第一幕 第十五場
つぎの動画ファイルを再生した。画面は暗視モードで洋館正面入り口とは別のドアが映し出された。ドアはあけ放たれており、それをどこかの物陰に隠れながら撮影しているようだ。雨音に自分の声をひそめながら、髭の男である田中リョウマが小声でしゃべりはじめる。
「……さすがに正面入り口から侵入するのは危険すぎるからな、ここがあいていてよかった。だれかがここから逃げたんだな。よし、落ち着けおれ。落ち着けばだいじょうぶだ」
リョウマが自分自身を鼓舞すると、画面が入り口に向かって進みだした。入り口をくぐると静かにドアを閉め、ビデオカメラについた水滴を拭く。
いま画面には一階にあるキッチンの様子が映し出された。あたりはしんと静まり返り、物音ひとつしない状況だ。不気味な静寂のなか、リョウマの押し殺した息づかいがだけが聞こえる。
あたりを探るようにして画面が左右に動き出した。するとキッチンカウンターのシンクのそばに置かれている包丁に画面がズームアップされる。
「……よし、あれが使える」
画面はズームバックするとキッチンカウンターへと向かって動き出した。物音を立てぬようゆっくりと進んで行く。そしてシンクの前に来ると画面端からリョウマの手が現れ、包丁を手にした。
「よし武器は手に入れた」
包丁を手にしたせいだろうか、興奮したようにリョウマの息づかいが荒くなる。
画面はキッチンから食堂をのぞき見ている。ズーム機能を使い、どこかにだれかが隠れ潜んでいないか入念に確認しているようだ。
「だれもいない」
画面は食堂を通り抜けると、廊下へとつづくドアをあけた。のぞき込むようにして左右を確認する。廊下の行く先をズームアップして探るが、人がいる様子はない。
「よし、確認はだいじょうぶだ」
リョウマがそう言うと、画面は廊下へ進みだす。小走りなのか、そのスピードは速く、一気に廊下を突き進むつもりらしい。
廊下を進んだ先にあるラウンジに出ると、画面は素早い動きで周囲の様子を探っている。画面が洋館の正面入り口へとズームあっぷされた。ドアは半開きで揺れ動いており、風のせいなのか、それとも人が通ったせいで動いているのかわからない。
「だれか外にいるのか?」
リョウマが疑問を口にすると、雷が鳴り響いた。半開きになったドアの隙間から光が差し込むと、そこに人影の姿はなかった。
「いないな」
画面は入り口に向かって進むと、半開きになったドアを閉めた。その瞬間、画面は素早く反転し、ラウンジの姿を映し出す。その動きから、よほどリョウマは緊張していることが伝わってくる。
画面はラウンジ横にある階段へと向けられた。
「アキラのいる部屋はたしか三階だったな」
画面は階段へと進んで行く。すると画面では視線をさげながら、階段をのぼっていく様子が流れた。おそらくリョウマがなるべく見つからないように、身を低くしながら進んでいるのだろう。
やがて二階にたどり着くと、画面は周囲の様子を探るようにして動き出した。隠れ潜んでいそうな場所には画面がズームアップされる。
「……よし、だれもいないな」
画面は二階から三階へとつづく階段をのぼりはじめる。のぼるにつれリョウマの息づかいがさらに荒くなる。極度の緊張状態にあるのが容易に想像できるほどだ。
三階にたどり着くと、リョウマのつばを飲む音が聞こえた。
「アキラは三階のどの部屋だ?」
画面は廊下を進んで行く。おそるおそるといった様子で、その動きはゆっくりだ。やがてとある部屋のドア前にやってきた。包丁を持つ手でドアを少しだけあけて、中をのぞき込む。画面から見る限りだれかいる様子はない。ドアが大きく開かれて中へ足を踏み入れると、その部屋にだれかが使用した痕跡は見あたらない。
「……空き部屋か」
画面はふたたび廊下へ出ると奥へと進んで行く。そしてつぎの部屋のドアをあけたが、さきほどと同じで空き部屋だった。
「また空き部屋か」
画面は廊下へともどると、つぎの部屋のドアへと進んで行く。するとたどり着く前に、そのドアの向こうから何やら小さな物音が聞こえ、画面の動きが止まった。
「だれかいる……のか?」
画面端に包丁を持つ右手が見切れるようにして現れた。少しずつ慎重にドアへと近づいて行く。すると少しばかりためらったのち、ドアを静かに開いていく。わずかに開いた隙間から部屋をのぞきこうと、その部屋を利用したであろう人物の荷物が見てとれた。ドアは徐々に開いていくと、画面は部屋の中へと進んだ。
「だれの部屋だ?」
リョウマがそうつぶやくと画面が横へと動き出す。するとそこには黒いレインコートを着た人物がこちらに拳銃を向けていた。そいつはレインコートのフードを目深にかぶっていたが、その顔が特徴的なことがひと目でわかる。長く突き出したあごと口、それは驚くべきことに狼の顔だった。
リョウマが驚きの声をあげると同時に銃声がとどろき、画面がめまぐるしくまわりはじめた。何が起きているのかわからないなか、激しい物音ともに包丁を落とす音が聞こえた。
画面の揺れが収まると、廊下の壁に背中をもたれさせて座り込むリョウマを床から見あげるような構図になった。リョウマは苦しげな表情で腹部を押さえている。
リョウマが痛みに喘いでいると、画面に拳銃を持つ右手が映り込んだ。その手には白い軍手がはめられており、おそらく指紋を残さぬよう着用していると考えられる。
リョウマが顔をあげ、拳銃を突きつけているであろう人物を見あげた。「……おまえは、おれたちの仲間のだれかなんだろ?」
相手は何も答えない。ただ拳銃を向けたまま沈黙している。
「無言はイエスだと受け止めさせてもらうぜ」そう言うとリョウマは激しく咳き込んだ。「ヒナコやユイ姉さんが死んだって聞いたとき、みんなは外部犯だと頑なに考えていたが、おれはずっとおれたちのなかのだれかのしわざだと思っていたよ」
リョウマは不気味な笑い声を漏らしはじめる。
「だからほかのみんなに、何かがあるときはビデオカメラで映像を記録しろと、あれほど口酸っぱく言ったんだよ。このなかに犯人がいることがわかっていたから、その手がかりとなる証拠を残すためにね」
リョウマはふたたび咳き込んだ。
「なぜおまえがこんなことをしたのか、その理由はだいたい察しているつもりだよ。殺人衝動だろ。おまえもおれと同じで、ただ単に人を殺したいだけの人殺しさ。おれがここへもどってきたのも、みんなを助けたいという正義感からではなく、またあの日みたいに正当防衛で人を殺せるチャンスだと思ったからさ」
リョウマはにやついた笑みを浮かべる。
「あの事件のことを覚えているか。おれは、おれたちは人を殺した。そのときおれのなかで、快感にも似た名状しがたい何かを感じたんだよ。あのときのことを思うと、いまでも興奮してくる。自分でも最悪だとわかっているが、この込み上げる感情を止めることができない。ここへ来る途中で包丁を手にしたとき、おれは満面の笑みで笑っていたんだ。獲物であるおまえを探すのに胸を躍らせていたよ。こわいなんて感情微塵もなかった」
またしてもリョウマは苦しげに咳き込む。
「あの事件のあとのことを覚えているか。あんなにやさしかったママ先生は変わった。おれたちに教育と称して折檻するようになった。いや、あれは折檻というより、虐待に近い暴力行為だったな。あれにはまいったよ。だれかに助けを求めることもできず、ただ毎日を耐え忍ぶ日々。でもいまとなってはママ先生の気持ちもわかるんだよな。おれたちを見るママ先生のあの目は、人殺しの子供たちが、殺人鬼にならないよう、必死にしつけているって感じだった。そうおれみたいな人間が殺人鬼にならないようにね。けどやりすぎた。虐待のストレスでおかしくなりそうだったおれは、おのれの殺人衝動に従いママ先生を殺すことを決意したんだよ」
リョウマに向けられていた、拳銃を持つ手が震えだす。
「子供なりにいろいろ考えたんだぞ。どうやったら他殺ではなく事故死に見えるかってね。考え抜いた結論は階段からの転落死だ。あとはひたすら殺人を決行するチャンスを待っていた。それなのにおれが殺す前に、ママ先生は階段から落ちて事故死した」
拳銃を持つ手の震えが止まった。
「ママ先生の死を聞いて唖然としたよ。でもすぐに悟ったよ、ほかのだれかに先を越されたって。よくよく考えれば、みんなもママ先生の虐待に怒りを覚えていたはずなんだ。自分以外の人間が手を下さないわけがない。なんていったっておれたちは悪魔の子供なんだからさ」そこで間を置いた。「十三年前、ママ先生を殺したのはおまえだな?」
相手は黙したままだ。
「沈黙はイエスと受けとるぜ」リョウマは楽しげな笑い声を漏らすと、息苦しそうになる。「もうすぐ、おれは死ぬだろう。そのまえに、最後ぐらいそのふざけたマスクを脱いで顔を見せたらどうだ」
何やら物音が聞こえてくる。どうやらマスクをはずしたようだ。
リョウマは目を細めた。「暗くてよく見えねえよ」
つぎの瞬間、雷が鳴り響くと、まぶしい光が窓から差し込み、あたりを明るく照らし出す。
「……おまえのしわざだったのか。しかしわからないな。どうして泣いている。意味不明だよ」リョウマの声が弱々しくなる。「涙を流す……やさしさがあるのなら、早くおれを……この苦しみから楽にしてくれ。さっさと引き金を——」
銃声が鳴り響くと、リョウマの頭が画面に向かって落ちてくる。そしてビデオカメラにぶつかった途端、そこで動画は終了した。
ビデオカメラに記録されていたすべての動画ファイルを見終え、わたしは戦慄していた。この島に集った十人の男女。そのなかに殺人鬼がいる!




