第七話 ガルーシャの街の遊郭ジャオンルー
第七話 ガルーシャの街の遊郭ジャオンルー
「お、ボウズ、一人か? 運が良いな。公国の兵は何故か撤退したらしいぜ。おかげで生きながらえたってわけだ。名前を言え。通門料は小銅貨五だ」
「ガーフシャールです。ここは領都ですか?」
俺は衛兵に通門料を支払う。
「ああ、領都ガルーシャだ。仕事は無いな。兵にでもなればいい。入れ」
巨大な城壁の中は広場だった。広場には屋台が連なっている。果物、野菜、穀物の店と、食べ物の屋台がある。俺は腹が減り、屋台で硬いパンを買って囓る。
軍には戻りにくい。ガーフシャールの記憶が、他には職が無い事を示していた。
「みんなの遺言だ・・・遊郭ジャオンルーとかいう店に行くか・・・」
俺は正直、気が乗らなかった。遊女はほぼ短命であるはずだ。吉原も二十前後で亡くなると聞いたことがある。梅毒だ。職を求める者は、男は兵士になるしかなく、女は遊女になるしかない。兵は有り金をはたいて遊女を買い、戦で死んでいくのだ。
広場から外れると色町だった。俺は細い子供で、場違いなのは理解しながらも足を踏み入れる。十件ほどの遊郭が軒を連ねていた。夕刻の色町はぽつらぽつらと人が歩き、肩を出した女が客をさそっている。
俺は一軒の遊郭の前に立ち止まる。直感がここをジャオンルーと呼んでいるが、俺は字が読めなかった。少し派手な宿というとわかって貰えるだろうか。俺は考えがまとまらず、ただ遊郭を眺めていた。
「おや、随分とかわいい兵士さん。砦の兵士は皆同じ服なのよ・・・筆降ろしね? まだ早いんじゃないかしら? ・・・アッ、酷い熱よ!」
俺は良い匂いに包まれて一度記憶が途切れた。
俺はベッドの上で目が覚めた。ふかふかで暖かかった。ガーフシャールの記憶では一度もベッドで寝たことがなかった。
「気が付いた? 姐さまを連れて来る・・・」
一人の少女がベッド脇に座っていた。神秘的で何処か影のある少女だった。栗毛色の長い髪が似合っていた。年の頃は十四、五歳で同じくらいだ。
先ほどの少女は二人の女性を連れて来た。四十過ぎのいかめしい顔をした女性と、二十代後半の優しそうな女性だった。
「すまないがザックを確認させて貰ったよ。大金じゃないか。砦の兵士さんには良くして貰っているので話を聞くが、場合に寄っては騎士団に引き渡すよ。どうしたんだいこのお金は。金貨四十三枚分たあ尋常じゃないお金だよ」
俺は顔を上げる。四十代の女性は遊郭の経営者かなにかだろう。
「ここはジャオンルーでしょうか? 砦の兵士、ボーンデの遺言でここに来ました。遊郭ジャオンルーの一番娘デーファか禿のデールファを抱けと・・・俺は子供なのですが」
ぴくっと少女が反応した。
「そうだよ。ここはジャオンルーだよ。ボーンデ様の遺言と一体なんだい?」
「ええ。本日だか昨日、公国の兵およそ五千に砦が襲撃され、恐らく砦は全滅しています。俺は気絶させられて気が付いたらボーンデが深手を負って、俺にお金の入ったザックを手渡して死にました。命を賭けて俺を逃がしてくれたんです」
「話が見えないね。最初から詳しく話しな」
俺は戦いの様子を話した。俺の初戦で奇跡的に助かったこと、隊長が戦死したこと。二回目の襲撃は貴族の子が指揮を取ったが、実際はガーフシャールが指揮を取ったこと。丸馬出しを構築して撃退したこと、新隊長が来て肉の壁にされたこと、五千の兵が襲撃してきたこと。砦のみんなが俺に指揮を取るように言い、兵二百で先兵五百を蹴散らしたこと、そのまま突撃陣形を取り、自分も死ぬつもりで列に加わったら気絶させられたこと。
「砦からここまで近いですよね。公国の軍が攻めて来ないので、千人位の損害を与えたか、総大将を討ったか・・・初戦で公国の千人隊長みたいな司令官は討ったんですが・・・そこら辺はわからないです」
「ええ? 戦? 全然知らないわ? 嘘じゃ無いの?」
遊女であろう女が口を挟む。
「なるほどねぇ。公国の兵数千が撤退したのは本当らしい。あのお金は死出の銀貨じゃないのかい。掃除屋が懐に金が無いって騒いでいたからねぇ」
「死出の銀貨・・・」
「ああそうさ。大半は死体荒らしに奪われるんだけど、ご領主から依頼を受けた掃除屋が御遺骸を処理するのに懐に入った銀貨を使うのさ。一枚入れておくのが死出の銀貨だよ」
「そんな・・・」
二重の意味で衝撃を受けた。皆の死出の銀貨を貰ってしまったこと、自分の死出の銀貨を持たなかったことだ。
「お前さんの名は?」
「ガーフシャールです」
「私は遊郭ジャオンルーの女将、ドリへリー。この子がデーファと世話女のデールファだ。で、お前さんどうするんだい? 兵に戻るのかい?」
「いえ・・・。俺は脱走兵扱いだと思うんです。俺みたいな雑兵の名を覚えているお偉いさんなど居るわけ無いと思いますが」
「だろうねえ。ま、デーファは暫くは商売あがったりだ、養生するがいい。金貨三枚もらうよ。じゃあデーファ、看病頼んだよ。お前さんみたいに寝込む兵隊さんは多いんだ」
ドリへリーは部屋を出て行った。部屋には俺とデーファとデールファが残された。
「ね、デルグ様も・・・」
デルグ第二中隊長だ。精悍で強い人だった。
「はい・・・あの突撃陣形で助かるとは思えないです」
「そう・・・」
デーファは目を閉じると一つぶの涙を流した。
「すみません・・・俺がおかしな作戦をとったばかりに・・・」
「ううん。街を守ってくれたんだもの。誇らしく思うわ。さっき遊郭の一番娘って言っていたけど、違うのよ。私は砦の兵隊さんがお客なの。新兵さんを連れてきて、私が筆降ろしをしてね。月に一度かな。来てくれるんだ。殆どの新兵さんは三回で来なくなるのよ。大体が戦で亡くなったって。あの砦の兵隊さんは私しか女を知らない人ばっかりなのよ」
「あ・・・」
「あら? 気が付いた? 私が二十七歳まで遊女を続けられた理由なの。遊女はお客を取ったら四年かな・・・兵隊さんはお金を持っていないけど私としかしていないから病気を持っていないし、良かったんだ・・・デールファ、麦粥を持って来て。その前に一眠りした方がいいわ」
俺はベッドに寝かされ、そのまま眠ってしまった。
目覚めたのは夜半だ。あちこちから女の嬌声が聞こえて来る。俺は半裸にされ、デーファとデルーファに体を拭かれていた。
「起きた? ウフフ。じゃ体を拭いてあげて。ガーフシャールさん、申し訳無いけどデールファの貫通を手伝ってもらうわ。ガーフシャールさん、デルーファはこれが最後なんだ。過去二回、上客に買って頂くはずだったんだけど、大泣きしちゃってね。デルーファは奴隷として売られるしかないんだ。お願いね。奴隷になったら酷いから。ここも酷いけど、少なくても着物とお風呂とご飯は食べられるしね」
「そんな・・・」
「気にしないで。ここは遊郭だから。貴方だってそうでしょう? 遊女は数年は生きれるけど、兵隊さんは三ヶ月しか生きられないじゃない。貴方たちの方が酷いのよ」
俺はがくがくと震えるデルーファの手を握る。目をきつく閉じ、唇を噛みしめている。
「三日下さい。落ち着くのに時間がかかると思うんです。こんなに可愛いのに、無理矢理は可哀想です。本当は最初は好きな人と添い遂げて欲しいです」
こんなに拒絶されている女を抱けと言われても無理がある。流石に無理だ。
「ええ? 私の部屋なのよ? 時間を掛けて口説くのも良いけどさ。私が困るわ。そうだ! ガーフシャールさん買って行きなよ。金貨三十で良いと思うわ。売り物にならないしね。本当は金貨百だと思うんだ」
「え? いいんですか? 買います」
「あ、言ったわね。待ってて。金貨三十枚って言ったら大金よ? 私は金貨二百枚。兵隊さんのお給金が月に金貨一枚よ。銀貨五枚で二刻なの。一日に五人来るわ。五人目は腰ががくがくね。ウフフ」
デーファとデールファは部屋を出て行った。ガーフシャールはベッドに横になる。一人になると、隣の部屋の嬌声が聞こえ、興奮してしまう。
「凄いな・・・寝れないぞこれ」
独りごちていたら、スッキリしたデーファとデールファが入って来た。
「ガーフシャールさん、ごめんね! デールファは私が買い上げたわ! 私も辞めさせて貰ったの! 無理言ってゴメンねぇ。明日ここを出るからさ。一緒に出よう!」
「え?」
ガーフシャールはいきなりの展開に頭が付いて行かなかった。
「私にだってお金はあるのよ。貯めていたお金の半分で自分で身請けよ。街の隅で料理屋をやろうと思ってね。デールファ、いやこの子の本当の名はカリールリーファっていうんだけど手伝いをさせることで決まったわ。この子の男性恐怖症は治らないねぇ。暫くは男は要らないわね。一生分しちゃったしね。さ、君からは金貨三枚貰っているから、何回でも良いわ・・・あら? 寝ちゃったわね」
ガーフシャールは安堵の余り、眠ってしまっていた。
翌朝、良い香りで目が覚めた。朝食が用意してある。パン粥だ。
「さ、食べたら行くよ。昨日出来なかったから、金貨は要らないわ。あ、なんで安堵した顔をしているのよ? 傷付くわね。まあわかるわ。ボーンデ様の遺言やなんやらで私やカリールリーファとしちゃうと君の重荷になりそうだもんね。キスだけで我慢しておくわ。私の名はギリーと言うの。ご飯食べに来てね・・・ん・・・」
軽く唇を重ね合わせ、すぐに離れていった。
「さ、カリールリーファもお別れのキスよ。遊郭のお別れはキスで終わるから、キスくらいしなきゃ駄目よ? 最初で最後の遊郭でのキスね。ほら!」
デーファ、いやギリーはガーフシャールとカリールリーファの頭を掴むと無理矢理顔キスをさせられた。無論、歯が当たって痛いだけだった。
「痛い! 痛い!」
「アハハ。カリールリーファ、おめでとう! ファーストキスよ!」
「これはキスと違いますよ」
「アハハ。そう言わない! 君のお金は女将さんが持っているわ。さ、行きましょ」
カリールリーファは顔を赤くして俯いている。
「ごめんね。痛かっただろ。さ、行こう。カリールリーファにいい人が出来るよう祈っているよ。兵士は駄目だぜ。すぐ死ぬからね」
ギリーは先に部屋を出て行った。ガーフシャールはカリールリーファを抱き寄せ、唇を重ねた。舌を入れ、大人のキスをした。カリールリーファはいきなりのキスに体を強ばらせたが、次第に体の力は抜けていき、逆に俺を強く抱きしめた。細い体だった。
長いキスのあと、俺はカリールリーファを見つめたが、目を逸らされた。
「お別れだね。いい人が出来るといいね」
カリールリーファは小さく頷いた。遊郭の部屋は二階で、下に降りると女将が待っていた。
「お前さんのお金はそっくり返すよ。無駄遣いするんじゃないよ。金貨四十三枚なんて、女を買ったらあっと言う間になくなっちまう。良く考えるんだ。小さい家だったら買えるからね。それでも良いんじゃないかい」
俺は綺麗なザックを受け取った。
「金貨は四十枚だ。銀貨は三十枚、残りは銅貨だよ。ほら、剣だ。このあとどうするんだい」
「俺ですか。一度デルーグリ様に会いに行こうかなと・・・あ、短剣・・・あったあった」
デルーグリから貰った短剣はザックに中に入っていた。
「やはりその短剣はデルーグリ様の短剣かい。じゃあ話は本当なんだね・・・街を守ってくれたお礼だ。この指輪をあげるよ。客の忘れ物だ。安物だけど何か変な感じがするんだよ」
「ちょっと、女将さん厄介払いじゃないの?」
「ウフッ」
「あら、カリールリーファが笑ったわね。じゃあ行くわ。君に龍のご加護があらんことを! じゃあね!」
ギリーは大きく手を振って、カリールリーファは小さく手を振って遊郭を去って行った。俺は砦のみんなの遺言を果たせたようで、心が軽くなった。
「いいのかい? 小娘はお前さんを気に入っていた様じゃないか。金貨三十枚だったんだよ」
女将は俺に金貨一枚を手渡した。
「これでその着替えを買いな。で、兵士の服は捨てちまうんだよ。わかったかい。あの子から預かった金貨だよ。もし街で会ったらお礼を言っておきな。さ、行くんだよ。稼いだら来いと言いたいが来ちゃ駄目だよ。特上の娘を買わない限り、病を持っているから、買う方も売る方もどんどん死んじまうんだ。あの子は珍しいんだ。生きて色町を出るなんて、そうそう無いことさ・・・一つ教えてあげるよ。本当の特上は、子を産んだ子だよ。病にかかると子を授からなくなるんだ。女を買うんなら産後あけの子を買うんだよ。人気も無いし、安いからね。おっと、余計な事だったね。じゃあいきな。お前さんに龍のご加護があらんことを」