第二十八話 最辺境へ行く その六
第二十八話 最辺境へ行く その六
「そうか・・・調査か・・・燃える泥とな・・・」
「ええ。豊富にありますね。あとは山に木が無いために水が無いんですよここは。昔は木があったのでは?」
「昔は木が豊富だったと聞く。今ではこんな有様だ。木を植えれば水が蘇るのか?」
「そうね、どうしてよ?」
族長に続き、カロの中でリーゼロッテも疑問を投げかけてくる。
「木の根が土を抱え込み、土砂崩れを防ぐんです。落ち葉が水を蓄え、山全体が貯水池の役割を示すんですよ。落ち葉は腐って養分となり、下流に恵を与えるんです。森は命の源で、全ての恵の源なんですよ」
「そうか・・・一時期人が増え、薪として切り出したようなのだ。それからは人を減らし、山から恵を得ることができなかったのだ」
「山を降りましょうよ」
「む・・・我らは祖先よりこの山を守る様言われていてだな・・・よし、山を見て貰うか」
「山を?」
「ああ。まあ見てくれ・・・ん? デデローコグリツデセス、どうした?」
難しい顔をしてデデローコグリツデセスが入って来た。
「ガーフシャールの寄騎となる。一騎打ちで見事に負けた。山を降りるので許可をくれ」
「ほう・・・わかった。護衛を頼むぞ」
「は」
「デルグズルズクに会わなかったか? あいつも連れて行け。ガーフシャール殿、二人を自由に使え。ただお主みたいに頭は切れないぞ」
「わかりました・・・あと、デデさんから紅茶を貰ったんですが、定期で買わせて頂きたくて。これくらいの木箱一個で銀貨五枚で買います。月四個まで、当家に独占で売って欲しいです」
「ん? 月金貨二枚だと? 全部引き渡すぞ」
「駄目ですって。生活様式は変えないで下さい。余った分だけで良いんです。出来ればお茶の木を増やして欲しいです。増えた分はどんどん買いますよ。増えたら値段は下がりますけどね」
「わかったぞ。月金貨二枚は確実だな?」
「ええ。良いですよ」
「よし。娘達の仕事にさせる。市は開いてくれるんだろ?」
「もちろん。買い物が出来る様にしますよ。当分は月に一回くらいでしょうか」
「よし。乗った。これからは紅茶を売って暮らすのも良いかもしれんな。じゃあ山を見に行くぞ」
族長とデデローコグリツデセスと共に族長のカロを出ると駆け足で山の麓まで来た。二刻も駆けると草は消え、斜面はきつくなり、白っぽい大地に変わる。
前を駆ける族長の馬が巻き上げる粉塵の匂いにガーフシャールは考え込む。ガーフシャールは立ち止まると、馬から降りて白っぽい土を触り、嘗めてみる。塩では無かった。
「山にある白っぽい土・・・」
ガーフシャールは答え心の中から湧き出るのを待った。山を見上げると、広大な斜面に白い土が広がっている。
「どうしたのだ? ガーフシャール殿・・・」
「族長、静かに。何か考えているのよ」
「・・・わかった、リーゼロッテ殿」
族長は小さな声で答える。
「白い土壌は塩鉱ではなく、炭酸カルシウムか・・・本で読んだことがあるぞ、思い出せ、思い出せ・・・シャブリやブルゴーニュか・・・そうか・・・まさか・・・特級の畑なのか」
ガーフシャールはフランスの地名が浮かんできた。ワインの名産地は石灰質土壌である。
「葡萄を植えたいです。白い大地は、ワインの為にあります。凄いな・・・」
「ん? また突飛な事を言い出したわね。どうしたのよ?」
「リーゼロッテさん、ここは白っぽい土でしょう。葡萄栽培に適した土のはずです。ワインを作ってみたいです。成功するかわからないですけど」
「そうなの? 成る程、こんな感じなのね・・・突然ひらめいてさ、弟は良いぞって言うんでしょうね・・・これは大変ね」
「む? リーゼロッテ殿、話が見えないのだが」
「族長さん、始めに言っておくわ。極秘よ。誰かに話したら首を落とすから、いい?」
「聞こう」
「その意気素敵よ。ガーフシャール君は流れ魂よ。極めて沢山の知識を詰め込んでいるわ」
「ああ、今更そんなことを言われても、流れ魂に決まっておる。王国の人間とは明らかに違うからな」
「あれ? わかってた? 問題はそこじゃなくてね」
「違うのか?」
「あの、ちょっと」
「違うのよ。ガーフシャール君は全てひらめきで物を言うので、付き合うのは大変だけど頑張ってね。今も突然葡萄を植えるとか言い出してさ、植えるしかないかなって。ワインも飲みたいしね」
「ワインか・・・良いな」
「そうよね。エールと一緒にワインも作ろうかしらね。ガーフシャール君、何を用意すればいいのかな?」
「樽と圧搾機と蔵でしょうね。石造りが良いと思いますが」
「お金が掛かるわね・・・まあ追々考えましょうね」
「わかった。お茶と、葡萄を村に卸せばいいか?」
「それでいいわ。ワイン作りは村の仕事として貰うわね。葡萄の栽培は任せるわ。苗は用意するわ」
「よし。承知した。我らじゃ苗は入手できないからな。ここは良いか? では今日のカロに案内する。付いてこい」
族長は西に駆け始める。半刻ほど行くと硫黄の匂いが漂ってきた。
「大地から湯が沸いているから、入って行くが良い。あのカロを使え。では我らは帰る。ゆるりとくつろぐがいいぞ!」
族長とデデローコグリツデセスは言い放つなり帰って行った。
「何? お湯が沸いているの?」
「温泉か・・・良いですね」
「あら、楽しそうね? 行ってみましょうか」
カロに行くと、数本の木と小さな小川がある。隣には岩の間から温泉が湧き出て、露天風呂に注ぎ込まれていた。ガーフシャールは湯に手を入れる。ややぬるめの泉質だ。馬たちは小川の水を飲んでいる。
「ちょうどいい温度ですよ。入れますね」
「あら? 湯に入れるの? 凄いわね。湯が沸いているのね・・・ちょっと臭い気がするわ」
「この匂いが良いんですよ。お湯とは違って温まりますよ。お肌にもいいし、怪我の治りも良くなるんです」
ガーフシャールが馬の荷物を降ろすと、カロからガーフシャールを呼ぶ声が聞こえてきた。
「俺は離れて待ってますので、入ってくださいよ」
「良いからおいで! いいから脱ぎなさい!」
リーゼロッテは下着姿で出て来た。ガーフシャールは均整の取れた肢体に目を奪われる。適度に筋肉が付いた、アスリートの体だった。
「ちょっと見ないでよ。ほら、お腹だって割れちゃっているしさ。女らしくなくて嫌だなって最近思うのよ。君は何かある度に恥ずかしげもなく私が欲しいって言うけどさ・・・ちょっとどうしたのよ。何か言いなさいよ」
ガーフシャールは近寄ると、思わず抱きしめてしまった。
「ちょっとガーフシャール君!」
抱きしめてから、強烈な後悔に襲われる。ガーフシャールの体の本能が駄目だと強烈に心を突き刺している。ガーフシャールの体が、心の本能を上回る。
「ちょっと、ガーフシャール君顔が青いわよ! どうしたの?!」
ガーフシャールは体を離そうとしたが、リーゼロッテに抱き留められる。
「ウフフ。誰かに見られたら困っちゃうわね。ほら、君もパンツ一丁になりなさい」
リーゼロッテはガーフシャールの服を脱がして行く。端から見たら仲の良い恋人が体を重ねるのだろうと思うに違いない。
ガーフシャールは体と心の狭間で強烈に揺れ、どうにもならなくなってしまった。
「ははあ、わかったわ。君の心は今でも二つあるのね? 抱きしめられて後悔の顔をされると傷付くわよ。もう。男らしく無いけど、君の体は貴族ではないのよね。心は立派な貴族なのにね」
思考が停止したガーフシャールは手を握られ、湯船に連れられる。
「さ、入るよ。おいで」
二人は湯に浸かる。久しぶりの温泉に、ガーフシャールは思わず目を閉じる。お湯が心地よかった。リーゼロッテが寄りかかってくる。肌と肌が触れ合う。心地よさと、心苦しさに同時に襲われる。
「気持良いわね・・・ね、まだ気に病んでるのね? 仕方ないわ。君の結婚相手を用意してあげるから、それまではお湯に浸かるくらいは許してあげるわ・・・違うわね。命令よ。私をぎゅっとしなさい。早く」
「はい」
命令と言われ、ガーフシャールはリーゼロッテを抱き留める。リーゼロッテは目を閉じてガーフシャールの胸に顔を押し当てる。
「はああ、殿方に抱かれるってこんな感じなのね。ちょっと子供なのがアレだけどね・・・やっと顔が元に戻って来たわね。もう少し気楽に生きないと。でないと結婚も上手くいかないわよ? 貴族の結婚なんて、くじ引きだからね。君を貰うお嫁さんは大変だわね。私を抱けない癖に、私に義理立てするんでしょう? 辛くなったら言うのよ。命令してあげるからさ」
「命令・・・」
「そうよ。どんな命令かしらね・・・? ウフフ」
リーゼロッテは目を閉じると、ガーフシャールの唇と重ね合わせた。リーゼロッテはいたずらを行った子供の様な邪険のない顔を向ける。
「ウフフ。ほら、私にキスしなさい。あの子にした大人のキスというやつが気になるわ」
ガーフシャールは硬直して、動けなくなった。体が無理だと悲鳴を上げる。臆病で平民が染みこんだガーフシャールが体を支配し、貴族とのふれあい、深いふれあいを拒絶した。
「ゴメンゴメン。無理しないで。君はまだ子供なんだから。軽口では私の乙女が欲しいと言う癖に・・・もう・・・」
リーゼロッテは目を閉じると、ガーフシャールの胸に顔を埋めた。
二人は静かに湯に入り続けた。夕刻の風が冷たく吹く。ガーフシャールはどうして良いのかわからなくなった。
大きな鳥がガーフシャールを一瞥し、飛んでいった。鳴き声が響き渡った。物悲しく、何かを探しているかのようだった。