第二幕 第八場
つぎの動画ファイルを再生した。画面には黒いレインコートを着た傷の男が映し出される。雨のなか外を歩いており、その表情は沈んでいるように見えた。
傷の男が画面を一瞥する。「……カメラで撮っているのか?」
「……リョウマにそうしろって言われたから」入れ墨の女の疲れた声が聞こえた。「ユイ姉さんを捜索するのを映像を記録しておけば、たとえ見つからなくても、何かしらの手がかりになるはずだって、しつこくて。でも、いまのこの状況を考えれば、そうしたほうがいいのかもしれないと思ったから撮影している。だけどあんたがいやなら、すぐに止めるけど」
「べつに構わないさ」
「気分はだいじょうぶ?」入れ墨の女は気づかうような口調だ。
「最悪の気分だよ」傷の男は弱々しく首を横に振る。「ヒナコが死んでしまうなんて想像もしていなかった。それなのに、こんなときにユイ姉さんがどこにいるかわからない」そこで唇を噛むと画面に目線を向ける。「そのビデオカメラには、たしかにこの方角に歩いて行くユイ姉さんが映っていたんだよな?」
「ええ、ちゃんと確認したわ」
傷の男は前を向く。「この方角は岬のほうだぞ。船が来るわけでもないのに、何をしに行ったんだ。しかも夜中に?」
「さあ、わからない」
傷の男はふたたびこちらを向いた。「なあ、おかしいと思わないか?」
「何が?」
「ヒナコが死んだあとから、携帯電話が通じなくなった。悪天候のせいだと言われたが、たしかにその可能性はある。だが固定電話がこのタイミングで故障しているなんて、偶然にしてはできすぎている。それに加え、ユイ姉さんがいなくなるなんて、こんなの偶然なんかじゃない。きっと何者かのしわざでまちがいないはずだ」
「それってどういうこと?」
「おそらくヒナコは自殺なんかじゃない。そいつに殺されたんだ」
「ヒナコは殺されたっていうの」入れ墨の女は困惑した口調になった。「だとしてもだれに?」
傷の男は自分の頬にある傷跡を指でなでた。「おれたちみんなには、だれかに殺される理由があるだろ。あのときおれはナイフで殺されかけた。みんなが助けてくれなかったら、いまごろは生きていなかったはずだ。でもそのせいでみんな人殺しにしてしまった」
「気にしないで、あれは正当防衛よ。ああしなければ、あんたは殺されていた。あんただけじゃない、みんなも。あのときのあいつの血走った目がいまでも忘れないわ。あれは邪魔するなら平気でわたしたちをも殺そうとする目だった。ぞっとしたよ」
「あいつが死の間際に叫んだことばを覚えているか。おれたちを指差して、悪魔の子供だって呼びやがった。そして呪ってやる、と言い残して死んだ」傷の男は不快そうに顔をゆがめる。「正直ひどいと思ったよ。どうしておれたちだけ、こんな目に遭うんだって運命を憎んだ。おれたちは人殺しの子供になってしまった。そしてみずからも直接手を汚してしまい、あいつの言うとおり悪魔の子供になってしまったんだ」
「あんた、自分に責任を感じすぎよ。そんなことをみんなは望んでいないわ」
「でもおれのせいで、みんなが悪魔の子供たちになってしまったのは事実だ。そのことにものすごい後悔しているんだ。だけど幼かったヒナコだけは、あのとき隠れていた。だからヒナコだけは悪魔の子供にならずにすんだ。罪悪感で押し潰れそうななか、それがおれの慰めになったんだ。だからヒナコには幸せになってほしかったのに、なのに死んでしまった」
傷の男は深く息をつくと前を向いた。そしてこぶしを握ると、こめかみを何度も小突く。
「急にどうしたの?」入れ墨の女が訊いた。
「……すまない。みんなのせいでおれが苦しんでいるように聞こえるな。実際は逆なのに。さっきはああは言ったが、ヒナコだけじゃない、おまえやナツキにカオル、そしてみんなにも幸せになってほしいと思っているよ。だってみんなはママ先生のもとで暮らした仲間、いや家族だと思っているから」
「ありがとう」
「おれさ、ママ先生とはじめてあったときに言われたことばが、いまでも忘れられないんだ。わたしたちは家族、だからわたしのことはママ先生と呼びなさいってね。正直はじめはママ先生と呼ぶのがはずかしかった。けどうれしかったんだ」傷の男は少し照れくさそうほほ笑む。「おれってさ、物心ついたときにはすでに母親はいなくて、孤児になるまではくそったれの親父に育てられた。だからやさしい母親の存在にあこがれていたんだ。だからおれたちに愛情を注いでくれるママ先生のことを、ほんとうの母親と思って慕ってた。けどそれはおれだけじゃないだろ。おまえだってそうだろ?」
「……ええ、そうね。みんなもそう思っていたはずよ」
「だからあの事件のあとで、あんたにやさしかったママ先生の人柄が変わってしまったことに、みんなに申し訳なくて……」
「だから自分を責めないで」入れ墨の女がなぐさめる。「あなたに責任なんてだれも求めていないから」
傷の男は首を横に振る。「それでも謝りたいんだ。特におまえに」
「わたしに?」
「だってママ先生がおれたちに暴力を振るうと、おまえが真っ先にやめさせようとしたじゃないか。そのせいでひどい目にあってた。女であるおまえががんばっていたのに、男であるおれはママ先生にきらわれるのがこわくて、何もできなかった」傷の男はすまなさそうな顔を向ける。「だからゆるしてほしいんだ」
長々と間があく。「ええ、ゆるしてあげるわ」その声音には不気味な響きがある。「そのかわり、これからわたしがする、もっとも最低な質問に答えてくれたらね」
傷の男は不安げな表情を浮かべた。「いったいなんだよ?」
「ママ先生が亡くなった階段からの転落事故。実はあれは事故ではなく、わたしたちのなかに、ママ先生を階段から突き落として殺した人間がいるとしたら、あんたはその犯人に心当たりはある?」
「ふざけたことを言うなよ!」すぐさま傷の男は驚愕の面持ちになった。「そんなことありえるはずないだろ!」
「質問に答えて」入れ墨の女は声を強めた。「ママ先生を殺した人間に心当たりは?」
「あるわけないだろ。あれはただの事故なんだから。おまえはどうしてそんなふうに考えるんだよ」
「事故の直前に、ママ先生がだれかを叱る声を聞いた人がいる。頬をぶつ音もね。それからすぐに階段を転げ落ちる音がしたそうよ」
「やめろ」傷の男は眉を吊りあげる。「それはそいつの聞きまちがいだ。おれたちは仲間であり家族だ。みんなを疑うようなことは、おれはしたくない」
「それじゃあ、答えは知らないってことでいいのね?」
「あたりまえだ。ママ先生は殺されたりなんかしていないからな。だからこの話はもう終わりだ。もう二度としないでくれ」
ふたりが無言になると、画面は進行方向へと向けられ、転落防止用の柵と崖下へとおりる階段が映り込む。傷の男を先頭にして無言で進んで行く。そして階段へと差しかかったとき、やにわに傷の男が叫んだ。
「ユイ姉さん!」手すりから身を乗り出すようにして下を見る。
それにならうようにして、画面も崖下へと向けられた。するとそこにはあおむけで倒れて、頭から血を流している西村ユイの姿があった。ユイに向かって画面がズームアップされる。
「やめろ撮るな!」
傷の男がそう叫んで画面を手で覆い隠すと、動画は終了した。




