第一幕 第一場
まどろむ意識のなか、波の音が聞こえてくる。そのせいで眠りが妨げられ、だんだんと意識が覚醒していく。
肌寒いな、とわたしは思った。どうしてだろうか、着ている服が水で濡れて湿っている。これでは体温が奪われてしまう。肌寒いのも当然だ。
うつぶせで横たわるわたしがくしゃみをすると、頬にあたる感触に違和感を覚えた。それはわたしがいつも使っている枕のなめらかな絹のシーツの感触ではなく、ざらついており、まるで砂粒のようだ。
……何かがおかしい。ここは自分の部屋のベッドではない。
わたしがゆっくりとまぶたを持ちあげると、大量の白い砂が目に飛び込んできた。まったく意味がわからず、顔をあげてみると、そこは砂浜だった。
「……えっ?」
驚きに打たれたわたしは上体を起こすと、膝立ちの状態であたりを見まわした。眼前には砂浜が存在し、その先には林がひろがっている。そのためそれ以上先の景色はわからない。後ろを振り向くと、青い海が日の光を浴びて輝いていた。空を見あげると、太陽が頭上高くに昇っている。
そこはまったく見知らぬ風景だった。いったい自分の身に何があったのだろうか?
わたしは両手で頭を抱えると、思い出せ、と自分に命令する。すると脳裏におぼろげな記憶の映像が浮かび、それがしだいに鮮明になるにつれて戦慄していく。
「……思い出した」
いまの自分の状況を理解し、わたしはしばらくのあいだ、呆然としていた。よくもまあ、生きていたものだ。自分には強運があるらしい。
わたしは咳き込むとつばを吐いた。口のなかが塩っからい。おそらく海水を飲んでしまったのだろう。すぐにでも真水で口をうがいしたい気分だ。のどもひどく渇いている。
わたしは立ちあがろうとしたが、足がぐらついてしまい、尻餅をついてしまう。どうやらかなり疲労しているようだ。全身筋肉痛で体を動かすのがつらい。まるでフルマラソンを完走した翌日のあさのようだ。
ため息をついて前を向くと、林のなかに少年の姿を見つけた。少年は木の陰から顔だけをのぞかせるようにして、こちらを見ている。
「……人だ」わたしはほっと安堵のため息をつくと、大声で少年に話しかけた。「ねえ、そこのきみ。ちょっと助けてくれない。実はヨットで海に出たら嵐に見舞われてしまい、海に落ちてしまった。そして気がついたら、ここに流れ着いていた」
少年は何も言わずに、ただじっとわたしを見ている。まるでこちらを不審者かのように観察しているようだ。
「だいじょうぶ、わたしは怪しい者じゃない」わたしは両手を顔の高さに掲げた。「ほんとうに海で遭難してここに流れ着いた、ただの漂流者。危険はないよ」
少年は木の陰へと体を一歩引き寄せる。ずいぶんとわたしのことを警戒しているらしい。
「ねえ、そんなにこわがらないで。きみに危害を加えるつもりはない。ただここがどこなのか知りたい。あとできれば携帯電話を持っているのなら貸してほしい」
少年は依然としてけわしいまなざしでこちらを見ている。一向に警戒心をゆるめようとしない。
いくらなんでもひどすぎるのでは、とわたしは思った。そこまで自分は不審者に見えるだろうか?
「ねえ、聞こえているの?」わたしは少しばかり苛立った口調になってしまう。「聞こえているのなら返事をして」
少年は何の返事も返さない。わたしのことばを無視しつづけている。いくらなんでも不自然だ。
「もしかしてあなた、耳が聞こえないの?」
やはり少年は返事をしない。わたしから視線をそらすと、思案気な表情になる。
まるで自分の存在を無視する少年に、わたしはだんだんと腹が立ってきた。
「ねえ、聞いている!」思わず怒鳴り声で叫んでしまう。
少年ははっとした表情でわたしに顔を向けた。こちらの声が聞こえているのは明白だ。にもかかわらず、少年は返事をしない。どういうことだ? 何か理由があるのか?
わたしはあきらめのため息をつくと、まごつきながらも立ちあがり、体についた砂を叩き落とした。そして少年のもとに歩み寄ろうと、足を一歩動かした。するとその瞬間、少年はわたしから逃げ出すようにして、全力で林のなかを走っていく。
「ちょっと待って!」
少年が林の奥へと消えていくのを、わたしはただ唖然と見つめていた。全身筋肉痛のいまのわたしでは、追いつくのは無理だとわかっていたからだ。
わたしは肩を落とし、ぼやいてしまう。「最悪だ……」