ゲームセンター
通りを歩いていると、いつもより多くの笑い声が聞こえる。
時間は23時手前だというのに、お洒落な身なりの人が円を作って大声で笑っていた。この通りは居酒屋が多いこともあり、よく見る光景ではあったが、今日は特に多い。円の数だけでなく、一つの円の人数も普段は五人ほどだが、今日は十人規模だ。
その円から出来るだけ距離を取り、足早に歩く。やはり、今日は家にいた方が良かったかと後悔する。しかし、あのまま家にいても、惨めな気持ちが溢れるだけだ。
今日は成人式があったのだ。あの円はきっと、成人式が終わって、同窓会をしていたのだろう。
会社の上司から言われた事を思い出す。
「成人式は行った方が良いぞ。人生で一度しかないんだからな」
前から言われていた事だが、わざわざ当日にまで言わなくても良いだろう。元々、行く気もなかったし、あまり気にはしていなかったが、朝から袴姿やスーツ姿の人を見ると、少し心に引っかかるものがあった。帰り道ではスーツやドレス姿の人達が多くいて、ひどく惨めな気持ちになった。みんな、自分と同じ年とは思えなかった。周りが大人になっていく中、自分だけが昔のままのような気持ちになった。
あの二人は、成人式に行ったのだろうか。きっと行っていないだろう。そんな事を考えながら、ゲームセンターの自動ドアを抜けた。
大型のゲームセンターと言っても、普段から人は少なかった。このゲームセンターや居酒屋が並ぶ通りも、10年前までは賑わっていたが、今では当時の半分もいかないほどに人が減っていた。特に、23時から閉店の24時までは人がいない時も珍しくない。
ゲームセンター内は外と比べ物にならないくらい、騒がしかった。様々な音楽やキャラクターの声が聞こえる。煩いはずのその音に、少し安心した。
自分が目指す音楽ゲームのあるフロアの三階までは細いエスカレーターで上る。クレーンゲームやプリクラのある一階を過ぎると、メダルゲームが置かれる二階からは一気に暗くなり、ゲーム機から漏れる光だけになる。
エスカレーター横の壁に貼られた鏡には、スウェット姿の自分が写っていた。今日、散々見てきた自分と同じ年の人達と比べると、何とも言えない情けない気持ちになり、鏡から目を逸らした。
三階に着くと、迷わずに一番奥にあるゲーム台に向かう。
目的のゲーム台は二台あり、二台のうち一台には先客がいた。自分がゲーム台につくと、先客の男が丁度一プレイ終わったところだった。
「おはよう」
俺が声をかけると、「おはよ」と返す。鳴り響く音楽の中で、男の声は今にもかき消されそうだ。男が続けて口を開けると、プレイしていたゲーム機から「スコア、C」という大きな声が聞こえた。相変わらず低いスコアで笑ってしまう。
男の名前は湯村。細身で身長は高く、すらりと伸びた長い手足はモデルのようだ。しかし、その長い手をうまく使えないのか、ゲームは不得意らしい。重い黒色の髪は癖があり、いつもどこかしら跳ねている。
湯村がもう一度口を開いたため、俺も耳を傾ける。
「鹿江君、コンビニに水買いに行った」
次は機械に邪魔される事なく、しっかりと伝わった。直ぐ後ろに自販機があるんだから、そこで買えば良いのにと思ったが、鹿江のことだから、十円でも安いコンビニへ向かったんだろう。
俺は頷いて、湯村の隣のゲームに百円を入れた。
俺と湯村がプレイしているゲームは、アーケード音楽ゲームだ。ゲーム画面が表示される液晶ディスプレイの手前に、 タッチパネルが設置されており、画面奥から手前に流れてくる「ノーツ」に合わせてタッチするリズムゲームだ。一回で三曲プレイすることができる。
早速、自分の好きな音楽を選びプレイを始める。画面を見ながらでも、左で無駄に大きく動いている湯村の長い手が気になって仕方がない。
一曲目が終わると、画面には「スコア、SSS」と表示されていた。横からは「スコア、C」と無駄に大きな音で流されていた。湯村は画面に食いつくように、悔しそうな表情をしている。これが初めてなら分かるのだが、俺が知っているだけでも、湯村は一年以上このゲームをしている。少なくとも、始めたのは俺よりも早かった。見慣れた湯村の表情を横目に、二曲目を選択した。
三曲目が終わり、後ろを見ると、順番を待つ人の為に用意された椅子の上に鹿江が座っていた。
鹿江は膝の上にリュックを抱えて、俺と目が合うと小さく手を挙げた。鹿江の隣は行き、「代わるよ」と目で合図した。しかし、鹿江は首を振って「今日は見学」と言い、続けて「今日もこのフロア、俺たち三人だけだよ」とおかしそうに言った。俺は「そろそろ潰れるんじゃないか」と返し、ゲーム機に戻り、再び百円を入れた。
鹿江と湯村とは、このゲームセンターで会ったのが初めてではない。同じ高校の同級生だ。同級生と言っても、同じ教室で過ごした事は殆どない。何故なら、俺たちは通信制高校の同級生だからだ。年に数回、一週間だけ登校して、普通の高校のように六時間しっかりと授業を受けるスクーリング、レポートを提出する日、試験の日しか顔を合わせる時がなかった。鹿江とは、たまに話していたが、湯村とは一切話したことがなかった。
初めて湯村と話したのは、高校を卒業して半年程経った頃だった。たまたま入ったこのゲームセンターで、丁度このゲームを湯村がプレイしていたのだ。暗いゲームセンターで、初めは湯村と気付かず、普通に隣でプレイしていた。しかし、あまりに大袈裟でリズム感のない手の動きが気になり、一ゲームを終えたところで、さり気なく隣を見たら、湯村だとわかったのだ。お互い顔は知っていたので、そこで話しているうちに、気がつくと、いつも隣でゲームをするような仲になっていた。23時から閉店の24時まで、特に約束もしていないが、週に二日は会っていた。特に日は決まっておらず、俺は自分のタイミングでここに来ているが、湯村は必ず、この時間、このゲームの前にいた。理由も特に聞くことなく、こんな関係は一年以上続いていた。
鹿江は月に一回ほど、このゲームセンターで会う。初めて会ったのは通い始めてから半年くらい経ってからだ。湯村曰く、月に四回ほど来ているらしい。
二人と会っても、特に会話はしない。会話をしようと思っても、音楽やゲームの音で全て掻き消されてしまう。それに、二人は会話を求めていなかった。だから、毎回ゲームセンターの閉店と同時に解散する。
そして、今日はその月に一回の三人が揃った日だ。
一曲目が終わり、二曲目を選択していると、突然、「パチッ」という音と同時に、一瞬にして視界が暗闇に覆われ、音が全て消えた。何が起きたのか、直ぐには理解できなかったが、湯村の「停電だ」という声で事態を把握した。
「鞄から手を離さない方が良いよ。もしかしたら、誰かに盗られるかもしれないし」
湯村の落ち着いた声に返事をするように、後ろからリュックを握り締める音が聞こえた。自分も、足元のカゴの中に入れていたウエストポーチを肩に掛ける。
暗闇よりも、音のない状況が恐怖心と不安を煽った。元々、ゲーム機械以外の電気がないこのフロアは、普段から暗いため、暗闇には目が慣れていた。それでも完全に光が無い状態は少し不安だ。しかし、それ以上にこの無音の状態が嫌に胸を騒がせた。
三人の間で沈黙が流れる。一年以上、一緒にゲームをしている仲だと言うのに、いざ声が届く距離になったら話す事が無い。こういう沈黙は苦手だ。何か言おうと思っても、上手く言葉が出ない。
「伊崎、何かあったか?」
隣から湯村の声が聞こえた。俺は「え?」と、拍子抜けた声を出した。
「勘違いだったら悪いんだけど、いつもより元気なさそうに見えたから」
湯村の声がはっきりと聞こえる。こんなに鮮明な湯村の声を初めて聞いたかもしれない。
適当に誤魔化そうとしたが、気落ちしていたのは確かだった。それを隠すのも違うと思い、口を開いた。
「二人はさ、成人式には行った?」
直ぐ後ろから、「成人式?」という鹿江の声がする。
「ほら、今日成人式あっただろ」
「え、今日成人式だったの?」
鹿江は嘘をついている様子もなく、本当に知らなかったようだ。
「湯村は?」
「俺は行かなかったよ。伊崎もその様子だと行ってないんだ」
「うん、まあ」
自分でも呆れるほどに歯切れの悪い返事をする。
「行きたかったの?」
湯村の声の調子からは感情が分からない。
「別に、行きたいとは思わなかったよ。会いたい人もいないし。ただ、普通だったら行くのかなって思ってさ」
二人が何をしているかは分からないが、話を聞いてくれている事は確かだった。
「俺は、誰かに「行け」って言われても、きっと行けなかった。行けない人の「行かない」と、行こうと思えば行ける人の「行かない」だと意味が違うなって」
自分がどっちの方向を見ているのかも分からなくなってきた。むしろ、この場にちゃんと立っているのか、それすら曖昧になってくる。
「今日、仕事終わって家に向かってたら、成人式終わりの人が沢山いたんだ。みんな俺と同じ年なのに大人っぽくて、楽しそうで。自分はあそこには入れないって実感したよ」
凄く惨めな気持ちになった。その言葉は無理矢理押し込める。
二人は黙ったままで再び沈黙が流れる。
「ごめん、変な事言ったな」
勝手に二人に共感を求めていた。同じ通信制高校卒業で、普通の高校に通えなかった同士、自分と同じ感情を持ってくれていると、勝手に期待した。
「なあ伊崎、今俺が着てる服の色、分かる?」
鹿江の突然の問いに驚き、声のする方を向く。そして、鹿江の着ていた服を思い出そうとする。ついさっきまで見ていた鹿江の服だ、思い出せるはずだ。
しかし、色どころか服の形すら思い出せなかった。
「覚えてないよね。伊崎にはどうでも良い事だから。俺の服が何色でも、伊崎には関係ない。でも、きっと電気が付いた時に伊崎は俺の服を見ると思うよ」
鹿江の言いたい事が分からない。
「目に入ったから気になるだけだよ。今日も成人式だって知ってたから、スーツや袴の人が目について、その人達ばかり見てしまっただけ」
それから小さな声で「俺も、今日が成人式だって知ってたら、きっとそういう人達ばかりが目に付いて、自分を惨めに感じてたと思う。外にも出られなかった」と続けた。
鹿江がそんな風に感じていたとは意外だった。他人や行事には一切興味が無いと、勝手に思っていた。
「鹿江君の言う通り、目に見えるから気になるんだと思うよ」
直ぐ隣から、湯村の声が聞こえる。
「俺は見なかったから。見ないようにしてたから。夏祭りみたいに、行っても行かなくても、大して変わらないって思い込むようにしてた」
落ち着いた声と、淡々とした話し方から、湯村がどんな顔をしているのか、全く分からない。むしろ、この声と、俺の見ていた湯村のイメージが一致しない。
「実際、大して変わらなかった。過ぎてしまえば、成人式という儀式すら忘れてたよ」
笑っているのか、声のトーンが高くなる。そして、小さな声で「だからさ」と続ける。
「目に見える関係や場所が全てじゃないと、俺は思うよ」
はっきりと、噛み締めるように言った湯村の声は、二人の耳にしっかりと届いていた。
その言葉に小さく頷いたが、この暗闇の中ではその姿は湯村には届かないだろう。だから、声を出して返事をしようとしたが、何も言えなかった。ただ、もう一度頷いた。
「それにしても、停電時間、長過ぎない?」
そう言い出したのは湯村だった。
「伊崎と鹿江君がどの辺りにいるのかはなんとなくわかるんだけど、ゲーム台がどこにあるのか……。あっ痛い」
拍子抜けした湯村の声と、機械にぶつかる音が隣から聞こえる。
言われて気づいたが、この状況に慣れている自分がいた。初めは分からなかった二人の居場所や距離感は、声でなんとなく分かるようになっていた。
「人間は視覚に頼り過ぎてるんだよ」
鹿江が子供のような口調で言ったのがおかしくて、吹き出してしまう。
気が付けば、暗闇に慣れ、初めは分からなかった二人の居場所や距離感は、声でなんとなく分かるようになってきた。
「特に伊崎は視覚からの情報に頼り過ぎてる」
鹿江の言葉に湯村が笑う。
「湯村君は年上だよ」
「え!?」
自分でも情けない声が暗闇に響く。
湯村が年上?年齢が分からないのは通信制高校だったら多い話だ。同級生全員が同じ年とは思っていない。実際、いろんな年層の人がいる。しかし、湯村は高校の時からずっと同じ年だと思っていた。見た目から同じ年だと勝手に勘違いしていた。今思えば、停電した時に一番落ち着いていたのは湯村だった。
「湯村、君」
流石に年上の人に呼び捨ては抵抗がある。
「いいよいいよ、今まで通りで。急に距離ができたみたいで、悲しくなるから」
湯村が寂しそうに言うので、「お言葉に甘えて、今まで通りで」と返すと、嬉しそうな声で「ありがとう」と返ってきた。
「鹿江は、いつから知ってたの?」
「高校に通ってた時からだよ。スクーリングとか試験の時、時間潰しでよくここに来てたんだ。その頃から湯村君もそのゲームをしてて」
俺は湯村が年上だった事以上に、二年どころか、もしかしたら四年以上もこのゲームをしているかもしれないというのに、未だにCから上がらない湯村のスコアに衝撃を受けた。
少しすると、懐中電灯を持ったスタッフがやってきて、一階の出口まで誘導してくれた。どうやら、今晩中に復旧は難しいらしい。しかも、今日に限ってアルバイトしかいないそうだ。
止まったエスカレーターを降りるのは、少し楽しかった。
外に出ると、夜だというのに街灯で明るく感じた。ずっと一緒にいた二人の顔を見て、こそばゆい気持ちになる。
「あ、赤いパーカー」
俺は無意識のうちに鹿江の服を見て言った。
「本当だ。今日は赤いパーカーだったのか」
鹿江は、まるで自分のことじゃないかのような口調で言った。その隣で、藍色のタートルネックを着た湯村が眩しそうに目を顰めていた。