第四幕 第四場
わたしは床に置かれた懐中電灯を手にすると、何か武器になるような物がないか、自分がいる個室の部屋をざっと調べてみた。だがしかしめぼしい物はなく、時間もないのでくわしく調べることはあきらめた。しかたなしにカッターナイフを武器とすることにした。心もとないが何もないよりはましだ。
部屋のドアに歩み寄ると耳をあてた。物音は聞こえてはこない。
「……だいじょうぶかな?」
不安を押し殺しながら、わたしはドアを少しだけあけた。その隙間から懐中電灯の光で廊下を照らす。部屋の前にだれかがいる気配はない。
わたしは静かにドアをあけて廊下へと出た。あたりに光を向けて、注意深く観察する。
「よし、だれもいない」
わたしは廊下を進みだす。懐中電灯の明かりをつけたまま移動するのは、だれかに見つかる確率が高い。だがこの暗闇のなかを明かりもなしに進むのは非常に困難だ。見つかる危険性は高いが、やむを得えない。
しばらく進んだところで、壁に血痕のあとを見つけた。すぐ近くの部屋のドアは開かれており、そのドアノブには血が付いていた。
一気に動悸が速まった。これはだれかが襲われた証拠だ。
わたしはカッターナイフを強く握りしめると、おそるおそる中をのぞき見る。物音は聞こえず、人の気配はしない。たしかこの部屋は空き部屋になっていたはずだ。
「……どうする?」
もしだれかが襲われたのだとしたら、助けるべきなのでは。いや、そんな危険なことをすれば、自分が殺されるかもしれない。それに物音がしないということは、殺害されたあとかもしれない。だがしかし、怪我を負ってどこかに隠れている可能性はゼロではない。だとしたら助けるべきだ。いまはだれでもいいから生存者の味方がほしい。
「行くしかない」
わたしは勇気を出して部屋の中へと足を踏み入れた。念のために後ろから襲われないようドアを閉めると鍵を掛けた。カッターナイフを前に突き出しながら部屋の奥へと進む。いつどこからか犯人が襲撃してくるかわからない状況下で、わたしは自分の神経が研ぎすまされるのを感じた。だれかがわたしに触れた瞬間、すぐさま反応してカッターナイフで切りつけることができそうだ。
部屋の中ほどに進むと、テーブルのそばの床に血だまりを発見した。ここでまたしても撃たれてしまったのだろうか?
そんなことを考えながら、なにげなしにテーブルへと視線を向けると、そこには画面にひびがはいったスマートフォンとデジタルカメラが置いてあった。なぜそんな物があるのか不思議だったが、すぐに気にするのをやめた。犯人が潜んでいるかもしれないこの状況では、油断してはならない。
わたしが警戒しながら進みだすと、ほどなくして部屋の奥にあるドアが破壊されているのを発見した。ドアノブが壊れており、おそらく拳銃で破壊されたものと思われる。
「……嘘でしょう」
緊張感が増すなか、わたしはドアをあけた。するとそこはトイレの個室で、便器に寄りかかるようにして入れ墨の女が床に腰をおろしていた。頭部からの出血が見られ、わずかも身じろぎしないことから、すでに死んでいることは明らかだ。腹部に目を向けると、そこにはゴルフボールぐらいの血の染みがふたつ衣服に残されている。おそらく腹を撃たれ、ここのトイレに逃げ込んだのだろう。だが無情にも犯人に鍵を壊され、とどめを刺されたにちがいない。
「かわいそうに……」
手遅れだった。殺人鬼によってまたしても生存者が殺された。残りは四人。容疑者は三人、傷の男、長髪の男、金髪の女。
入れ墨の女の死体を見おろしていると、とある不審な点に気づいた。入れ墨の女が寄りかかる便器のふたが閉まっている。それだけなら何も問題はない。だが便器のふたにかけられたカバーがなぜかずれている。
「……おかしい」どうしてカバーがずれている?
もしも最初からふたが閉まっていたのなら、カバーがずれるはずがない。だがもしもふたがあいていたとしたら、入れ墨の女が閉めたことになり、その際に勢いあまってずれたと考えられる。まるで慌てるかのようにして閉められた便器のふた。入れ墨の女は死を前にして、なぜそんな奇妙な行動をとったのか不思議だ。
わたしは便器のふたに手を伸ばすと、試しにそれを開いてみた。すると便器のふたの裏には、とある三文字のことばが血文字で書き残されていた。それを見た瞬間、わたしは雷にでも打たれたかのような衝撃を受けた。
「マコト……」わたしは呆然とその三文字のことばをつぶやいた。
あまりにも衝撃的過ぎて、はじめはそのことばの意味が理解できずにいた。やがて冷静になるにつれ、それがダイイング・メッセージだと気づいた。死に際の意識が朦朧とした人間が、難解な暗号なんて残すはずがない。だからこれが意味するものは明らかだ。
「マコトだ!」わたしは犯人が特定できたことに歓喜し、思わず声を張りあげる。「犯人はマコトだ。全部あいつのしわざだったんだ。よし、犯人が特定できた、マコトだ」だがすぐにあることに気づき、意気消沈してしまう。「……ってだれのこと! マコトってだれ。いったいだれのしわざ?」
わたしは頭を抱えてしまう。こうもはっきりとダイイング・メッセージで犯人の名前が書き残されているにもかかわらず、犯人がわからない。それが歯がゆい。
「……落ち着けわたし。思い出すんだ」
ビデオカメラで観た映像を思い返せ、そして考えろ、と自分に命じた。マコトらしき人物を探るんだ。
「……だめだ、マコトの名前があてはまる人物がいない」
もう一度考えろ、と自分にふたたび命じる。マコトなる人物がわからないなら、ほかの人物の名前を特定し、その可能性のある人物を絞り込めばいい。
「こうなったら推測するしかない」
この島に集う十人の男女。西村ユイ、西村アキラ、髭の男、傷の男、長髪の男、痩身の男、金髪の女、入れ墨の女、小柄な女、眼鏡の女。
このなかで西村親子以外で名前がわかっているのは、髭の男である田中リョウマと小柄な女である石川ヒナコだけだ。
名前がわからないのは六人、傷の男、長髪の男、痩身の男、金髪の女、入れ墨の女、眼鏡の女。
彼らの名前候補はマコト、ナツキ、カオル、サクラ、スミレ、ジュン。
一台目のビデオカメラの最初の空港のシーン。そこでリョウマと入れ墨の女はマコトとナツキの名前を口にした。そのことから入れ墨の女の名前がマコトやナツキではないことは明らかだ……。
わたしはそうやって記憶を振り返りながら、名前を絞り込んでいく。そして彼らの名前の可能性がありそうなものが、ある程度は絞り込めた。残念ながらその名前を断定できた人物はひとりもいない。
傷の男……ジュン、マコト、サクラ。
長髪の男……ナツキ、マコト、サクラ。
痩身の男……スミレ、マコト、サクラ。
金髪の女……カオル、ナツキ、マコト。
入れ墨の女……スミレ、ジュン。
眼鏡の女……スミレ、カオル、サクラ。
「……よしある程度は絞り込めた」
絞り込めたのはいいが、容疑者三人ともその名前がマコトである可能性があった。もっと絞り込まないといけない。
「いったいだれがマコト?」
男女どちらか紛らわしい名前が多いなか、明らかに女性だとわかる名前はスミレとサクラだけだ。そして女性陣のなかでスミレの可能性がある人物はふたり、そのため特定できない。そしてサクラである可能性の人物はひとり。眼鏡の女の名前はサクラだ!
「よし、いける」
眼鏡の女の名前が特定できたことで、スミレ候補がひとり減った。つまりは入れ墨の女がスミレだ。
入れ墨の女の名前が特定できたことで、ジュンの名前候補がひとりにしぼられた。傷の男の名前はジュンだ。
そしてここまで名前が特定できたことで、カオルの名前候補はひとりだけになった。金髪の女がカオルだ。
金髪の女の名前が特定できたいま、ナツキの名前候補はひとりだけになった。長髪の男の名前はナツキだ。
「……あれ?」
となると、死んだはずの痩身の男の名前がマコトになる。それはありえない。どういうこと?
わたしは焦燥に駆られ、こめかみをさすった。何かまちがえてしまったのか。それとも何かを見落としている?
いま一度記憶を振り返りたしかめた。彼らの名前候補にまちがいはなかった。それではどうして痩身の男がマコトになる? しかも事件とはおよそかかわりのなさそうな部外者の人間が。
「……部外者?」
自分で口にしたそのことばが妙に引っかかる。痩身の男はお手伝いとして雇われた人間で、彼らとは交遊関係のないただの部外者だ。そしてこの島にたまたま漂流したわたしも部外者の人間だ。
アキラはわたしのことをなんと呼んだ。佐々木さんだ。それはそうだ。初対面の人間の名前を呼ぶならまず名字だ。いきなり親しげに下の名前で呼ぶはずがない。
「部外者である初対面の人間に対して、下の名前で呼ぶのか?」
痩身の男は部外者。彼らが痩身の男を下の名前で呼ぶはずがない。だけど名前候補は下の名前だけだ。
マコト、ナツキ、カオル、サクラ、スミレ、ジュン。
名前候補を何度もつぶやくうちに、あることに気がついた。
「マコト……ナツキ……カオル……サクラ……スミレ……ジュン……マコト……ナツキ……カオル……サクラ?」わたしはそこで間を置く。「サクラ……サクラ……さくら……佐倉?」
わたしははっとした表情になる。サクラは下の名前じゃない!
「サクラは名字だ。そうとしか考えられない。だとすると痩身の男の名前は佐倉だ」
痩身の男の名前がわかったことで、名前候補と人数が絞られた。
傷の男……ジュン、マコト。
長髪の男……ナツキ、マコト。
金髪の女……カオル、ナツキ、マコト。
入れ墨の女……スミレ、ジュン。
眼鏡の女……スミレ、カオル。
だいぶ絞り込めたが、どの名前にも最低ふたりの名前候補者がいるため断定できない。
マコト……傷の男、長髪の男、金髪の女。全員生存者で容疑者。
ナツキ……長髪の男、金髪の女。
カオル……金髪の女、眼鏡の女。
スミレ……入れ墨の女、眼鏡の女。
ジュン……傷の男、入れ墨の女。
「だいじょうぶ、絞り込めるはず」
わかっているのは、スミレと言う名前が女性の名前だということだ。名字である可能性はない。スミレの名前候補はふたり。仮定して考えてみよう。
もしも入れ墨の女の名前がスミレだったとしよう。その場合、ジュンの名前候補がひとりになり、傷の男の名前がジュンになる。
この時点で眼鏡の女の名前候補がひとつだけになり、眼鏡の女の名前はカオルになる。
そうなると残す名前はナツキとマコトだけ。そして長髪の男も金髪の女もどちらもその名前候補だ。
「これでは絞り込めない」
それでは眼鏡の女の名前がスミレだったと仮定しよう。その場合、カオルの名前候補はひとりだけになり、金髪の女の名前はカオルになる。
そうするとナツキの名前候補はひとりだけになり、長髪の男がナツキになる。
さらに入れ墨の女の名前候補がひとつだけしか残っていないので、入れ墨の女の名前がジュンになる。
すると最後に残った傷の男がマコトになる。
「……だめだ。どちらに仮定しようが、生存者三人とも疑わしいことにかわりはない。せめてひとりだけでもマコトの名前候補からはずれてくれれば、なんとかなったのに」
わたしはくやしげにダイイング・メッセージを見つめる。入れ墨の女が死の間際に残した犯人の名前。その必死の努力を無駄にしたくはない。




