レインラインを追いかけて
6作目となります。
話の大筋は最初から最後まできちんと決めていたのに、書いてみると何故か別物になってしまいました。
感想や評価などいただけると大変喜びます。
雨雲と青空の境界線、それも傍目からはっきりと分かるほどの豪雨と晴天の境界線を、レインラインと呼ぶのだと、小学生のころに祖母ちゃんから教えてもらった。
レインラインを踏み越えると、願い事が一つ叶うということも。
そんな迷信じみた話は最初から信じてはいなかったが、話の流れで祖母ちゃんに当時聞いてみたことがある。
「祖母ちゃんはレインラインで何かお願いしたことあるの?」
「あんたが生まれる直前ごろだったか、宝くじが当たるようにって願うたわ。そしたら本当に1万円当たってな、うひゃひゃひゃひゃ」
それ以来、豪雨ともなればたとえ台風であっても祖母ちゃんは外に出て、レインラインを探すことを続けているようだ。闇雲に歩いてどうにかなる話ではないと思うのだが、とにかく祖母ちゃんはレインラインを追い続けている。
他にどんな願い事があるのかと何度か聞いてみたこともあるが、すると祖母ちゃんはにやりと笑って指で丸を作り、
「金だよ金、ひゃひゃひゃ。あんたもレインラインに巡り逢えたら金についてよぉく願っとけな」
と、毎度毎度笑うのであった。
さて、そんな強欲祖母ちゃんとも、俺が大学生になって一人暮らしをするようになってからは全く会っていない。とは言ってもまだ大学に入って半年ほどだし、元々実家で一緒に暮らしていたのだから、それほど長い間顔を見ていないわけではないのだが。
それに大雨が降るたびにレインラインの話を思い出し、同時に祖母ちゃんの顔も思い浮かべてしまうので、ありがたくないことに離れて暮らしている気が全くしないのだ。
「んで今日も雨かよ……」
一昨日の月曜から今日まで、今週はバケツをひっくり返したような豪雨がずっと降り続けている。
天気予報によるとどうやら暖気だか前線だかの影響で、雨雲が流れるのが遅く、ここしばらく近辺に留まる感じなのだそうだ。
折角夏休みを利用して、大型二輪免許を取得したり先輩から中古のバイクを譲ってもらったりしたというのに、これではろくに外にも出れない。祖母ちゃんならレインラインを探し求めて散歩に出かけるかもしれないが、俺にはそんな酔狂な真似はできないな。
いや、もしかして本当に、今日も祖母ちゃんはこの大雨の中を出歩いているのだろうか。
確かもう80歳を超えていたはず。流石にその歳で無茶な真似はしないと思うが、あの強欲さだからなあ。
ていうかやっぱり、雨となると祖母ちゃんのことを思い出すな。
思わず苦笑していると、携帯電話が着信音を鳴らし始めた。
「もしもし? 父さん急にどうしたのさ」
普段はほとんど全く連絡してこない父さんが、それもメールではなく電話とは珍しい。
一瞬何やら嫌な予感がしたが、気のせいだと思い父さんの言葉を待つ。
しかし、その予感は的中した。
「祖母ちゃんが、病院に運ばれた」
父さんは、挨拶も前置きもなく、重い声でそう言ったのだ。
どうやら本当に、祖母ちゃんはこの荒れ狂う大雨の中を散歩に出かけていたらしい。理由はもちろん、レインラインを追い求めて。
その結果、互いに視界が悪かったのだろう、結構な速度が出ていた自転車にはねられたそうだ。そして転倒し、地面に頭を打ち、意識不明の状態となり病院へ運ばれた。
「医者の話だと正直もう明日を迎えるのも難しいだろうとのことだ。今からお前が帰ってきても、間に合わないだろうから、あー、せめて今週の土日には帰ってこい」
まだ祖母ちゃんが死んだわけではないので父さんも言いにくいのだろうが、おそらく今週の土日に葬式などを行うつもりなのだろう。
「……分かった」
「……」
互いに電話を切るタイミングを上手く取れず、嫌な沈黙が続く。
「それにしても祖母ちゃん、例のレインラインを探しに散歩に出かけたんだろ? 何をそんなに願ってまでお金が欲しかったのかね」
気にせずさっさと電話を切っても良かったのだが、気を紛らわせるようにこちらから再度会話を切りだすことにした。後にして思えば多分、今ここで電話を切り、一人になってしまうのが何だか怖かったのかもしれない。
「ん? 金? 何の話だ」
「え?」
意外な返答に驚く俺に、父さんは言葉を続ける。
「祖母ちゃんはお前の健康祈願とか、受験のときは合格祈願とかで願掛けしてたんだぞ。お前が産まれるときも、無事に産まれてくるようにって雨の中必死に歩いてたよ。実はあのときはお前も母さんも結構危ない状態だったんだ」
「で、でも俺は、祖母ちゃんの願い事は金だって聞いてたんだけど」
「ああ、まあ直接本人に言うのは気恥かしかったんだろう。レインラインなんて迷信を信じてる割には、そういう人だからな、祖母ちゃんは」
外から絶えず聞こえていた雨音が、鳴り止んだ気がした。
まるで今すぐ、外に出るべきだと、向かうべきだと、自分の心の声が雨音をかき消したかのように。
もちろんそれは錯覚に過ぎない。実際にはうるさいほど雨音が先程から周囲に響いているし、窓の方に目を向ければ嫌でもその大量の雨水が目に映る。
だが錯覚であっても、そう感じたのは事実だ。
「父さん、じゃあ今週の土日にはそっちに帰るから。それじゃ」
「あ、おい――」
一方的に電話を切り、一つ深呼吸をする。
さて、行こうか。
俺はバイクを走らせている。
まだほとんど乗ったことのない、全然慣れていない大型バイク。
豪雨の影響で路面の状態は悪く、数メートル先もろくに見えないほどに視界も最悪。
しかし俺はバイクを走らせている。
「事故ったらヤバいよなあ、これ」
下手したら死んでもおかしくないが、それでも俺は走り続けていた。
目的地はただ一つ、レインラインだ。
インターネットの天気予報で雨雲のおおまかな位置や動きを見て、最も近い、雨雲が途切れるであろう方角に向かっているのである。
もちろん待っていればいつかは青空が勝手に訪れるわけだが、そんな悠長なことはできない。既に通過した雨雲を追いかけ、その先にある晴れ間に追いついた方が早い。
目的はただ一つ、祖母ちゃんが俺にしてくれたように、俺も祖母ちゃんのために願うことだ。
……後から思えば、馬鹿なことをしたものだ、いや本当に。ただこのときは真剣に、レインラインを求めて走っていた。それは間違ったことではないと今でも思う。
天気予報を見たとはいえ、今後の雨雲の動きはあくまで予測。実際どのぐらいの進行速度で雨雲は動くのか俺は分かっていないし、風向きによって流れる方向は変わってしまう。はっきりと雨雲と青空という境界ではなく、雨雲の先にはただの曇り空が広がっているかもしれない。
それでも、レインラインを追いかけて俺は走っていた。
ただレインラインを、追いかけて、追いかけて、追いかけて――。
「明日から大雨だってさ。祖母ちゃん、まさかまたレインライン探しに行くつもり?」
「ああ行くさね。宝くじが当たるようにしっかい願わんとな、ひゃひゃひゃ」
「いつぞやみたいに、また病院いくことになるかもしれないから止めといた方がいいんじゃない」
「はん、あんなの結局すぐ直ったじゃないかね」
「まあそうだけどさ」
苦笑しながら、俺は会話を続ける。
「俺もレインライン探し、行こうかな、バイクで。後ろに乗っけてあげるよ」
「バイク? ダメダメ、レインラインは自分の足で行かないと願い事が叶わんからの。バイクなんて邪道じゃ邪道」
「あれ、そういうものなの?」
「そういうもんだ」
いいや、俺は知っている。
別に自分の足でなくても、バイクでも大丈夫なのだと。
でも祖母ちゃんには教えないでおこうと思う。
祖母ちゃんがずっと俺に内緒事があったように、俺も祖母ちゃんに一つぐらいは内緒にしておきたいからね。
「それじゃ、体に気をつけてね」
「言われんでもまだまだ長生きするわ、ひゃひゃひゃ」
祖母ちゃんの笑い声を節目として、電話を切る。
さて、明日から大雨か。
危険だし馬鹿なことだとは分かっているけど、明日はバイクでひとっ走りしようかな。
レインラインを、追いかけて。
読んでくださった方、本当にありがとうございます。
レインラインという言葉は造語ですので、悪しからず。
いつかは自分も見てみたいです、レインライン。