(39)夢の中へ・上
魔術師ギルドリュヴェルトワール支部に与えられたトワール伯爵家の別宅はそれなりの広さだ。リュイの研究室はもちろん、広間では読み書きのできない人々に教導を行う十分なスペースがあり、待合室、事務室、応接室、書庫も用意されている。
そして本格的な魔術を行うための施術室――。
綺麗に整えられた部屋には様々な魔術の道具が並べられている。道具そのものだけを考慮するのであれば、リュイは施術室を利用する必要がない。彼は特殊な魔道具――亜空間と繋がったケープを所有していて、そこに一通りの道具は納めて持ち歩いているからだ。
しかし大がかりな魔術を使うとなるとそうはいかない。空間全体の波長を整え、呪文だけでなくある程度以上の面積を有した魔法陣を構築する必要がある。
今回行使するのはアンゼリカの潜在意識とリュイの表層意識を接続し――簡潔に言えば夢の中に入り込む術だ。術が効果を発揮している間は術者も被術者も無防備――睡眠状態に入る。
リュイはこの日のために急ピッチで準備を整えてきた。火風水土の四大元素はそれぞれ東西南北の方位に対応しており、方位を正確に計測し貴石や護符などを配置することである種の結界を張ることができる。それは魔術の行使において外部からの妨害を防ぎ、術式を安定させる効能がある。結界術としては基礎中の基礎だが、これをいかに強固に、かつ安定して構築できるかで魔術師の実力がわかるのだ。――見る者が見ればだが。
施術室の床には砕いたアメジストの粉を使った絵具で精緻な魔法陣が描かれている。第五元素をスタート地点として描かれた正五芒星。縁で囲われた空白と中央の五角形の部分には無数の魔術文字が書き込まれている。
「さて、準備は完了だね、パッフ」
「ぷう」
リュイは肩に乗った自分の使い魔に声をかける。この術を使うのは二度目だ。一度目、初めて実際の魔術を行使した時は問題なく成功した。魔術狂いが多い養成所では自主的に実験体に手を上げる者も少なくなく、そこはまるで問題なかったのだが――今回は少しばかり事情が異なる。
ただ潜在意識の中に入り込むだけではなく、その中に潜む夢魔を排除しなければならない。
つまり夢の中で戦うと言うことだ。
こればかりはリュイ自身にも経験のない――いや、魔術師の世界でも前代未聞のことであろう。
これが夢だと理解して見る夢は、思うままに想像を実現することができる。その上リュイは精神や魂を司る第五元素の使い手だ。
戦う方法はいくらでもある。だが不安はぬぐえない。だがその不安を被術者やその家族に見せるわけにはいかない。
リュイは知らずに強張っていた頬をパンと叩いた。
それからしばらく待たずに、部屋がノックされる音が聞こえる。
「どうぞ」
ドアを開けたのはいつも通りの仏頂面をしたシャルロタだ。
「リュイさん。アンゼリカ嬢とそのご家族がいらっしゃいましたよ」
「ここにお通してください。あ、シャルロタさん」
「なんでしょう?」
「僕は、いつも通りの僕かな?」
リュイがそう問うと、シャルロタは口元に小さな笑みを浮かべて言った。
「ええ、いつも通り。煮ても焼いても食えそうにないお顔ですわ」




