第二十六話 最辺境へ行く その四
第二十六話 最辺境へ行く その四
「よし。今から小さくてすまないがカロを建てる。大将は湯を沸かしてやってくれ。王国の人間は湯浴みをするだろう? 燃える泥で沸かせばいいな」
デルグズルズクは妻のデールドイコイリと子供達と一緒にてきぱきと二回り小さなカロという移動式住居、平たく言うと遊牧民の使うテントだ、を建て始める。
ガーフシャールは大きな鍋を借りて湯を沸かし、リーゼロッテに渡すと、凄く喜んだ。
「嬉しいわ。じゃあカロをお借りして湯浴みするわね」
「俺はお礼にパンを焼きますよ」
「それが良いわね。よろしくよ」
リーゼロッテはカロに入っていった。ガーフシャールはあらかじめ用意してある発酵済みの生地を焼いていく。周辺には泥炭を燃やす匂いに混ざり、パンが焼ける良い香りが漂う。
「わあ、良い匂い!」
「わあ、いいにおい!」
兄妹が焼いている鉄鍋の横に座って涎を垂らし始める。
「こらこら! すみません」
「あ、いいですよ。もう少しで焼けますから。みんなで食べましょう。瓢箪かなにかないですか?」
妻のデールドイコイリが兄妹を退かそうとするが、ガーフシャールは制して見させようと思った。
「瓢箪ですか? ありますよ」
デールドイコイリが瓢箪を持ってきたので、溶かしたパンの生地、天然酵母のたねを半分分けた。水を足し、小麦粉を入れておく。
「小麦粉の生地にこれを混ぜて、半日おくと凄く膨らみますから。さっきの柔らかいパンになります・・・よし、焼き上がったな」
「ホント?! 食べる!」
「食べる!」
兄の言葉を反芻するのが可愛らしい。
「ふう、さっぱりしたわ。うん、良い匂い。パンが焼けたのね? 皆でいただきましょうか」
リーゼロッテは汚れたお湯を捨てると竃に寄ってきた。竃は石を配置しただけの簡素な物である。
「あち、あち・・・」
パンを千切って兄妹に渡すと、美味しそうに頬張った。今日は干し葡萄が入ったパンだった。不足するビタミン類を取る為である。
「何か入っている! 甘い!」
「あまい!」
「こらこら、あんた達・・・」
「どうだ?」
「美味しい!」
「おいちい!」
ガーフシャールが訊ねると兄妹はにっこりと微笑んだ。
「ウフフ・・・可愛いわね。デルグズルズクさんもどうぞ」
リーゼロッテがパンを皆に勧める。
「す、すまない・・・甘いし、柔らかい・・・旨い・・・」
デルグズルズクも旨そうに食べている。
「デルグズルズク、このパンの作り方を教わったのよ。この溶かした生地を混ぜて半日おくんだって」
「ガーフシャールさん、いいのか? あんた達は直ぐに権利だなんだって金や馬を奪おうとするだろう。こんな旨いパン、金も取らずに教えるとは駄目なんじゃないのか」
「うん? そうなんですか?」
ガーフシャールはリーゼロッテを見る。
「うん・・・はっきり言ってそのパンの製法は売れば結構なお金になるわ。君のレシピだからデルーグリも何も言わなかったでしょ。君が好きにすると良いと思うわ」
「じゃあミーケーリリル族に伝わる製法ということで。その代わりにお茶の葉を当家に独占で売って欲しいです」
「うん? あんなものでいいのか? 勝手に採ればいいだろ?」
デルグズルズクは不思議そうな顔をする。
「あんな物じゃないですって。とんでもない品ですよ。最高級品ですね」
「そうなのか・・・我らに金貨を落としてくれるんだな・・・」
「当家でそのうち村に市を常設しますんで、お買い上げ下されば儲けるのは結局当家のみとなりますので。せこいのは俺ですね。それに山までは結構遠いので・・・」
「すまん。遠慮なくいただく。茶をお淹れしろ」
「あ、ミルクを入れないでもらえませんかね」
「あら、変わっているのね。どうぞ。少し苦いと思うんですよ」
ガーフシャールは出された紅茶の匂いを嗅ぐ。久しぶりで心地よい香りだ。一口含むとタンニンの渋みが心地よかった。ミルクを入れて飲むので、茶葉を潰し気味にしているのだろう。これはこれでよい。
「旨い。最高の贅沢です」
「じゃあ私も真似をするかな・・・本当ね・・・ミルクが無くても大丈夫だわ・・・」
「ん? 旨そうに飲むな。どれ、少し持っていきな」
デルグズルズクが指を差すと、デールドイコイリが木箱を持ち出した。三十センチ四方の箱である。
「箱ごと持っていけ」
ガーフシャールは箱を開けると、びっしりと紅茶が入っている。茶葉は潰されて細かくされていた。ブロークンだ。ミルクティーで使われるCTCと呼ぶ潰して丸められた茶葉だと思ったのだが、違うようだった。
「辺境伯様に御献上できますかね?」
「大丈夫よ。このままでいいわ」
「では、この箱一つで銀貨五枚で買います」
貴重品なので銀貨五枚、五万円程度だ。無論、取引量が増えれば値が下がるが、相当先の事だろう。
「ブッ」
デルグズルズクが紅茶を噴き出す。
「そ、そんなにか」
「当然、生産が増えたら値はどんどん下がりますけどね。でも特産として力を入れてもいいでしょうね。あ、お支払いしますね」
「待て。今度でいい。ではじゃんじゃん買って貰うぞ」
「いや、今はミーケーリリル族の方が飲む分しか無いはずです。さしあたり月に四箱まで買い入れましょう。あくまでも残りを売って欲しいんです。お金のために生活スタイルを変えて欲しくないです。お茶の木を増やすのも数年かかりますよね。数年は量は増やせないですよ」
「むむ・・・わかった。族長と相談しよう」
夜も更けて来たため、二人は休むことにした。ガーフシャールは湯を沸かし、小さいカロで湯浴みをする。お湯で体を拭いたらさっぱりして気持ちが良かった。頭も洗い、汚れた湯を捨てるとリーゼロッテが入って来た。
「さ、寝るわよ。久しぶりに横になれるのね。助かるわ・・・もう疲れちゃって」
「は、はい」
ガーフシャールは横になるなり、強烈な眠気に襲われる。久しぶりに毛布の上で眠るのだ。リーゼロッテはガーフシャールの右腕、正しくは肩の辺りを枕にして静かに寝息を立て始める。
ガーフシャールは満たされた気持ちで眠りに入る。
翌日、デルグズルズク一家に別れを告げて出発する。兄妹が別れを寂しがり、ぐずったのが可愛かった。湿地帯はまばらな草原に変わり、傾斜も厳しくなってくる。ゆっくりと馬を進ませ、山を登っていく。丸二日昇ると、広い平らな土地に出た。
「わあ・・・」
リーゼロッテは思わず声を上げる。雲が近く、天に昇ったかの錯覚に襲われる。広大な台地であった。目の前に巨大な山脈がそびえ、冷たい風を吹き下ろしている。
ガーフシャールは馬から降り、大地を踏みしめる。馬たちは草を喰み始める。草はまばらに生えるだけであった。左右に首を振ると、所々にカオが建ち、羊が草を喰んでいた。一陣の風が吹いた。風は高原の香りがしたが、砂漠の匂いもした。
ガーフシャールが左右を見まわす。水場が見あたらない。木も生えていない。これでは生活が出来ないだろう。木を植え、山に水を蓄えないと生活は出来ないはずだ。ミーケーリリル族は山を降り、草原の民として生きた方が良いのではと思ってしまう。
「いいところね・・・」
「いや、山に木が無いので水が全く無いですね。ここじゃあミーケーリリル族の全員を養えませんよ」
ガーフシャールは何故ミーケーリリル族が山に拘るのだろうかと思いながら乾いた風を身に受ける。風はつむじを形づくり、砂を巻き上げた。ガーフシャールは目に砂が入らないよう、手で押さえた。
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何が起きているのか、良くわかりません・・・
これからもお付き合いの程、お願いいたします。