閑話 武と心②
早朝の鍛錬の後、詰所にある医務室でリナ殿に手当てを受けていた。ランとの立会いをしっかりと目撃されていたようで、有無を言わさずに連行された。
ただまあ、正直ありがたい。
時間が経過するとともに、ランからもらった背中の一撃が効いてきたのだ。若干、腕が動かしづらくなっていた。
……それにしても、まさかあのように相手をされていたとは思わなかった。
族長との試合を見ていてようやっとわかった。
まぁ、俺の場合はただの一合で終わってしまったがのう、………ちくしょうめがぁ。
「ーーん、ーーさんっ、ショウさんっ! 聞いてますかっ?」
「……ん?、あぁすまん リナ殿。聞いていなかった」
今日の立会いを思い返しているうちに、あまりの悔しさから没頭してしまったようだ。
痛みのない方の肩を叩かれて気がついた。どうやらリナ殿の話を無視してしまっていたらしい。
「だからぁ……、あんまり無茶しちゃいけませんよって言ってるんですよ? いくら一角族の人たちが頑丈だからって、無茶ばかりしてたらその内に大変な事になっちゃいますよ?」
我に返った俺を見て、どこか呆れたように忠告を与えてくれる。
「ふむ、そうだな、気をつけよう。あまりリナ殿の手を煩わせるのも忍びないしな。」
手当しても手当しても、嬉々として己の体を危地にさらす我らが一角族は、医療班としてのリナ殿からしてみればさも頭痛の種であろうな。
「それはいいんですよっ 私の仕事ですし……
ただ………なんか嬉しそうですよね? こんな痛い目にあってるのに……」
「………嬉しそう? 俺がかな?」
つい今しがた、ランの澄ました表情をお思い出して臍を噛む想いだったはずだが……。
「ええ、さっきから心ここにあらずで……ちょっと、ニマニマしてましたよ?」
ニマニマ……。笑っていたのか? この俺が。
一角族といえど、己よりも年若い女戦士に敗れたにも関わらずか?
しかし……言われてみれば、さほど嫌な気持ちになっていないのも確かだ。
負けた事に対する悔しさは間違いなくあるのだが、なんというか……妙にサッパリとしていた。
ーー何故だ?
……いや、そうか………それもそうか。
言われてみれば、悔しさとは別に胸が弾んでいるのも感じる。
今日俺は、可能性を見せられたのだ。
これまでの戦い方は、確かに戦士としての矜持を満たす者ではある。
だがしかし、この先我ら一角族では及ばぬ魔物が現れたとしたらどうだ?
膂力、魔力で劣る相手に、真正面からぶつかり合い勝ちを得るのは難しいかろう。
せいぜい、動きを早め撹乱させてからの隙をつくというやり方でしか対処のしようがない。
ランが見せてくれた技術はまさに、その進化系だったのだ。
持てる能力が劣っていても、技術と駆け引き次第では勝ちを拾える。
あの族長相手に、ランがあれほど持ちこたえ渡り合えたのがその証左よ。
ーーそうだ、俺は今日ランに殺されたのだ。
もし敵同士であったのなら、そして俺の後ろにレン殿がいたのであれば、俺は主の剣どころか盾にすらなり得ていなかったのだ。
強くなろう………今よりもさらに強くなろう。
その道が今日示されたのだ。
戦士としてこれほどの光明があろうか?
「クッククククッ。」
「へ? あのぅ、ショウさん? どうされたんですか?」
突如笑い出した俺の様子に、リナ殿が困惑している。
「ふふふ、いやぁリナ殿、すまぬな。
無茶をしないという約束はできぬと思う。また、すぐに世話になるかもしれぬ。
だが、主の剣たる一角族としては、この選択を選ばずにはおれねよ。」
「……? そう、ですか。」
俺の言い様に、あまり納得はしておらぬようだ。
「しかしまぁ、できる限りリナ殿の手を煩わせぬような配慮はしよう。
リナ殿がいつまたあの時のように怒るのかもわからぬからなあ。
あの時のような恐ろしい目にあうかもしれぬと思った方が、怪我をせぬよう鍛錬にも身が入ろうしな? ははははは」
「ーーもう、怒らないですよっ。……わかりました。またいつでもいらしてください。
そのためにも怪我の治し方をもっともっと勉強しておきますからっ!」
「ーーかたじけないっ!」
「ーーもうっ、ソレ嬉しそうに言わないでださいっ!」
次の日の訓練からは、ランの動きをよく観察するようになった。
腕の振り方、足の運び方、重心の置き方。
木刀の握りまで少し違うのか?
いや、それどころか視線でも相手を誘導している。
ーーうむ、面白いな。
力を込めすぎてもいかんのか、脱力しているからこそ咄嗟の対応ができている。
だからこそ後の先を取りにいけているのか………。
ふーむ、思った以上に難しい……。
「左足の向きにも何かしらの意味があるのかもしれんな……、重心は……、こうか?」
とにかくランの動きを完璧に模倣してみるかーー、
「………い、……おいっ……オイッ! ショウっ」
「ん?」
ランの動きを頭の中でトレースしながら、黙々と型を練習していると、いつの間にか目の前に来ていた本人に怒鳴られていた。
よくはわからんが、何か不満があるようだな。
「ん?じゃないっ、お前のここ数日の視線が気持ち悪くて仕方がないのだっ!
何か言いたい事があるのなら、はっきり言え! この前の試合に不服があるのかっ?」
「……不満など、あるはずが無かろう? 何を言っておるのだお前は?
お前の方を観察していたのはだな、この前負けた技術をお前から一つ残らず吸収しようとしているのだ。
……まったく、折角集中しておったのに邪魔をするな! ほら早く訓練に戻って俺の糧となれいっ」
一体何を怒っているのかと思えば、くだらん事を言う。
技巧者の技を盗むのは、武の鍛錬では王道よ。こんな事ではランの技術も、早々に頭打ちになりそうじゃな。
「これだから一角族の阿呆どもは………。
あのなぁ、そんな風に女人をジロジロ見るのはマナー違反なのだぞ?
外の世界ではストーカーとか痴漢とかいうのだ。やってはいけないことなのだぞ!」
「ーーなんだとっ 武を求めてはならんと言うのか!? 強い奴から見て学ぶのは当然であろうがっ 外の世界なぞ知らぬ、ここは魔境とも称されるレン殿統べる樹海ぞ!」
「そんな話はしとらんっ! ジロジロ気持ち悪く見るんでなく、教えを請えばいいだろうが、共に鍛錬することに否やはないぞ……」
「阿呆めっ! それを早く言えい! ラン、お前の戦闘技術是非とも俺にご教授してくれ」
「………ふぅ、レン殿が我らをたまに残念な目で見ている時の気持ちがわかるな。
言っとくが、私もルル殿の戦い方を真似ているだけに過ぎん。しかも前回のことが原因で、何度お願いしても手合わせをしてくれなくなった。よって、ここから先は手探りになるがよいか?」
「応っ よろしく頼む」
なんだかんだで、ランから指導してもらうことになった。
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「ーーだからっ 何度も言っているだろうが! なぜそこで前に出るっ!!」
したたかに肩を打ち据えられながらランの怒鳴り声が響いていた。
「ぐふっ…………火中に飛び込んでこその勝機よ」
「それでヤられていては世話はないぞ? もっと相手の動きを読めっ」
木刀の切っ先を鼻先に突きつけながらも言うてくる。
毎朝の共同訓練だけでなく、巡回や護衛の合間を使ってランと鍛錬するようになり、しばらくがたった。
確かに自分の立ち回り方に幅が出てきたのは実感できる。それまでは一向に勝ち目のなかった同族の猛者にも食いついていけるようになり、実際に一本を取れることも増えてきた。
だが、ランからは取れぬ
朝に夕に構わず立会いを仕掛け、ランの動きを研究していても尚及ばない。
あいつの太刀筋や癖技など、目に焼き付けるように見て覚えてもなぜか届かぬ。
「………まったく、ここまで我が強いとは。もう少し柔軟に構えていなければいつまでたっても変わらないぞ?」
腰に手を当て、呆れたように言うてきよる。
「………ふん、今に見ておれ。気がついたら土をなめているのはお前になっていようぞ」
その証拠に、少しづつではあるが木刀を打ち合わせる事が増えてきている。立会いにかかる時間が伸びてきているのだ。
ーーそれ即ち、俺の剣を躱すことができなくなってきておるということよ。
「まあ、そういう所が一角族の強みでもあるのだがな。………もう一本いくか?」
「応。当たり前よ」
ため息を吐きながらも、どこか楽しそうに見下ろしてくるランの目を見据えながらまた立ち上がった。
いつものようにランに好き勝手翻弄されてしまい、散々に打ち据えられてしまった帰り道。
蔓に覆われた塀の上を緑小人たちが、キャラキャラと笑いながら走り回っている姿が見えた。
そのうちの一人が俺に気づき、両手に大事そうに抱えている木の実を一つ放り投げてくる。
片手で受け止め「くれるのか?」と尋ねると、大きく頷いていた。
口に放り込んでみると、
ーー苦いっ
顔を歪めとっさに吐き出すと、それを見ていた緑小人たちはきゃーっと逃げ去っていってしまった。
「……まったくしてやられたな」
やれやれと、口直しにそばになっていた果物を一つもぎ取りかじりつく。
樹海の果物は年中実っている。これもレン殿のおかげよの。
そこからしばらく歩いて行くと、何やら人の声が聞こえてきた。
小鬼族たちの果物の採取にでも出かけていたのか、子供たちを連れた一団に出くわした。その中にはよく知った顔もいる。
「リナ殿、果物の採取ですかな?」
大きな背負いカゴを持ったリナ殿に声をかけると花開くような笑顔を見せてくれた。
「ショウさん。ええ、ドワーフのおじいちゃん達がなんでも果実酒を作りたいらしくて大量に集めてるんです。……集めれるだけ集めてほしいとのことですけど、一体どれだけ作るんですかね?」
「ははぁん、以前レン殿から聞いた話では、ドワーフがお酒好きなのはテンプレ?らしいですぞ。」
「そうなんですねぇ。ただ、レンさんも大分ノリノリだった気がするんですけど………。果実酒の作り方をたくさんプリントアウトしてお爺ちゃん達と真剣に話あっていましたし。」
「はははは。レン殿もお酒に目がない方ですからなぁ……。よしっ、そういうことでしたら自分も手を貸しましょう。」
「えっ え そんな悪いですよ。」
「いつもリナ殿には世話になっていますし、これ位はさせてくだされ。」
リナ殿や他の女性達の背負いカゴを複数肩に担ぎ上げると、慌てながらもどこか嬉しそうなリナ殿を見た。
周囲にいた子供達に「おおー」「イッカクすげー」「超マッチョー」などと歓声が上がる。
それとは別に、他の女人達はなぜがクスクスと笑いながら、俺とリナ殿を眺めていた。そしてそれを確認したリナ殿は耳まで顔を赤くしていた。
樹々になる果物を小鬼族の子供達が器用によじ登っていく、よく熟れた果物を次々にもぎ取っては放り投げる。
小鬼族の女性達に「それはまだ青いからダメ」「そのもう少し上の方にあるヤツ」などと、指示を受けながらも器用に俺の背負うカゴに入れてくる。
最初は自分から慌てて受け取りに動いたものだが、そのうちじっと立っていても入れてくれることに気づいた。
「いやぁ、子供達の器用なこと器用なこと。うまく放ってくるものだ。俺にはできそうにないぞ。」
この一言で俄然やる気を見せた子供達は、次第に玉入れ競争のようになっていった。
周囲に女性陣も口々に子供達を応援しているものだから、さらに熱狂していた。
未だ体が小さく、木に登らせてもらえないちびっ子にはグズリだして自分もやりたいと地団駄踏む子まで出てきてしまったが、さすがは子供の扱いに慣れた女性といったところか、いつもの事とうまく宥めてくれていた。
せっせと果物を取り込み、背負いカゴを運んでいく中でリナ殿に二の腕の中ごろにある痣を見つけられてしまう。咄嗟に隠したのだが、遅かったようだ。
「………もうっ、またですか?ショウさん。」
怒っているというようりも、どこか悲しそうにこちらを見つめてくる視線につい目をそらしてしまう。
「むぅ、いや、なに、、ちょっと興が乗ってな………。そうだっ!!何もやられたばかりではないのだぞっ しっかりとランのヤツの脇腹にもいいのを入れてやったーー」
「ーーそういうことを言っているんじゃありません! あくまで訓練なんですから、もっと危なくないような配慮はできないんですかっ!! あまりにも訓練がいきすぎているようだと、レンさんに直談判して直々に注意してもらいますよっ!!!」
「ーーなっ、そ、それは困るぞ。訓練というのは真剣であればあるほど身につくのだから………」
「それで取り返しのつかない事になったらどうするんですか?当事者たちもそうですけど、周囲の人達も悲しむんですよ?
レンさんなんかお優しい方ですから、自分がもっと見ていればとご自分を責めるかもしれません。……もちろん私もとても辛いんですよ?」
「そ、それを言われると…………」
さすがはリナ殿だ。これほどまでに急所を的確に攻められるとは……グウの音も出ないとはこの事であろうよ。
「………一角族の方々の気性や考え方は私だって知っています。どれほどの武の鍛錬に重きを置いているのかも。だから、もうこれ以上は言いません。でも……だから……お願いだから………私の前で傷を隠そうとはしないでください。…………心配をさせたくないのなら………せめて、傷の手当だけでもさせてください」
うつむきながら、そうこぼすリナ殿に「わかった。……済まん」とだけしか返せなかった。
冷やかそうとする子供たちを叱りつけながら、リナ殿に連れられて医務室まで連れられていく。
先ほど以降、鍛錬に注意を促すような事はなかった。ただ淡々と傷を診てくれている。何気ない会話などをしているが、そちらの方が余計に応えてしまった。
それに何より最後に言われた一言は「ランさんはこんなに傷を負っていませんよ?」だった。
俺とばかりやりあっているのならそれも当たり前な話だが、ランは族長や他の者達とも立ち会うておる。それらは決して勝ち続けというわけではない。
対族長の時はもとより、年長者との試合でも負ける時は幾度もある。
ーーふむ、根本的に考え方が俺とは違うのであろうな。
詰所にある医務室を出て、今は火照りを持った傷を冷まそうと樹海の町をブラブラと歩き回っている。
すでに日は落ち、辺りは暗くなっていたが、時折民家からは明かりが漏れていた。囲炉裏や暖炉の醸し出す炎の揺らめきと一緒に、小鬼族の家族や友人同士の笑い声が聞こえて来る。
町中から少し遠くに目を向ければ、樹々の間を縫うように飛ぶ夜蝶たちが、ひらりひらりと幻想的な光の瞬きを魅せている。周囲からは小さな虫達の鳴き声が聞こえてきていた。
それらを眺めているうちに、心は穏やかに丸みを帯びていく。
「傷を負わない闘い方か……。俺はまだランの教えを理解しきれていないのだろう。」
しばし夜を眺めながら佇んでいた。
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次の日から少しづつ立会い方を変えていった。
これまではランの打ち方や攻め方にばかり意識を向けていたが、今後は避け方にこそ重きを置いてみよう。
そう考え始めて幾日か過ぎた頃、歯車がカチリとかみ合った気がした。
ーーそうか、相手とうまく組み合うのではない、相手に肩透かしを喰らわせるのだ。逃げるのではない、相手の動きを誘い込むのだ。
自分の思い描く動きに徐々に近づいている実感を得ていると、
「ショウ何かあったのか?ここ数日動きが大きく変わってきたぞ?」
いつも以上に粘りを見せる俺の立会いに、鎬を削り合いながらランが話しかけてきた。
「なに、多少意識を変えてみただけのことっ」
言葉と同時に切りはらった木刀を、ふわりと避けられランと俺との間合いが開いた。
ジャリジャリとすり足で間合いを探り合う。このやり取りに関しても以前に比べると随分慎重になったものだ。
はっきりと分かるのはランが攻めにくそうにしているということ。前までのような軽くあしらわれているような雰囲気は薄れていた。
そう思うと、ついニヤリと口角が動いてしまう。
それを見たランの目が細められ、その直後俺と同じように不敵な笑みを浮かべていた。
お互いの間合い、領域の奪い合い、侵し合い。
この前までのように、ただ我武者羅にランの動きについていこうとするのではない、相手が逃げるのであれば逃す、追ってくるのであれば追わせる。その中での意表をつく動き、相手の虚をついた一瞬を万力込めて喰らいつく。
視線、筋肉の動き、足の向き。
莫迦しあいのような運びから、徐々に演舞のような動きに変わってゆく。ランと己の呼吸がかみ合っていく。二人のリズムが重なり合っていく。
まるで示し合わせたかのように、どちらかが前にでればその分さがる。
自身の意識がギリギリの細さにまで研ぎすまされていくのがわかる。ランの姿がこれまで見たこともないほどに鮮明に映ってくる。あいつの心が透けて見えているような気すらしてくる。
……く……クク……………。
「「ははははっははははははは」」
気づくと追いつ追われつを繰り返しながら、俺たちは嗤っていた。
獰猛な魔物と向き合った時のように、一族の血がたぎるように………己の心身を残らず絞り切るような心地よい酩酊感に酔いながら、二人の感覚が混ざり合っていった。
笑いながら木刀を打ち付け合う我らを見て、呆れている者は多かったようだ。