打算的な求婚
西洋風の可愛い建物が並ぶのどかな町、誰も忙しそうにしておらず顔見知りと立ち話をしたり子どもたちは走り回って遊んでいる。
新緑の木々は瑞々しくてそれだけでテンションが上がった。ずっとこういう環境の中で暮らしたかった。
クレアは鼻歌を歌いながら白いパラソルをくるりと回した。
「お嬢様、その歌は何という歌ですか?」
侍女のニナに「『やさしさに○まれたなら』よ」と答える。彼女の母親がクレアの乳母だったので小さい頃からずっと一緒にいる。
「それも前世の歌ですか?」
「そうよ」
彼女にはなんでも話してきた。
クレアには前世の記憶がある。日本生まれの日本育ち、黒髪黒目で身長も小さく、所狭しと並んだ家と忙しなく行きかう人々と車、ごちゃごちゃしていてうるさい環境で育った。
だからか西洋の、特に中世の文化に憧れて物語やゲームもそういうものを好んでいた。きっかけは誰もが小さい頃に読んでもらうシンデレラとかそういう憧れから。
その憧れが今世で叶うなんて!毎日が幸せだった。
「この町並みもしばらく見納めね」
少し寂しげに呟く。明日から社交デビューする為王都へと向かうのだ。
たった16歳で婚活しなければいけないというのはどうにも遣る瀬無いけど王都とお城で開かれるパーティーは楽しみにしていた。
素敵な出逢いがあるのを期待して……
「うわぁ……」
思わず漏れた感嘆はなんとか小声に押し留めた。本当なら大声で素敵!とはしゃぎたくなるほど興奮している。王都も賑やかで心踊ったが王宮は華やかで見惚れるばかりだ。
「クレア、こんなところで立ち止まっていては邪魔になるよ」
「あ、ごめんなさい!」
入り口で釘付けになっていたクレアはエスコートしてくれてる兄に従って会場の中へと歩き出した。しかし見回すのは止められなくて、色々目移りしてしまうがなるべくゆっくり首を巡らす。忙しなく見回すのははしたないからだ。
大広間の装飾に着飾った人々、楽団とまさに夢に見ていた世界にこの感動は一生忘れないとクレアは強く思った。
しばらくするとファンファーレが高らかに鳴り王族の登場を告げる。皆が一様に腰を落として礼を取った。
「今年もこの季節がやって来た。今宵は隣国よりジークヴァルト王太子も参加する。各々よき未来の為に思う存分交流を深めよ」
王様の宣言が終わると音楽が流れ出した。上位の貴族達から王族へ挨拶をする。クレアたちの階級は下の方なので同じような階級の人たちと先に挨拶を交わしつつ順番を待った。
その後はダンスがある。ファーストダンスはもちろんエスコート役の兄だ。
「行くぞ」
一緒に来ていた両親の後に従い王族の許に行く。さすがに浮かれ気分は緊張へと変わった。
「今年社交デビューした娘です」
「クレア・メリングです」
固さは拭いきれなかったがなんとか挨拶をする。王様から良き縁があるようにと言葉を貰いありがとうございますと返して挨拶は終わった。
ほっとして王族を見る余裕が出る。王様は貫禄があり、ナイスミドル。王妃様は歳を感じさせない美しさ。王太子は……
ばっちりと目が合い慌てて下を向く。微笑んでから目を逸らすべきだったと失礼な態度を取ってしまったことを悔やんだ。さすがに続いて隣国の王太子を見ることもできなくてそのまま離れた。
いくら憧れの世界でもさすがに王子様とどうこうなれるなんてクレアは夢見ていない。王妃がどれほどの重責かわかっているつもりだからだ。
確かに金髪イケメンで憧れるのに申し分のない王子様だったけど、下位の自分には縁のない方だからいつまでもさっきのことを気に病んでも仕方ない、せっかくのパーティーを楽しもうとクレアは気持ちを切り替えた。
この日のために練習したダンスは素敵な音楽とともに上手にできてとても満足した。もっと踊りたかったが兄にも色々付き合いがあるので友人への挨拶に同行する。その中で誰かにダンスを誘ってもらえたらなぁと期待した。
「こんなに可愛い妹がいたのか」
社交辞令だとしても嬉しくて浮かれているとざわめきが聞こえてきた。それがだんだんと近づいてきて人々が割れていくのをクレアは不思議に思って見ていると人垣から二人の王太子が現れた。二人の視線はクレアを捕らえているようで思わず後ずさる。
どうか勘違いであってと少し横にずれて通り過ぎるのを願ったが二人が目の前で立ち止り、クレアの血の気は一気に引く。
「「クレア嬢ダンスを踊っていただけませんか?」」
二人同時に申し込まれるというありえない状況に気が遠くなりかけて、ふらついたのを兄が支えてくれた。
あの後体調不良を理由に兄がダンスを断ってくれ、早々に王都にある邸宅に帰った。パニックになってなんで、どうしてと思うばかりでまともに思考することもできずクレアは頭を抱えた。
年頃の娘達にとって憧れで、見初められれば未来の王妃になれる夢の存在である王太子に、しかも隣国の王太子までが、よりにもよってどうして自分に声をかけてきたのかさっぱりわからなかった。
容姿は前世に比べればはるかに良いが飛び抜けて良いわけではない。父はのんびりした性質で政治に秀でているわけでもなく、領土だってなんでもないのどかな田舎で恵まれた特産品があるわけでもない。
ようやく落ち着いて思い至ったことはこれから嫉妬の嵐に見舞われるだろうということ。下位貴族であるクレアに上位貴族の令嬢たちが納得するはずがない。またその一族も。
メリング家の朝食はどんよりしたものになった。きっと両親にも今年の社交界は針のむしろになると思うと申し訳なく思う。
「何か心当たりはあるのか?」
食後のお茶を一口飲み、父が重々しく口を開いた。クレアもカップを置き正面に向く。
「ありません」
人の好みは人それぞれ、一人ならたまたま好みどストライクなのかもと思えなくもないが二人からともなるとその可能性は低い。
皆で頭を抱えてると王宮から父に登城するよう使いが来た。父が慌てて支度をして出て行くのをクレアは祈る気持ちで見送った。
昨日のことで説明があるのだろうか、それとも断ったことに対してお咎めが、と不安を抱えてただ待つしかない……はずだった。
「具合が良くなったようだな」
「ご心配いただきありがとうございます。おかげさまで良くなりました」
父が出てまもなく隣国の王太子ジークヴァルトがメリング家にやって来て、クレアは再びパニックに陥った。
わざわざ男爵家にお越しになるなんて誰が思うだろう。出迎えたメリング家は皆戸惑っていた。
そんな様子をまったく構うことなくゆったりとソファに座っているのはさすが王族の風格があると言うべきか。
しかしクレアにとっては触らぬ神に祟りなしであり、母に対応を任せ黙っていることにした。
「わざわざ娘のお見舞いありがとうございます。お越しいただくほどではなくて、なんだか申し訳ないですわ」
「もう一つ用があるのですよ」
「まぁ、どういったご用件でしょうか?あいにく男爵は不在でして」
「知っています。王宮に呼ばれたのでしょう?だから来たのですよ」
ジークヴァルトの不敵な笑みがクレアに向き、周りはますます戸惑った。
「なんでしょう?」
嫌な予感しかないが訊かないわけにはいかなくて、おそるおそる口を開いたクレアにジークヴァルトは実に楽しそうに答えた。
「クレア・メリング、オレの妻になれ」
余りのことに誰もが驚きに口をきけずにいた。用件がまさかの求婚、王太子が男爵令嬢にすると誰が思うのか。
沈黙がしばらく続いたがようやく母が「どういうことでしょう?」と口を開いた。
「占いですよ、男爵夫人」
年上だからと一応敬語で話しているがその態度は不遜である。さっきからそんな気はしてたけどやっぱりオレ様か、とクレアはうんざりした。イケメンだから憎たらしいほど似合うけど。
「差支えがなければ内容をお伺いしてもよろしいでしょうか?どうしても私が貴方様に相応しいとは思えないのですが……」
「占いが間違っているとでも?」
「そんなことは、ただ内容によっては解釈次第でどうとでも取れる場合がありますので」
ジークヴァルトが目を細めてクレアを見据えた。心を見抜こうとするかのようで緊張が高まる。
この辺の国はわりと占いを重要視している。
国が抱える占い師が星読みをして重要な日の日取りを決めているのが主で、王家が結婚する時相性とか、大怪我した騎士の療養先とか、
不作の年に占いで山から恵みがもたらされるとあり調べると崖崩れから宝石が見つかって他国に売って支援してもらったとか、
北から悪魔がやって来るというお告げに従い北を調べて流行病を喰い止められたとか、南から吉報が来るとして同盟をより良い条件で結ぶことができたとか。
ジークヴァルトが言っているのはきっと自分の結婚相手を占わせた結果なのだろう。
「私は将来王になる。相手は我が国にとって一番利になる者が良いと占わせたらアンタになった」
やっぱり。クレアはそっと唇を噛んだ。たかだが男爵令嬢の自分が選ばれるなんて前世の記憶を持っているからとしか思えない。
しかしあいにくと平平凡凡に生きてきたクレアに特別な知識も技術もない。期待されても困るのだが……
何故選ばれたのかと影口叩かれる未来が容易に想像できて、できれば断りたいけど無理だろうなぁと思いつつ母に視線をやると困ったような表情でクレアに頷く。
母がまさに返事を口にしするタイミングでノック音が響いた。
「失礼します」
「まぁ、来客中に失礼ですよ」
「申し訳ございません、王太子様がいらっしゃいました」
母と二人驚き二の句が継げないでいると返事を待たず王太子ウィルフレイドが入ってきた。
「急な訪問で申し訳ない。ジークヴァルト殿がこちらに来ていると知って慌てて来てしまいました」
全然申し訳なさそうでない良い笑顔で詫びると勧めてもいないのにさっさとジークヴァルトの隣に座った。ジークヴァルトが嫌そうに顔を顰めているのに対して笑顔のウィルフレイド。この二人正反対だなとクレアは思った。
偉そうな人と物腰の柔らかい人、断然優しい方が好ましいのだが、ウィルフレイドがここに来た理由が気になる。いやいや、決めつけるのはまだ早い。ほら、きっと……
「クレア嬢、私と結婚してください」
ジークヴァルトを連れ戻しに来たのだと祈るように縋った期待は無残にも砕け散り、クレアの目が死んだようになっても致し方のないことだった。
返事は当主と話し合ってからと、とりあえず二人の王太子にお引き取り頂いてクレアは自室のベッドにはしたなくも倒れ込んだ。
ウィルフレイドにも何故自分なのかと尋ねると案の定占いだと言われてしまった。いくら二人が正反対のタイプでも所詮は王太子、通じる所はあったのだ。
父が王宮に呼ばれた理由も結婚の打診だそうで、それを知ったジークヴァルトは結ばれてしまう前にと直接求婚する形を取ったらしい。
「こんな打算的なプロポーズなんて嫌!」
せっかく大好きな世界に生まれてこれて、男爵家だからそこまで重要な政略結婚とかもないだろうし、同じような階級の人とそれなりの恋愛をして結婚を夢見ていたのに見事に破れてしまった。
愛のない結婚なんてクレアには到底受け入れられない。果たしてあの二人にそれが期待できるのか、……無理な気がする。良くも悪くも二人は王の器で、愛などより国を優先しそうだ。
為政者として国のためになるならと考えられるのは素晴らしいことだと思うが、自分を巻き込まないでほしい。
クレアは物ではなく感情のある人間だ。利用されるだけされ、気持ちを蔑ろにされるのは悲しい。
しかし目上の者からの求婚を断るのは難しいのが現実だ。どちらを選ぶかとなると……
さっきはウィルフレイドの方が好感が持てたが、こうなってくると話は別で、むしろあの笑顔が曲者で、愛する振りして騙しそうだと思った。
それならば自分本位だからこそ偽らないジークヴァルトの方がちょびっと、本当にちょびっとましだと思う。
でもましなだけでいいわけじゃない。妥協なんてもっての外!二人の王太子から求婚されたのは不幸中の幸いだった。
お互いが牽制し合って話を強引に持って行かれることはないはずだ。つまり猶予がある。
本来なら自国の王太子の求婚を受けるべきだと非難する人もいるだろうがこちらは人生が掛かっているのだから慎重に選びたい。
こっちを振りまわす気ならそっちも振りまわされるべきだ。
「選ぶ権利は私にあるのよ」
二人にはお願いをしよう、私の一番欲しいものを下さいと、くれた人の元に嫁ぎますと。期限は1年、過ぎれば諦めて下さい。
クレアは絶対この世界で幸せになってやると決意した。