4−1
そして、朝が来た。
天井近くの明かり取りの窓から差し込む朝の光が、暗く冷たい石造りの牢屋に落ちる。
その淡い光に、アンジェリカはつぶっていただけの目を開いた。
この世界にも、朝日は昇る。
昨日まで人間界だと信じ込んでいたこの世界の本当の名前を、アンジェリカはまだ信じられずにいた。
ましてや、彼が悪魔だなんて。
昨日、大勢の怖い顔をした大人たちに囲まれて、ミハルは恐ろしい「真実」を次々に口にした。
けれど、そう語る彼は、なぜだかずっと泣きそうだった。
(……ミハルは、どうしてるかな)
だからこそ、アンジェリカは未だに、彼のことを憎みきれずにいた。
天使と悪魔は、憎むべき敵同士だ。そんなことくらい、伝承の中に伝わる天使のごとく、清らかな心を良しとする天国の教育でも教えている。
(それでも……)
アンジェリカは組んだ両手を、誰かの無事を祈るように固く握り合わせた。
ぎぃ――、と。
遠くで響いた金属製の扉が開く音が、アンジェリカの祈りを断ち切ったのはちょうどその瞬間だった。
続いて、石畳を鳴らす複数の足音が徐々に近づいてくる。
「――落下物183号、確認」
そうしてオレンジ色のランプの光とともに鉄格子の向こうの通路に現れたのは、三人の男だった。
彼らはみな、学生たちの黒衣にも少し似た、長い裾が特徴的な黒い軍服を身につけている。浅黒い肌に、屈強な体つき。
黒ずくめのおぞましい姿はまさしく、天国の大人たちから侮蔑と憎悪を込めて口伝えられてきた悪魔の姿そのもの。
肌が、生理的に粟立つ。
彼らは無慈悲に告げた。
「落下物183号。協定に基づき、処分のために基地まで輸送する」
そうして鉄格子についた鍵を開けると、見張りらしい一人を外に残し、それ以外の二人が牢屋の中に入ってくる。
彼らは両脇からアンジェリカの腕を掴み、乱暴に引き起こした。
「いやっ!」
昨日アンジェリカをこの牢屋に連れてきた学校の教師たちは、アンジェリカに対し、ひどく怯えたような顔をしていたが、それでも乱暴はしなかった。
だが、この軍服の男たちは違う。平然とした顔で、アンジェリカのことを物のように扱った。束縛から逃れようにも彼らの力は強く、背中の翼がぶつかり合ってがしゃがしゃと鳴るだけだ。
天国でこの機械の翼は、三歳の誕生日を迎えるとともに医療ボルトで外科的に身体へ取り付けられ、成長や立場の変化によって大きさや機能が拡張されていく。
それは自由の象徴であり、理不尽な支配から自らの力で抜け出し、自由を勝ち取った天使の末裔としての誇りだった。
けれど今、その翼はなんの役にも立たなかった。
右翼は地上に落ちた衝撃でひしゃげてしまっていたし、たとえ両翼が無事だったとしても、もともとは飛ぶ力を持たない自分たち人間は、鳥のようには上手く飛べないのだ。
アンジェリカは今、あまりにも無力だった。
(……そうじゃない。わたしは……わたしたちはずっと、無力だった)
結局、自分たちは伝承の中の「天使」という概念を借りて何かになったような気でいただけで、所詮最初からただの無力な人間でしかないのだ。
「……助けて、誰か……」
だから、救いを呼ばわるこの声も、誰にも届かない。
「――アンジェリカ!」
――はずだったのに。
瞬間、アンジェリカの目を焼いたのは、薄暗い牢屋を照らすまばゆい閃光だった。
「……うそ」
その光が一つに収斂した後、そこに現れたものの姿にアンジェリカは息を呑む。
鉄格子の向こうの通路に見えるのは、石畳の床にどさりと倒れる見張り役の軍人と――
「助けにきたよ、アンジェリカ。僕と一緒に逃げよう」
――そして初めて会ったときと同じ優しい、けれどどこか吹っ切れたような声でそう言う、天使よりも天使じみた外見の青年の姿。
乾いた血のこびりついた白手袋を左手に嵌めたミハルは、なぜか青黒く腫らした頬を歪めて笑った。