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1−3

 金曜の午後。

 ひな壇状になった講義室の最後列で、ミハルは不満気に頬杖をついていた。


 昼休みの渡り廊下で屋根に止まる鳥を見ていたら、偶然そこを通りかかったユージンに捕まり、そのまま次の時間の授業が行われる教室に連行されたのだ。


 もちろん、ミハルは授業に出席するつもりなんかなかった。午後はまた中庭で昼寝をするか、寮に戻ってアンジェリカの相手をしようと考えていたのだ。一週間に二度も、しかも二日続けて授業に出るだなんて、在学中ずっと劣等生で通ってきたミハルの名折れである。


 それもこれも、ユージンのせいだ。


 ミハルが最上級生になる今年まで、なんだかんだ留年せずに進級してきてしまったのは、ユージンがこんな風に度々おせっかいを焼いて無理やり授業に出席させたり、不出来で不真面目な学生を来年も受け持ちたくない教師陣との折衝役を買って出たりしているからなのだ。


 そのユージンは、今日も優等生たちが集まる教室前方の席で熱心に授業を受けている。ご苦労なことだ。

 ミハルには、彼我のこの物理的な距離が、そのまま自分たちの置かれた立場の違いのように感じられる。


(昔はもっと、近くにいたはずなのに)


 そんなことを考えながらミハルはあくびを噛み殺し、いつものように襲ってくる睡魔に身を委ねようとした。


 しかし今日は、それすらも適わない。


「……ル・――! ミハル!」


「……ふぁい?」

 苛立たしげな声が、眠りに落ちていこうとするミハルを現実に引き戻す。

 気づけばひな壇状の講義室の最下方から、鋭い視線が向けられていた。


「教科書二百四十ページ。この文章から導き出される陣を、前に出てきて書いてみなさい」

 教壇の上で、教師が背にした黒板をバン、と叩いて示す。


 これだから、実践の授業はいやなのだ。


 同じ教師という人種でも、ミハルのような劣等生に対し、口うるさくするものと、そうでないものがいる。歴史学のウァサゴ教師などは長くこの学校で教鞭を執っている分、そういう学生のやりすごし方をよくわきまえているようだが、このラプラス教師はそうではない。


「早くしなさい。私の言うことが聞けないのなら、鞭打ちにするぞ」


 この学校の教師陣の中ではまだ若い部類に入るラプラス教師は、伝統的な社会を守るたくましい紳士を育成するこの学校の理念と、その実行のために熱を上げる自分に、いまだ酔っている部分があった。


「言うことが聞けないだなんて、とんでもないです、先生。謹んで挑戦させていただきます」


 そんな彼に白々しい台詞を吐きながら、ミハルは席を立ち、ひな壇状になった講義室の階段を降りていった。

 最下段の教壇の上に踊り出ると、白墨を手に取り、教師とミハルとの危ういやりとりを見守っていた学生たちの視線を一身に受けながら、まっすぐ黒板に向かい合う。


「……えーと」

 ……向かい合ってはみたものの、何を書けばいいのかは見当もつかなかった。当然だ。授業なんてこれっぽっちも聞いていなかったし、それどころか教科書すら持ってきていない。


 この授業で学ぶのは、文章を読み解くことで導き出される「とある文様」から恩恵を得るための技術だった。その技術は、この世界では算術や古典よりもよほど重要視されている。


 けれど、その技術は、古い文献などに残された文章から正しい文様を導き出せる者にしか与えられない。

 古くから伝わる文献に文様をそのまま直接書きつけていれば、誤って文様が「発動」してしまった場合、その文様は永遠に失われてしまう可能性があるからだ。


 それに、この世界の住人達は、「誰にでも使える」技術をよく思わないところがある。


 だから、この六年間の学校生活を劣等生として過ごしてきたミハルが黒板に書きつけたのは、子供の落書きのようなでたらめの文様だった。


 白墨を放り、空いた両手をその上につく。落書きの文様がごくごく淡く発光する……がそれだけだ。

 教師が大げさにため息を吐いてみせた。


「嘆かわしいことだ。君には貴族の子息として、与えられた才能を世のために活かそうという志はないのかね? そもそも君は……」


 教師がぺらぺらとまくし立てる薄っぺらなお説教を、ミハルは右から左に聞き流した。そんなミハルにもう一度ため息を吐いてから、教師は再び教室の学生たちに視線を戻す。


 次に彼が指名したのは、教壇のすぐそばの席に座っていたユージンだった。

「はい」

 ミハルとは違い素直な返事をして立ち上がったユージンは、教室後方の席へと戻っていくミハルと入れ違いに教壇に上がる。


 白墨を手に彼が書きつけるのはミハルが描いた落書きなんかとは違って、複雑で、それでいてどこか芸術性すら感じさせる文様だ。


 直線と図形、数字や短い文言を組み合わせて描かれるそれは、古くから伝わる伝統的な技術を、発展も退化もしないまま現代まで受け継いできたもの。


 そうして出来上がった文様は、アンジェリカの背負った機械の翼に走る、「回路」と呼ばれるという文様によく似ていた。


「出来ました」


 言ってユージンが白墨を置き、空いた左手を書き上げられた文様にかざす。


 彼が元来持つ「魔力」という力が、この世界では「魔法陣」と呼ばれている文様を循環していく。

 魔力は適切に選ばれた図形や文言を適切に通過することで増幅し、制御され――そして顕現する。



 ――じゅっ、と。



 薪に火を起こすような音を立てて、魔法陣の中心から浮かび上がったのは、大きな火の玉だ。

 これこそがこの世界で「機械」の代わりに用いられる技術――魔法だった。


 魔法によって顕現した火の玉は数秒の間虚空を焦がした後、空気に溶けるように消え失せる。


 教師が満足気に両手を打ち鳴らした。


「素晴らしい。非の打ち所のない模範解答だ。この魔方陣の解釈には古典的表現の理解が必要だが、その点もきちんと反映されている。よく勉強しているな」


 そう言って、黒板に描かれた魔法陣を使い補足解説を始める教師の横で、ユージンは水中での水かきを見せない白鳥のようになんでもない顔をしている。


「さすが優等生」

 ミハルは彼に向けて短く口笛を鳴らした。それから、声を潜めてひとりごちる。

「昔は勉強なんか嫌いだって言ってたのに、ずいぶん努力をしたんだろうね。――君のそういうところ、僕は大っ嫌いだ」


 けれど、剣呑な響きを持ったその言葉は、教壇の上の彼には決して届かなかった。

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