過去の因縁
男の声が反対側の店と店の間の路地から聞こえてきた。暗闇に覆われた路地から姿を現したのは眼鏡を掛けたスーツ姿の男だった。
俺はそいつを一日たりとも忘れたことがなかった。いや、忘れるはずがなかった。
「やっぱりな。こんなイカれた奴がサユハを誘拐したりする訳がないと思ってたが、お前が裏で手を引いていたのか…マーゲール!!!」
「お久しぶりですね、リャクト」
「まだ生きてやがったのか。お前もしぶといな。俺はてっきりあの火事で死んだと思ってたぜ」
言葉を発しつつ、マーゲールは歩み寄ってきた。
「あれくらいでは、私は死になどしませんよ」
俺は銃口をメワンからマーゲールへと移した。
「おや、そんな物騒なものを私に向けるのは止めて頂きたい。今日はあなたとやり合うために来た訳ではありませんので」
「だったら、これ以上近寄るな。本気で撃つぜ?」
「撃てるものなら撃ってみればどうです?」
マーゲールは指で眼鏡を押し上げた。
俺は何の躊躇いもなく、引き金を引いた。だが、マーゲールは銃弾の軌道がわかっていたかのように紙一重で銃弾をかわした。
「それにしてもリャクト、あなた弱くなったのでは無いんですか?メワンさんくらいであれ程てこずるなんて。八年前のあなたの方が…」
「黙れ!マーゲール、てめぇにあの日のことを語る資格があるのか?」
マーゲールは一度立ち止まり、顎に手を当てて考え込んだ。
「そうですね…資格なんて考えたことなかったですね。それにしても、サユハとか言うあの女性は実に単純で誘拐するのがたやすかったですね。リャクト、あなたもあんなのと行動を共にしているから弱くなるんですよ」
バンッ!
マーゲールは俺が放った銃弾を今度は素手で掴み取った。マーゲールは掴み取った銃弾を地面に投げ捨てて、再び歩を進めてきた。
「お前にとやかく言われる筋合いはねぇよ」
「私はただ忠告してあげているだけですよ。あなたほどの風人が際限なく弱くなるのは私も望ましくないですし、悲しいではないですか」
とうとう、マーゲールは俺の手の届く範囲まで歩いて来た。
「では、メワンさんは返して頂きますよ」
「ダメだ。こいつを殺さなきゃ俺の腹の虫が治まらねぇ」
「だからと言って、今メワンさんに死なれるのは私も困るんですよ。彼は狂っていたとしても貴重な人材ですから」
俺は銃口をマーゲールの額に向けた。銃口から額まではわすが数センチしかない。
「マーゲール。お前も死にたいのか?」
「死にたい?それはリャクトが私を殺すということですか?」
マーゲールは作られたような笑みを浮かべた。
「何が可笑しい?」
「すみません。そんな冗談をあなたから聞けるとは思っていませんでしたからね。リャクト、今のあなたには私を殺すどころか傷一つ付けられませんよ」
「だったら試してみるか?」
俺は銃を握る手に力を入れた。
「言ったでしょう?私は今日、あなたと戦いに来た訳ではないと…」
「だが、俺はお前とやる気でいるぜ。お前にだけはなめられたくないからな。それに俺から言わせればお前が俺に傷一つ付けられねぇぜ」
「そんなことを言われても私はリャクト、あなたとは戦いませんよ。それにそんな安っぽい挑発などに私が引っ掛かるとでも?残念ですが、私はそんな挑発に引っ掛かってあげる程お人よしではないですよ。わかりまし―――」
バンッ!
マーゲールが話を遮るように俺は引き金を引いた。俺は銃弾が完全にマーゲールの額を捉らえたと思ったが、すでにマーゲールは俺の首筋に手に納まる程のナイフが宛てがっていた。
「何度も言ったはずですよ?私は戦う気はないと…それともリャクトが死にますか?」
「く…てめ…」
「おっと、動かない方が賢明だと思いますよ。やはり、ナイフを持って来たのは正解でしたね。さっ、メワンさん。起きてください。いつまでそうしているつもりですか?帰りますよ」
メワンは今まで気絶していたのか、動かなかったが漸く気が付いた。
「おっ、マーゲールじゃねぇかぁ。どうしたんだぁ?」
「どうしたじゃありませんよ。せっかくの素晴らしい舞台を台無しにしておいて…とにかく帰りますよ」
「あ、おぉ。わかったぜぇ。おいリャクトぉ、今回は俺の負けだが次はその命をもらうぜぇ」
メワンは立ち上がり、マーゲールと共に歩いて姿を消した。俺はメワンとの一戦で体が思うように動かなく、後を追う気にはならなかった。
俺はその場に座り込み、壁に寄り掛かった。メワンの腹への一撃を喰らったせいで腹は酷い内出血をおこしていた。俺にはもうサユハを助けに行くことは今の所はできそうにない。
俺以外、誰もいない大通りに静かな風が吹き抜けた。