている店主がちらりとこちらに視線を向け、
「いらっしゃい」
と素気ない調子で言った。
「子羊のパプリカ煮込みとロールパンを」
「はいよ」
サフィーリュは壁に張り出されたメニューからその二つを選んだ。今はとにかく胃の中を温めたかった。
大鍋で調理されていた煮込み料理は、五分と待たずサフィーリュの前に並べられる。
サフィーリュはラム肉を木の匙ですくうと、口の中に放り込む。
(あ、美味しい)
羊肉特有の臭みは香草とスパイスで抑えられ、トマトと野菜の甘味が肉に染みわたっている。じっくり煮込まれた肉は柔らかく、口の中に入れるとほどけるようだ。
「お嬢さん、見ない顔だね」
そんなサフィーリュに声をかける者がいた。振りむいてみるとまだ若い――少年と青年の境目にいるような年頃の少年だった。ブラウンの髪に青い瞳。だらしないように見えてどこか育ちの良さを感じさせるのは、仕立ての良い服装のせいか。
「旅行? それとも冒険者? どちらにも見えないけど」
勝手に隣の席に座ってにこにこと話しかけてくる少年に、サフィーリュは白けた声で答える。
「あなたに答える義務はないと思うけれど」
助けを求めるようにちらりと店主の顔を覗うが、こちらを見もしていない。この少年が無害なのか、あるいは単純に興味がないのか。
「ははは、そうかもね。でも綺麗な女の子がいたら声をかけるのが男の性っていうか、義務じゃない?」
少年はサフィーリュの冷たい態度を爽やかに笑い飛ばした。店主がちらりとこちらに視線を向けて、小さくため息をついている。この様子ではいつものことなのだろう。
どうにも調子の狂う相手である。サフィーリュは美少女ではあるが、人当たりのいい性質はしていないし、元貴族という特殊な立場もあって養成所では腫物扱いであったのだ。このように親しげに接してくる相手には、どうにも慣れない。
サフィーリュが戸惑っていると、少年がずいと身を乗り出してきた。顔が近い。この少年、よく見ると美形だ。
「当ててあげよう。キミは魔術師で、リュヴェルトワールには仕事でやってきた。大方リュイを本部か王都かに連れ戻しに来たってところじゃないかな?」
見事に言い当てられてサフィーリュの表情が強張る。
「その顔見ると当らずとも遠からずってところかな」
「ご想像にお任せします」
サフィーリュは楽しそうに微笑む少年から顔を逸らすと、しかめっ面を作ってロールパンをちぎり、口元に運ぶ。
「そんな警戒しないでくれよ。俺は街のごろつきってわけじゃない。トワール伯爵家の長男、エルクラッド・ル・トワール」
サフィーリュのそんな反応にもくじけずに、少年が朗らかな声で名乗る。
その名乗りにサフィーリュの動きがぴたりと止まる。
「おっ、興味出てきた感じ?」
「……貴族の方を邪険にはできませんので」
サフィーリュは食事の手を止めてため息をつくと、喜色を見せたエルクラッドの方へ向き直る。
「それで、伯爵家のご嫡男がわたしに何の用です?」
相手が貴族とわかっても、サフィーリュの声音と態度は冷たく尖っている。トワール伯爵家の面々はあまり王都に顔を出さないから、サフィーリュもエルクラッドは構わず話し続ける。
「いや、ね。伯爵家としてはリュイを連れ戻されたら困るんだよね。この街で唯一の魔術師だし。代わりにキミが駐在してくれるっていうんなら、文句はないんだけど」
「まさか」
サフィーリュは首を横に振る。各地の遺跡を回って古代魔術を研究する冒険者魔術師だ。リュイのように一つの支部に腰をおろすなんてそれこそあり得ない。
「まあ、リュイが戻りたいっていうなら伯爵家としては口を挟めない。あいつには恩義があるから。ただ――」
「ただ?」
「リュイの意志を無視して強引な手に出るなら伯爵家が敵に回るから、その点は覚悟しておいてね。サフィーリュ・フラン殿?」
「!」
今度こそサフィーリュは瞠目する。なぜこの少年は自分の名前を知っているのだ。トワール伯爵家は典型的な地方貴族で、王宮の情勢には疎いと聞いていたのに。
「じゃ、俺はこれで。カクールさん、お代はツケにしといて」
サフィーリュの動揺を知ってから知らずか、そう言うとエルクラッドは席を立つ。
「まーたそんなことを……親父さんに叱られるぞ」
店主――カクールが呆れた顔で言う。
「俺のツケなんて母上の妙な蒐集癖に比べたら微々たるもんだよ」
そう言ってエルクラッドは肩を竦めた。
リュヴェルトワールの住人には知られた話であるが、マーシェリー伯爵夫人には珍妙な骨董品や芸術品を蒐集するという悪癖があり、夫の頭を悩ませている。
「ま、リュイはテコでもこの街を出ないだろうけど。頑張ってね。サフィーリュちゃん」
そう言って機嫌よく手を振るとエルクラッドは店を出て行った。
「テコでも動かないってどういうこと……?」
サフィーリュは眉をひそめる。
この田舎町に何かあると言うのだろうか。ちらりと店主に視線を向けてみるが、彼は何も言わず肩を竦めるだけ。
「ああ、もう――わけわかんない!」
サフィーリュはとうとう頭を抱えて、机に突っ伏してしまう。
王家から直々に命令を受けている以上、なんの成果もありませんでしたでは帰れない。自分だって一刻も早く成果を出したい――認められたいのに。サフィーリュはぐぬぬと歯がみする。
サフィーリュは苛立ちをぶつけるように、勢いよくパンに食らいついた。