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「へえ、彼がおせっかい焼きのユージンね」


 退屈な授業を途中で抜け出し、ミハルは足早に寮へ戻った。半分義務のような気持ちで食堂から軽食をくすね、部屋に戻ってアンジェリカに渡すと、ミハルはそのままベッドに身を投げて眠ってしまう。


 校舎の方から聞こえてくる終業の鐘の音で目覚めると、もやもやした気持ちも少しは晴れていた。


 だからミハルは、空気の入れ替えを兼ねて、開け放った自室の窓から外の景色を眺めていた。いつの間にかアンジェリカもミハルの隣にやってきて、こっそりと窓の外の景色を伺っている。


 彼女が発した言葉に、ミハルは応えた。

「そう、彼がユージン。僕の幼なじみ……って言うのかな?」


 金曜の放課後は課外活動の時間になっていた。大昔に流行した「健全な精神は健全な身体に宿る」という言葉の元、寮対抗のクリケットにラグビー、ボートなどのレクレーションが週替りで行われている。


 どうやら今日の課外活動の時間は校庭でクリケットをやるらしい。ボートのオールにも似たバッドを肩に背負った学生たちが、寮の玄関に集まっているのが見えた。


 その輪の中には、もちろんユージンの姿もある。痩せぎすで身体を動かすことが苦手なミハルと違って、筋肉質な体つきをしたユージンはスポーツさえも優秀だ。


「彼は何もかも、僕とは正反対なんだ。優等生で、最上級生の成績優秀者から選出される監督生にも選ばれている。後輩の面倒見も良くて、大人たちの覚えもめでたい」

「そうなの、きっと素敵な人なのね」


 そう彼を評したアンジェリカの表情は、しかし不自然にこわばっていた。まるで自分の中に芽生えた感情に戸惑っているかのようだ。


「ごめんなさい。こんなのっておかしいと思うのだけど、でも、わたし……なんだか怖いの」


 そう言って顔を伏せてしまうアンジェリカ。

 その肩をミハルは優しく抱き寄せた。


「大丈夫、あいつのことなら、僕も大っ嫌いだから」


 ミハルはそう言い切ると、ダンスに誘うようにアンジェリカを招いて、そのままベッドに押し倒す。

 華奢な少女である彼女を組み敷くことなど、痩せぎすのミハルにだって簡単に出来ることだ。


 機械の翼ががしゃんと鳴り、金色の長い髪がシーツの上に広がる。


「どうしたの、ミハル?」


 アンジェリカが驚いたように瞳を瞬かせるが、ミハルは答えない。

 その代わり、ベッドに仰向けになった彼女の上に、覆いかぶさるように四つ足をついた。


 そうやって身動きを封じてから、彼女の金の髪を一房掬い上げる。


「きれいな髪だね。君の世界の人は、みんな君のような姿をしているの?」

「そういうわけでもないの。ただ、天国ではこういう髪の色や白い肌が好まれるから、みんな羨ましいって言ってくれる。……この世界の人は、彼みたいに黒い髪の人が多いの?」

「そういうわけでもないよ。ただ、この学校ではああいう格好が望ましいとされているから、僕みたいなのは鼻つまみ者扱いさ」


 わざと彼女の言い方を真似て見せると、アンジェリカはころころと笑った。

 男に組み敷かれ、何をされてもおかしくない状況なのに、その表情には不安も恐怖も滲んでいない。


(ああ、この子は本当に、何も知らない無垢な天使なんだな)


 まるで、今はもうこの世界ではおおっぴらに語り継がれることのなくなった、伝承の中に残る本物の天使みたいに、無垢で、清らかで、人を疑うことを知らずに、愚かなままでいられる。


 そんな彼女のあり方が無性に腹立たしく、同時に途方もなく羨ましかった。


「君たちはいいね。まるで自由な鳥みたいでさ」


 ミハルの言葉に、アンジェリカは一度きょとんとして、それから何かに気づいたように微笑む。


「ミハルは鳥が好きなの? この部屋にも、鳥の図鑑がたくさんあったわ」


 アンジェリカの言う通り、この部屋には開きっぱなしの図鑑があちらこちらに置かれている。色とりどりの鳥が描かれたそれは、ミハルが暇つぶしに学校の図書館から持ち出してきたものだった。


「うん、好きだよ。まだ小さな頃、怪我をした小鳥を拾って、家族には内緒で面倒を見ていたこともある。……ほんの少しの間だけどね」

「少し、の間?」


 アンジェリカが訝しげな声を出す。

 ミハルは穏やかな笑みを浮かべたその表情を変えないようにして言った。


「うん。兄さんがその鳥(かのじょ)のことを見つけてね、こんなものにかまけているから、お前は軟弱なままなんだって、縊り殺してしまったんだ」


 アンジェリカが息を呑む。


「そんな……ひどい……。お父様やお母様は、さぞ怒ったでしょうね」

「いや、全然。父さんに至っては、命を奪うという行為を恐れない兄さんの勇気を讃えていたくらいだ」

「あんまりだわ! そんなのって、かわいそう……!」


 ミハルの下で、アンジェリカが初めてはっきりと青ざめた。少しだけ胸がすくような気持ちがする。

 ミハルは自嘲するように笑って見せた。


「仕方ないよ、全部僕が悪いんだ。僕が痩せぎすで軟弱で、父さんや先生たちが望むたくましい紳士とやらになれなくて――この世界に上手くなじめないから悪いんだ。彼女だって、僕が兄さんに抗う力があったのなら、もう一度空に帰ることができたはずなのに……本当に、悪いことをしたと思ってるよ」


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