第二十五話 最辺境へ行く その三
第二十五話 最辺境へ行く その三
「見て。足跡と蹄の跡ね」
「ミーケーリリル族の野営のあとかな」
ガーフシャールは一泊した箇所から二刻ほど移動した場所で立ち止まっている。ガーフシャールは昨晩のリーゼロッテの感触が生々しく思い出され、平静を保つのが大変であった。実精神年齢は四十二才なのだが、十四才の若すぎる肉体の影響が多大で、二回目の思春期を迎えている気分だった。
リーゼロッテは変わりなく接してくれている。やはり元子爵家で元王宮騎士団と言ったところだろう。山脈まではまだ一週間はありそうだ。先は長い。ガーフシャールはスコップで掘ると、泥炭では無かった。
二人は更に進み、二日目の野営をする事にした。二人で肌を寄せ合い、温もりを感じながら眠りに就いた。ガーフシャールは夜中目を覚ました。月明かりが天幕から差し込み、うっすらとリーゼロッテを映し出した。
「起きた?」
リーゼロッテも起きていたようだ。
「はい」
「そうね、二人の時はリーゼロッテと呼びなさい」
「え? では遠慮なく・・・リーゼロッテ」
「うん・・・照れるわね」
「俺も照れるかな」
「ウフフ。もう一回呼んで」
「リーゼロッテ」
「うん」
ガーフシャールはリーゼロッテの名前を言うだけで心が温かくなるのを感じる。小さな火が灯った感覚であった。
「なに嬉しそうな顔をしているのかな? ウフフ。すっかり戦病が吹き飛んだようね。私ね、旅が大好きなの。お屋敷は息が詰まって駄目ね。ウフフ。貴族失格ね。まあ騎士爵家なんて貴族じゃ無いけど、グレルアリ家は王国でも由緒ある血筋なんだ。王族より古い血筋なのよ」
「へえ」
「面倒なだけよ。ウフフ。さ、おやすみ。段々と汗臭くなってきたけどお互い我慢ね」
リーゼロッテがガーフシャールの胸に顔を押し当てて寝たので、そおっと頭を抱き留める。確かに汗臭くなってきている。ガーフシャールは自分の体臭が気になって脇の匂いを嗅いでみると、汗臭い気がした。
「あ、君の汗のにおいも素敵よ? 気にしちゃったかな? 君は良い匂いがするのよね。どうしてかしら。肌もきめ細かいし、羨ましいわね。さ、寝るわよ。寝ないと辛くなるわよ」
「はい・・・」
「二人の時は砕けて良いのよ」
「う・・・リーゼロッテ・・・でも・・・」
「ウフフ。まあいいか。おやすみ」
ガーフシャールは何故か急速に満たされていく感覚に陥り、いつの間にか眠ってしまった。
翌日からは二人でゆっくりと地質を調べながら山脈に向かって進んだ。所々、蹄の跡がある場所があった。概ね水辺で泥炭でなかった。ミーケール村の周囲に広がる湿地の半分は泥炭であるようだ。
ガーフシャールはスコップで泥炭を埋め戻した。
「どう? ここも泥炭?」
「そうですね。泥炭です・・・泥炭の宝庫ですね。我々が生きているうちは燃料に困りませんね」
「なるほどねえ。掘るだけで良いとは凄いわよ」
三日目、四日目と進んで行く。山脈は偉容を示し始め、道は平地ではなく昇りとなる。草原は姿を消し始め、ガレ場の山地を示し始める。気温も少しづつ下がり、高原特有の爽やかな空気が流れている。
「草原は王国とミーケーリリル族の緩衝地帯だったのか・・・ミーケーリリル族は更に山に住んでいるのか・・・」
「す、凄いわね。どうして山に住むのかしら」
「辺境伯に攻められないようにしているのでしょう。王国と接触しないようにしているんですよ」
「しかし凄い山ね・・・」
「そうですね・・・」
山脈で目立つのは左の煙を吐く山だ。活火山である。右隣の山二つが白っぽい。塩鉱だといいが、そんなに上手くいかないだろう。右側の山が赤っぽい。もしかしたら鉄鋼石の山なのかも知れない。遠いいが山は資源の宝庫かもしれない。
更に半日進み、野宿を考えていると山羊を連れた一団に出会った。一団は家族の様で、三十代の夫婦と男の子と女の子がいたが、布で出来た円形のテントに隠れてしまった。
男が近づいてくる。険しい顔をしているが、ガーフシャールだとわかると顔を崩した。
「ガーフシャール、だな?」
「ええ・・・あなたは?」
「族長が世話になった。デルグヅルヅスという。あの時訪れた四人の内の一人だ」
「あ・・・お化粧していないから・・・」
「戦いの化粧は命を賭けるときだけ。普段はしない」
デルグズルズクは振り向くと大きな声を上げた。
「恩人が来られた! デールドイコイリ! 持て成しの用意だ! さ、来られよ!」 デルグズルズクは馬を曳くと木の幹に結び、荷を降ろしてくれた。馬はあっと言う間に羊に囲まれる。馬は迷惑そうな顔をしている。
「デルグズルズク! いったいどうしたの?」
「紹介する。ミーケールの村の新領主の姉御のリーゼロッテ殿と部下のガーフシャール殿だ。今食べている麦はガーフシャール殿が調達してくれたものだ」
「あら! それはそれは! どうぞどうぞ! カオに入って入って!」
円形のテント状の建物、カオに入ると子供二人が不安そうに見ていた。ガーフシャールは荷物からパンを取り出し、干し肉を挟み、バターを塗る。バターはミーケールの村では極めて貴重な品だ。
パンを手で二つに千切り、男の子に渡す。男の子は恐る恐る近づき、パンを手に取るとまた距離を取って妹にパンを手渡す。
女の子は一口囓るとにっこりと笑う。
「ママ! 凄く美味しい!」
男の子もにっこりと笑い、更に半分に千切ったパンを母親、デールドイコイリに手渡した。
「お客様、すみません・・・あら・・・デルグズルズク、凄い柔らかくて美味しそうなパンよ」
「こら。お客から貰うなんて・・・すみません。お茶を・・・」
デルグズルズクという舌を噛みそうな名前の主人は妻のデールドイコイリにお茶を淹れるように言う。どうやら妻も夫も名前で呼ぶ習慣のようだ。
「どうぞ。祖先の地より伝わるお茶ですわ」
妻のデールドイコイリが出してくれたのはミルクティーだ。一口飲む。砂糖は入っていないが、明らかに紅茶にミルクを入れた物だ。
「こ、これは・・・」
ガーフシャールは驚いてカップを見る。王国で飲んできたのは草臭いドクダミ茶みたいな薬草茶だった。余りの旨さにあっと言う間に飲み干した。久しぶりの紅茶であった。
「山にお茶畑があるのですよ。畑と言うか、自生しているだけですけどね。飲む分だけ摘むんです」
「珍しく驚いているのね。気持はわかるわ。美味しいお茶よね・・・」
「デルグズルズクさん、定期でお茶を卸して欲しいです」
「ん? ガーフシャールさんなら摘んでもいいぞ? まあ一度族長に会ってくれ。皆は恐れて降りてこないが、山から降りるほど草が豊富だ。祖父の時代は激しく戦をしたと言うから、皆降りてこないのだ」
「そうなのですか・・・王国とミーケーリリル族との間に戦が・・・」
「ああ。だがガーフシャール殿はあっと言う間に我々の壁を壊してくれた。礼を言う。ところで何しに来たのだ? 族長に用事か?」
「視察です。ミーケーリリル族の皆さんが人数を減らしている原因と、使える物が産出出来ないか見に来たんです」
リーゼロッテがミルクティーのカップを持ちながら説明を加える。
「ほう。なにかめぼしい物はあったかな? 草しかないでしょうが」
「それがですね、燃える泥がありました。私も驚きましたが、草を剥いで乾かすと泥が燃えるんです。泥炭って言う物です。薪は足りなさそうなので、代わりにしようかとガーフシャールと話していましたわ」
「土が燃える?」
「ええ。ガーフシャール、お外で燃やしましょうか」
皆で外に出て、乾燥させた泥炭を燃やしてみせる。デルグズルズクは非常に驚いている。
「本当だ、土が燃えた・・・」
「どうです? 薪の代わりになるでしょう? 生活で使ってみませんか?」