3−1
火曜の午前、古典のキメリエス教師の授業は厳しいと、学生の間では有名だ。
特別な理由がない限り、学期中の欠席は三度までしか認められない。また、授業中の私語や居眠りなどは、この世界の未来を担う紳士の振る舞いとしてふさわしくないとして退席させられ、その日の授業は欠席として扱われる。
そしてミハルはその授業をすでに二回欠席し、また居眠りで一度退席させられていた。
つまり、王手が掛かった状況である。
だからユージンは、いつもより十分早く朝の身支度を終えると、同じ階にあるミハルの部屋に向かった。
あいつは誰かに引っ張り出されでもしないと、午前の授業なんかめったに出てこない。最上級生のミハルが今年再履修の授業を作れば、その瞬間、今年度中の卒業の目がなくなる。
出過ぎた真似だというのは、自分でも重々承知していた。
あいつとユージンが親友のように言葉を交わしたのなんて、あの時、まだ何も知らない子供の頃のほんの一度きりだ。この寄宿学校に入ってからだって、ユージンがただ一方的に世話を焼いているだけで、実際のところは学友以上とも以下とも言えない微妙な関係でしかない。
けれど、あいつはそろそろ、目を覚まさなければいけないのだ。
そうでなければ、あいつは本当に、この世界での居場所をなくしてしまう。
(……いや、違う)
そもそも、自分たちのような貴族の家に嫡男以外として生まれた子供には、この世界に本来居場所なんてないのだ。
所詮スペアでしかない弟たちには、長男とは違って生まれもって用意された跡継ぎとしての指定席はなく、それでもこの世界にしがみついていたいのなら、自分で身を立てて居場所を作り出すほかない。
ダンタリオン家の次男として生まれたユージンにも、本来ならその指定席は与えられえないはずだった。
しかし、どんな運命の悪戯か、指定席はユージンの元に回ってきて、その瞬間からユージンの人生は百八十度変わってしまった。
そしてユージンは、その幸運――どんなに言い繕っても、これはやはり幸運なのだろう――が自分だけに与えられたことに、何とも言えない後ろめたさを感じていた。
だからこそ、出過ぎた真似とは知りながらも、俺はあいつの世話を焼いてしまうのだ。
そうしなければきっと、あいつは本当にこの世界で一人ぼっちになってしまう。
そうすることこそが、あの尊い約束を反故にすることしかできなかったユージンの償いであり、ミハルに対する果たすべき責務なのだ。
「ミハル、起きてるか?」
二階の廊下の最奥にあるミハルの部屋の前までやってくると、ユージンは固く閉ざされたそのドアを数度ノックした。
中から答えはない。
眠っているか、それとも居留守を使っているのか。ドアの向こうからは、かすかではあるが確かに物音がする。
もう数回ノックと呼びかけを繰り返してから、ユージンは意を決してドアノブに手を掛けた。
「開けるぞ、いいな?」
声とともに引き開けたドアの向こうで、ミハルはまだ眠っていた。ベッドの上で、なぜか制服姿のまま、身体を丸めて子供のように寝息を立てている。
「……え」
そのベッドの上にもう一人分の人影が見えた瞬間、ユージンはその場に硬直した。
この寮で最上級生に与えられるのは一人部屋であるはずだ。しかし、ベッドの上のミハルの隣にはなぜかもう一人分人の姿があり、ミハルと絡まりあうかのようにベッドの上で眠っている。
その人影が、カーテン越しの朝日と、ユージンが立てた物音に気づき、身動ぎとともに身体を起こす。
人影の正体は、少女だった。
白い肌に、金の長い髪。
ユージンたちと同じくらいの年頃に見えるが、男子のための学校であるこの寄宿学校において、少女は存在してはいけないものだった。
いや、それだけでは済まない。彼女は本来、この寄宿学校にも、そしてこの世界自体にも存在してはいけないのだ。
なぜなら――
「あれ、ミハル、朝……?」
少女は寝ぼけ眼のまま、隣で眠るミハルに尋ね、それからふと、ドアを開いた時の姿勢のまま立ち尽くしたユージンの方を見る。
少女の翠の瞳がユージンを捉えると、彼女の背から伸びる機械の翼が軋んだように鳴った。
「――ひっ!?」
瞬間、短く息を呑み、
「て、天使――――――――っ!?」
次に吐き出されたユージンの悲鳴は、まだ静かな朝の寄宿学校中にわんわんと響き渡った。