第一幕 第二場
少し歩いたところで林を突っ切るようにして道があるのを発見した。舗装はされておらず砂利道で、ゆるやかな坂道になっていた。静まり返った林のなかでは歩くたびに音が鳴り響く。これでは先ほどの少年を見つける前に、相手に自分の存在が知らされてしまう。かといって砂利道をはずれて、足場の不安定な林のなかを歩くのは体力的にきつい。しかものぼり坂ならなおさらだ。しかたがなしに、このまま砂利道を歩くことにした。
かまうものか、とわたしは思った。さっきの少年以外にも人はいるはずだ。あの不親切な少年よりも、その人たちに助けを求めるほうがいい。
そんなことを考えながら歩きつづけていると、林が途切れ視界が開けた。目の前には平地がひろがり、遠くに建物らしきものが見えている。
「建物だ」わたしは額に浮き出た汗をぬぐった。「あそこに行けばだれがいるはず」
その建物に近づくにつれ、わたしの胸は高なった。そしてその建物を真正面から間近にとらえたとき、わたしは自然と感嘆する声を漏らしていた。
「すごい……」
その建物は三階建ての洋館でとても大きく、わたしは噴水のある手入れの行き届いた庭からそれを見あげている。不思議なことに塀などなかったから、そのまま思わず敷地に足を踏み入れてしまったが、住人に見つかって怒られてしまわないだろうか。
……いや、待ておかしい。そもそもわたしは助けを求めるために人を探している。住人に見つかるのなら、それは本望なのでは。
どうやらこの洋館の威容に圧倒されたらしく、自分が遭難者であることを忘れてしまっていた。それほどまでにこの洋館は美しく、見る者の心をとらえる。異国情緒あるその光景に、まるで海で遭難して、外国に流れ着いたかのような気分になってしまう。
わたしはいま一度、洋館を見まわす。直線を意識した造りの白い外壁に藍色の屋根のコントラストが絶妙だ。洋館入り口部分の屋根が教会の尖塔のように突き出ており、そのおかげで威厳と落ち着きを感じさせる。洋館らしく建物に窓をふんだんに取り入れており、斜めになった屋根部分からは出窓の姿も見てとれた。だがそれらの窓からだれかがこちらを見ている様子はない。横へと顔を向けるとベランダがあり、太い柱が天井と床を優美につないでいる。そこにも人の姿はない。
「すみません!」わたしは大声をあげた。「だれかいませんか!」
なんの反応も返ってこない。
わたしは洋館の入り口のドアに歩み寄ると、ノッカーを手にとり、ドアを叩いた。だがしかし、だれかがドアをあける気配はない。もう一度、叩いてみる。やはりドアが開くことはなかった。
「だれもいないのかな……」
わたしはおそるおそるドアノブに手をかけると、ためしにそれを開いてみる。するとドアはスムーズに滑り出して動き出した。予想外のことに思わずわたしは驚き、ドアを途中で止めてしまう。
「鍵はあいているのに、だれもいない?」
わたしはドアの隙間から中をのぞき込むも、だれもいない。
「すみません、だれかいませんか」
やはり返事はない。
しばしためらったのち、わたしは洋館の中へと足を踏み入れることに決めた。不法侵入になるが、自分は漂流者で助けを求めていたのでしかたがなかった、と自分に言い聞かせる。
洋館の中へとはいると、そこはソファーとテーブルが並ぶホテルのラウンジを思わせるような空間だった。明かりはついておらず、あたりは薄暗い。そのせいだろうか、窓から差し込む日の光が、やけに明るく感じる。
「電気がついていない。やっぱり留守なのだろうか」
あたりに視線を走らせるも人影は見当たらず、耳をすましても物音も聞こえてこない。
「すみません、だれかいませんか」わたしは声を大にする。「わたしは怪しい者ではありません。助けてほしいんです」
完全なる静寂。自分の声がむなしく響き渡るだけだ。期待する反応は返ってこない。
わたしは舌打ちすると、奥へと進みだした。隣の部屋にはいくつかのビリヤード台にダーツマシンが設置されていた。おそらく遊戯室なのだろう、部屋の造りもその雰囲気に合わせてしゃれたものになっており、ビリヤード場やダーツバーを彷彿とさせる。
「もしもし、だれかいませんか」
期待はしていなかったが、やはり返事はない。あきらめのため息をついたわたしは、人を探し求めて洋館の一階を探索しはじめた。一階にはラウンジや遊戯室のほかに、大小含めていつくかの部屋があり、和室もあったがどの部屋にも寝具はない。どうやら一階には個室や客室はないようだ。
わたしは広々とした瀟酒な食堂に来ると、その奥にあるキッチンへと向かった。キッチンはほかの部屋に比べて窓が少なく、かなり暗く感じる。
「……暗い」
戸口に立つわたしは目を細めると、壁にあるスイッチに手を伸ばして、それを押した。だがなんの反応も示さない。ほかのスイッチを押すも結果は同じだった。
「明かりがつかない?」わたしは首をかしげた。「電気が止まっているの?」
わたしはとまどいながらも歩を進めると、シンクの前に立ち蛇口をひねった。すると水が流れ出る。水道は止まっていないようだ。
「よかった、水は出る」
わたしは顔を洗うと口をゆすぎ、そして水を飲む。のどの渇きが癒されていく。疲れきった体にはとても心地よい。
ひと息ついたわたしは一階をあとにし、洋館の奥にあった階段から二階へと進んだ。そこには個室があり、ベッドが備え付けられている。そしてその部屋の住人とと思われる人物の荷物が置いてあった。それはだれかがここにいた証拠だ。
「人はいるみたい。でもどうして姿が見えない?」
わたしはいくつかの個室を見てまわった。どの部屋も荷物はあるが、人はおらず無人だ。人がいた形跡はあるのに、いまはどこにも人はいない。まるで消え去ったかのようだ。
「どうしてだれもいない?」
これ以上、個室を見てまわるのは泥棒のような気分になるのでやめた。わたしは助けを求めて人を探しているのであって、部屋を物色するようなまねはしたくない。
すみませんと声を出しながら歩きまわったが、二階には個室のほかにちょっとした広間があるだけで、やはりだれもいない。
わたしは三階へと進むと、最初に目についた部屋のドアを開いた。するとそこは個室で、奥のベッドには若い女が横たわっている。すみませんと声をかけるが反応はなかった。
わたしは逡巡するも、部屋の中に足を踏み入れた。ベッドの前に来ると女に声をかけたが無反応。次いで肩を揺さぶるも効果はなし。そのときにやけに女の体が冷たいことに気づいた。おかしいと思ったわたしは、女の顔に手のひらをかざす。
「息をしていない……まさか!」
わたしはすぐさま女の手首をとり、脈拍をたしかめた。
「……死んでる。そんなばかな!」
パニックの波が押し寄せ、わたしは半狂乱状態で部屋を出ると、大声をあげながらもつれる足で廊下を突き進んだ。
「だれか助けて! 人が死んでいる!」
そして廊下を曲がった先でわたしははたと足を止めた。なぜならば目の前に血だらけの男が倒れていたからだ。