第十話 真夜中の月
第十話 真夜中の月
真夜中に目が覚めた。サイドテーブルには水が置いてあった。酷く喉が渇き、一気に飲み干した。
寝室の木窓を開けると月明かりが差し込んでくる。ガーフシャールは守備隊の皆の顔を思い出そうとしたが、記憶の風化が始まっている自分に嫌気が差し、ため息をついた。
時折差し込む風が冷たく、暖かい飲物が欲しかった。ドアがノックされ、お茶とサンドイッチを持ってリーゼロッテが入って来た。
「起きる頃だと思っていましたよ。お腹空いたでしょう? 暖かいお茶を飲むと良いわ。体が冷えるわよ」
リーゼロッテは薄着で、体のラインが見えてしまうようなワンピースを着ていた。豊かな胸、引き締まった腰、なだらかなラインを描くヒップライン。月夜に照らされた肢体はは艶めかしく、ガーフシャールの目を奪った。
「ウフフフ。駄目よ、私に見とれちゃ・・・」
「駄目じゃないですか? 男の部屋に入って来ちゃ」
ガーフシャールはリーゼロッテが放つ、鼻孔をくすぐる体臭に鼓動が早くなる。美しかった。押し倒す衝動を必死で堪える。元遊女のギリー、世話女のカリールリーファ、そしてリーゼロッテ。全員好きになってしまう自分に腹が立ってくる。
「まあお茶を飲みましょ。で、ここに来る前に女を抱いたのよね? 君から微かにお香の香りがしたわ。白状なさい。その前にサンドイッチを食べるといいわ」
「え?」
リーゼロッテの言葉に胸が飛び上がった。リーゼロッテは何事も無かったかのようにお茶をカップに注ぎ、手渡してくれた。二人でベッドに並んで腰掛ける。リーゼロッテの肌の感触が直接伝わってくる。
「話なさい。弟もたまに同じお香の匂いがするのよ」
「あ・・・ばれてましたか・・・砦の兵士の遺言なんですよ。ジャオンルーという遊郭です。デーファという遊女と禿のデルーファに会って来ました。俺は戦帰りで熱を出してしまって看病されただけでしたけどね」
「ジャオンルー?」
「ええ。デーファは砦の兵専門の遊女なんです。砦の兵士はデーファで筆降ろしをして、月に一度抱きに行くんです。三回抱いたらだいたい戦死するんです。あの砦の兵は、デーファしか知らないはずですね・・・戦の多い時は三ヶ月しか生きられないんです。兵の命を賭けた遊びなんですよ。グレルアリ家の兵は寿命三ヶ月で、デーファを抱く事で精神を正常に保つんです。会ってみんな死んだと報告をしてきました」
「三ヶ月・・・」
実際の期間にリーゼロッテは衝撃を受けたようだ。お茶を飲み、サンドイッチを食べる。燻製されたベーコンが挟まっていて、旨い。
「ええ。お貴族様はずっと生きているでしょうが、我々兵は三ヶ月の命です。余りきつく言わないでください。言うのであれば、代わりに死んでください。砦の兵はデルーグリ様と一緒にジャオンルーに行きたかったんです。それで、兵の心を掴んだんです。兵は嬉しかったと思いますよ。完全に把握していましたからね」
「余り強く問い詰められないのね・・・わかったわ。で、君は大人になってしまったと・・・まだ子供じゃないの」
「あの、熱を出して寝込んじゃいました。デーファからは抱かないで安心した顔で面白くないって言われましたよ。なんだか重くて、熱が出て安心しちゃったんです」
「そうなの? 信じがたいわ。まだ言っていないことがあるわね?」
「砦が壊滅したのでデーファとデルーファは足を洗ったんです。一緒に遊郭を出ようって話になったとき、デーファは遊郭の帰りはキスで終わるって言って軽いキスを、デルーファとは無理矢理頭を押さえられてキスしました。歯が当たって痛かったです。デーファが出て行った後、デルーファときちんとキスしましたよ」
「呆れたわ・・・きちんとキスって何よ?」
「・・・男の部屋に来て、誘ってますね・・・例の三男に少し同情しますよ・・・」
「え? 何言っているの? 夜食を持ってきただけじゃないの」
「あの、キスをしてといっている風にしか聞こえないですよ・・・因みに今までの恋人とは?」
「いないのよ。貴族の娘は結婚するまでは殿方とお付き合いはしないのよ。二人で出歩くとか、一緒の部屋にいるとか論外ね・・・あ」
「やっとわかりましたか? 俺はもうリーゼロッテ様の恋人になっているんじゃないですか? 大丈夫です?」
「大丈夫よ、誰も見ていないわ。ミシェリくらいよ。後で釘を刺して置くわ・・・顔が赤いわよ。熱があるんじゃないの?」
確かに言われると、目眩がする気がする。甘い香りの為だと思っていたが、本当に熱があったようだ。勢いよくドアが開けられ、デルーグリの声が響く。
「おーい、ジャオンルーに行くぞ。既に行ったんだろ。行ける様に金を集めさせておいたからな・・・ゲッ、姉さん、あ、ゴメンゴメン。お前はもうジャオンルーは不要なんだな。じゃゆっくりやれや。姉さんはお前の褒美だからな。公子を討った褒美としては少なすぎてすまんな・・・あ、子供は騎士爵家になってからだと助かる・・・ギャア!」
「あんた・・・誰が褒美ですって?!」
デルーグリは首根っこを捕まれて凄まれている。豹変した恐ろしい顔に吃驚してしまい、心の中に産まれ始めた淡い感情が少し吹き飛んだ。やはり女だてらに騎士をやっているだけはあり、荒々しい女性だった。
「私はただ、夜食を運んだだけなんだけど・・・? しかも戦上がりで熱が出ているんだけど? で、あんたはどこに行くって?!」
「ひ!」
「デルーグリ様、デーファは足を洗ったのでジャオンルーにはいませんよ。顔だけ出してきたんです・・・ひ!」
「君もだ! 子供のくせに! 何が遊郭へいってキスだけして帰ってきただと! 信じるものですか! このスケベども!」
「まあ一番のスケベは男の寝室に忍び込んだリーゼロッテ様ですけどね。まあ兵士に向かって遊郭に行くなと言われても困るでしょう。いつ死ぬかわからないのに」
「そうだぞ、姉さん。まあガーフシャール、姉さんは貴族籍を剥奪されているから貰ってやってくれや。もう俺の手に負えないだろ」
「ええ? 俺はデルーファとまた会いたいんですけど・・・キスの続きを・・・ひ!」
「お、お前ら! 妙に息がピッタリなのが頭に来るわ! 見ているのはミシェリだけね! 待っているのよ!」
リーゼロッテは大股で寝室を出て行った。
「騎士団に入った理由がわかっただろ? で、お前デルーファの貫通をしたのか?! 羨ましいな」
「熱出しちゃって、看病されて終わりですよ」
「本当なのか・・・で、足を洗ったのか?」
「ええ。もうみんな死んじゃったから、遊女をやる必要が無くなったって」
「なるほどな・・・何処に行くって言っていた?」
「街外れで小料理屋をしたいとか言ってましたよ。宿に泊まっているんじゃないですか?」
「だな・・・いい女だったよなあ。俺を大将と呼んでくれたのは砦の彼奴等だけだったんだ。嬉しくてな・・・彼奴等の女だ、むげには出来ないんだ。わかるだろ、お前もそうじゃないか。あの時逃げることが出来たのに、死ぬために砦に戻ったじゃないか」
「はい・・・」
「はいはいはい、良い感じで話していることろ悪いんだけど、ミシェリを連れてきたわ」
「あ、リーゼロッテ様、おめでとうございます。明日お祝いをご用意しますね。早速デルーグリ様もお祝いに? ちょっとお二人のご寝室に入るなどいけませんよ。では破瓜のお血で汚れたシーツをお取り替えしますね」
ミシェリは俺にぺこりと頭を下げると、立つように促した。
「ほらみろ、姉さん。姉さんは思い人のいるガーフシャールを奪った形になっているぞ。三男襲撃事件の真相だろうな」
「・・・」
流石にガーフシャールは声が出ない。
「ええ? あの、てっきりリーゼロッテ様の始めての男性がガーフシャール様だとばっかり・・・伽の手配もしなくて良いとおっしゃられるし、てっきり・・・」
「伽は子供だから要らないと言っただけです! もう! どうなっているの? 私は部下に夜食を届けに来ただけよ!」
「あの、普通それは夜這いともうしまして、お貴族のお嬢様がなさる事では・・・我々メイドも夜に呼ばれたら覚悟して行きますので・・・」
「もう! ガーフシャール君は紳士だから大丈夫なの!」
「え? 俺? 兵士だからリーゼロッテ様みたいな綺麗な人を抱きたいですよ? さ、こっちへ・・・」
ガーフシャールはリーゼロッテの左手を引いてベッドに誘おうとすると、体に衝撃が走り意識が途切れた。