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第五幕 第七場

「たしかに神崎さん」西園寺は言った。「あなたの言うとおり、わたしの推理は佐々木さんの証言をもとにしたもので、西村スミレが殺人をおこなった、たしかな物的証拠があるわけではありません。ビデオカメラは火事ですべて燃えてしまったので、そこに残されていた映像が、はたして佐々木さんの証言どおりなのかは、いまとなっては確認しようがありません。それに工藤さんも言っていましたが、西村アカネの子供という理由だけで、真犯人とはきめつけられません。それは認めますよ」


 西園寺は何を言っている、とわたしは思った。これまでの経緯から考えれば、西村スミレが真犯人でまちがいないはずだ。それなのに物的証拠がないと理由だけで、神崎マコトの言い分を鵜呑みにして負けを認めるのか。それではこの事件は解決しない。


「ほら見ろ」長髪の男は不気味に笑う。「スミレが犯人だという証拠は何ひとつないじゃないか。あの狼マスクだって、ぼくが買ってくるように頼んだ物なんだよ。ヒナコのバースデーパーティーで使えるかなって思ってね」


「なるほど、そうでしたか……」西園寺はさも困った様子で頭を掻いた。「弱ったな。そうなりますと、スミレさんを真犯人として結びつける材料は、佐々木さんの証言だけしかありませんね」


 長髪の男がふたたびわたしを指差した。「そいつの証言が百パーセント正しいとはかぎらない。もしかして嘘をついている可能性だってあるはずだ」


「嘘はついていない!」わたしは思わず叫んでしまう。「全部ほんとうの——」


「おまえは黙れ!」長髪の男の目はいまや血走り、鬼気迫った表情を見せている。「全部ぼくのしわざなんだよ! 人殺しがしたくて、ぼくがみんなを殺したんだ!」


「……そうだ、そのとおりだ」アキラも立ちあがった。「マコトさんがみんなを殺したんだ。おれの母さんもあんたが殺した。絶対にそのはずだ。母さんがおれのために自殺するなんてありえない。そんなの嘘だ」


「アキラ君……」

 わたしはそうつぶやきながら、アキラに視線を向ける。その目は神崎同様血走っており、その表情はとても苦しげだ。そこまでして、母親から愛されていたことを否定したいのか。なぜこうも頑なに認めようとしない。認めてしまえば、いままでの自分が否定されてしまうからなのか。


 長髪の男が自分を、アキラが神崎マコトが犯人だと主張するなか、傷の男と金髪の女は呆然とその様子を見守っていた。ふたりとも目の前で繰り広げられる光景に圧倒されているようだ。


「証拠はないんだ」長髪の男が言った。「証拠がない以上、スミレを犯人にはできない」


「神崎すわれ!」長髪の男の横に立つ刑事が怒鳴った。


 長髪の男は両隣に立つ刑事によって腕をつかまれ、無理矢理椅子に腰かけさせられた。アキラも同じようにして、刑事の手によって椅子にすわらせられる。


「証拠ね」西園寺はあご髭をなでた。「たしかにいままでは証拠はなかった。だが佐々木さんの証言を聞いてね、すぐにある物が重要な証拠だと気づいたよ」


「なんだと」長髪の男は気づかわしげな表情になる。


「あなたがたを襲った犯人は、自分の姿が映り込んでしまった、証拠となりそうなビデオカメラを放置した。その行為にどういった意図があるのか、わたしにはわかりません。もしかすると自分の凶行をだれかに止めてほしかったのかもしれませんね」西園寺はそこで咳払いをする。「ともかく犯人は、自分の姿が撮られてしまおうが、ビデオカメラなんておかまいなしでした。そんななか、西村スミレが亡くなった部屋に残されていたスマートフォンは、なぜか画面が叩き割られて壊されていました。これは実に不自然極まりない。もしも犯人がスマートフォンにその姿を撮られたとしても、破壊するはずがないんです。つまりは犯人以外の何者かが破壊したことになります」


 西園寺の言うとおりだ、とわたしは思った。あのときはその不自然さに気づけなかったが、よく考えてみるとおかしい。


「神崎さん、事件当時それまで何も知らなかったはずのあなたが、突然スミレさんの死を偽装し、自分が犯人になりすましたのは、そのスマートフォンに彼女が罪を告白した遺書が残されていたからですね」


 長髪の男は不安げな顔つきになるも、すぐに毅然としたものへと変わった。

「刑事さん、そいつはどうかな。そんなものが都合よく残されているとでも、本気で思っているのか」


「ええ、本気で思っていますよ」西園寺はほくそ笑んだ。「あなたはミスを犯した。スマートフォンに残されていた遺書のデータだけを削除していれば、われわれ警察はその事実に気づけなかった。だがあなたはスマートフォン本体を破壊した。おそらくそのときのあなたは切羽詰まっていたのでしょう。おかげでスマートフォンに重要な証拠があると気づくことができましたよ」


「それで刑事さん」長髪の男は挑発するかのような口調だ。「何か見つかったのかよ」


「あまり警察をなめないでもらいたい。たとえデータを削除しようが、本体を破壊しようが問題ありません。データは復元可能です」


 そのことばを聞いた瞬間、長髪の男の毅然とした態度が一変し、おどおどしはじめた。「……そ、そんなばかな!」


「あなたのその態度、実にわかりやすい」西園寺は勝ち誇った笑みを見せる。「あなたは証拠隠滅のため、スマートフォンを火にくべるべきでした。もっとも火事で燃えてしまうと考えていたのでしょうが、あなたには残念なことに洋館は半焼ですみました。おかげで重要な証拠をわれわれは回収できた。そしていま、そのデータも復元し終えましたよ」


 西園寺は会議室のドアに向かって手招きする。すると先ほど廊下で会った小太りの男がノートパソコンを手にし、部屋の中へとはいってきた。男は西園寺に歩み寄ると、目の前にある机の上にノートパソコンを置き、何やらそれをいじりはじめた。


 その作業の様子を長髪の男は、信じられないといった様子で見つめている。


「どうぞ、西園寺さん。動画の再生準備できました」男はそう言うと、部屋の隅へと移動する。


 西園寺はノートパソコンをみなに見えるように、その向きを変えた。「それでは答え合わせといきましょうか」


 西園寺がキーボードを叩くと、ノートパソコンのディスプレイ画面に入れ墨の女が映し出された。あたりは薄暗く、懐中電灯と思われる光で自身を照らしている。スマートフォンを手に持って自分を撮影しているためか、画面は少しぶれ動いていた。場所はおそらく三階の空き部屋の個室だと思われる。きっと二階にはほかの人たちがいるため、邪魔されないようこの部屋を選んだと思われた。


「……まず、何からしゃべればいいのかな」入れ墨の女の目には涙が浮かんでいた。「わたしは松本スミレではなく、西村スミレ。ママ先生の実の子供よ」


 長髪の男が苦しげに呻く声をもらした。「スミレ……」


「いままでそのことをみんなに隠していてごめん」入れ墨の女は苦しげに顔をゆがませる。「ほんとうはこんな映像を残さず、すぐに死ぬつもりだった。けど捕まえた漂流者の人に向かってジュンが、理由も知らずに死んでいったみんなが不憫だ、復讐者なら復讐者らしく、その理由を語って聞かせてみろよ、と言ったわ。そのことばを聞いてしまったからには、自分の罪を告白しなければならないと思ったの」


 傷の男はいまにも泣き出しそうな顔で、こぶしを握りしめた。


「わたしが子供のとき両親は離婚し、わたしは父親に引き取られた。でも父親は通り魔の人殺しとして警察に捕まったわ。わたしはその出来事がショックで、毎日思い悩んで泣いていた。だから母さんはわたしのために、同じような境遇の子供たちを集めて、児童養護施設を運営したの。すべてはわたしのため、お互いに理解し合える仲間を持つために……」


 金髪の女のすすり泣く声が聞こえてきた。視線を向けると、口元を押さえ、必死にその声を押し殺している。その姿は見ていてとても痛々しい。


「みんなとの生活のおかげで、わたしは立ち直ることができた。でもあの忌々しい事件が起きてしまった。わたしたちは人を殺してしまった。そのせいで母さんは変わった。みんなのことを恐ろしい怪物を見るかのようになってしまったわ。しだいに暴力を振るうようになり、わたしはそれが許せなかった。だから必死に止めようとしたけど無理だった。みんな心も体も傷ついていた。わたしにはもうどうすることもできなかった……」


 傷の男が握ったこぶしを開くと、自分の頬の傷をなでた。


「そしてある日、母さんが階段から落ちて死んでしまったの。わたしにはこれが事故だとは思えなかった。虐げられたみんなのうちの、だれかが突き落としたと考えていた。わたしは母親を殺されたことで、みんなのことを恨んでいた。だからユイ姉さんとともに、あの事故の真相を探っていたの」入れ墨の女はそこで息苦しそうに咳き込んだ。「……ユイ姉さんはわたし以上に、母さんのことを想っていた。母さんの母親は、ユイ姉さんを産んですぐに亡くなっているの。だからユイ姉さんにとって、年の離れたわたしの母さんは、母親代わりだったと言っていたわ」


 アキラは生気が抜けたかのように、うつろな表情でノートパソコンの画面を見つめている。


「わたしたちふたりは長年のあいだ、自分の感情を押し殺して、みんなと接してきた。わたしは転落事故が起きたときの第一発見者であるマコトに、好意があるように見せかけて近づいた。そして彼から母さんが殺されたと確信できる情報を聞き出せたわ。だから復讐のための殺人計画を立てた」


 そこで画面の映像が少し乱れはじめた。だがすぐにおさまる。


「……アキラ、もしこれを見ていたらユイ姉さんのことを許してあげてほしいの。母さんの復讐の道に、ユイ姉さんを巻き込んだのはわたしだから。そのせいでユイ姉さんが復讐にとらわれ、あなたの家庭が犠牲になったのは知ってます。それは元を正せば、すべてわたしの責任です。わたしを恨んでもかまわない。けどユイ姉さんは許してあげて。あの人はあなたのことをほんとうに愛していた」


 アキラは何も言わずうつむいた。


「アキラこの殺人計画であなたをだますような真似をして、ほんとうにすまないと思っているわ。何が起きているのかわからなくて、混乱したでしょうね。でもユイ姉さんと話し合ったの。これから自分が死ぬことを知らせたくなくて、ユイ姉さんはあなたに黙っていたの。あの人はあなたのために、みずから死を選んだ。出来損ないの母親として、その罪を償うために。そしてあなたの大事な未来を想って」


 アキラは顔に腕を押しあてると、肩を震わせて泣くような仕草を見せた。


「でもごめんアキラ。わたしがこんな映像残したせいでユイ姉さんの死を無駄にしたわ。わたしはユイ姉さんを裏切った。そしてみんなとの絆も裏切った。わたしはどっちつかずの中途半端な最低の人間だ」入れ墨の女はそこで涙をこぼしはじめる。「ナツキからヒナコの死の真相を聞かされたとき、事を起こす前にすでに復讐は終わっていたことを知ってやるせなくなった。ヒナコはわたしたちの嘘で追い込まれ、自殺をしてしまった。それほどまでにヒナコは罪悪感をかかえていた……」


 金髪の女も涙をこぼしはじめた。目を真っ赤に腫らし、画面を見つめつづける。


「……わかっていた。人を殺すということが、どれほどショックな出来事なのか。特にわたしたちはそれを理解していたはず。ましてやヒナコは母さんを……ママ先生を殺してしまった。それがトラウマにならないはずがない。ヒナコはずっともがき苦しみながら生きてきた」入れ墨の女は服の胸元をぎゅっと握りしめた。「いまでは母さんを殺したはずのヒナコを哀れんでいる。そのせいでいったいわたしは、何がしたかったのかわからなくなってしまった。すべてはわたしのせいだ。わたしのせいでみんなが施設に集められてしまった。そのせいでみんなを悲劇の運命に巻き込んだ。みんなほんとうにごめん。いまさらそんなことを言っても、許されるはずはないけど……」


 入れ墨の女はそこでしばし口をつぐむ。


「わたしは……みんなを殺してしまった。それに復讐とはなんの関係のない人間も殺した。いや、なんの関係もない人間だからこそ、最初に殺せた。わたしは計画実行間際になって、みんなを殺すことをためらってしまった。でも殺さなければユイ姉さんの死を無駄にしてしまう。だからこそみんなよりはためらいを感じない、無関係の人間を最初に殺し、自分を奮い立たせた。もうあともどりはできない、と自分を叱責し、復讐を開始した。すでに復讐は終わっていたというのに……」


 画面が揺れ動き出す。おそらくスマートフォンを持つ手が震えだしたのだろう。


「わたしは悪魔の子供だ。それもみんなとはちがい、みずから進んで人を殺した。およそ復讐とは関係のない人間を。こんなわたしに生きている価値はない。父さんといっしょで死刑になるべき人間だ。だからわたしはいまここで死のうと思うの。だけど最後にマコト、あなたに伝えたいことがある」


「スミレ……」長髪の男はかすれた声で、そうつぶやいた。


「あなたのことをだましてごめんなさい。はじめは好きなふりをしていた。けどいまではほんとうに大好きよ。あなたのことをいつのまにか、愛するようになっていた。その気持ちは嘘じゃないから」


 長髪の男は身もだえながら涙を流しはじめた。


「あなたがずっとかかえていた秘密。ママ先生がだれかに殺された疑惑を知りながら、みんなを疑いたくなくてあなた長年のあいだ、それをずっと秘密にしていた。でもついにはその秘密をわたしに告白してくれたわよね。あのときあなたは、わたしの膝の上で泣き崩れていた」


 画面が大きくぶれ動くも、すぐにその揺れはおさまる。


「あなたが長年苦しんできた秘密を、復讐に利用してしまってごめんなさい。わたしはほんとうに最低の人間だ。あなたに愛される価値もない。だからこんな女のことなんてすぐに忘れて、新しい愛に生きてください。いままでありがとう。ほんとうにごめんね」


 動画はそこで終了した。

 部屋じゅうが重苦しい空気に包まれていた。一同のむせび泣く声だけが聞こえてくる。だれしもが悲しんでいた、この悲劇的な事件の結末に。


「おい、だれか」西園寺が言った。「神崎の手錠をはずしてやれ」

 ひとりの刑事の男が返事をすると、長髪の男の手錠がはずされる。


 長髪の男はよろめきながら立ちあがるも、すぐに床に膝をついた。すると床に突っ伏すようにして、泣きじゃくりはじめる、

 金髪の女が長髪の男に歩み寄ると、その背中を抱きしめるようにしてさすった。その様子を傷の男は涙を流しながら見守っている。アキラは腕に顔を沈めたままだ。


 そんな彼らの姿を見て、わたしは胸がうずくのを感じた。


 西園寺がわたしの肩に手を置いた。「これであなたの役割は終わりました。ご協力感謝します。このあと病院まで送りますよ」


「……西園寺さん」

 わたしはそれ以上何も言えず、西園寺とともに部屋をあとにした。

 こうして事件は解決された、彼らのつらい悲しみとともに。

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