1−3−2「死んだらごめん!」
倉庫街の中心を通る大きな道、クロとウェスはホルテンジアの町中の方へ歩みを進めていた。坂を上り、ストッパーの上がったままになっている大きなゲートを通り抜けると、周りの景観が一変する。
道の脇には木造の家が建ち並び、通行人や一般車両がクロ達の前を横切っていく。露店の掛け声なども相まってなかなか賑やかい。視線を上げていくと、古めかしい町並みのずっと奥にいくつかの高層ビルが見えた。全てが新鮮なクロは落ち着かない様子で辺りを見回した。
「ここがホルテンジアの傭兵溜まりな。一般社会から隔離されたやつらが快適な生活を満喫するための場所だぜ」
道行く人々で服装などに気をつかう者は少なく、総じて厳つい者ばかりだ。かくいうクロとウェスも作業着姿なのだから、人のことを言えたものではない。
「人がいっぱいだ」
「西部最大なのはたぶん傭兵の数も同じだぜ。俺らと同じように倉庫街に住んでるのも多いからな。人がいりゃ商人連中がほっとかねー、そしたらすぐにこの活気よ。帝国統治の関係で跳甲機もんはさすがにねーが、それ以外だったら何でもある」
「へー。あれは? 店?」
目に付いた店などを指差して尋ねると、ウェスは聞いてない事まで丁寧に教えてくれた。そうしてダラダラと人の流れに沿って道を進む。二人は食材を売る露店が集中したエリアに差し掛かった。色取り取りの食材たちが大量に積み上げられている様は、中央の市場の光景とさして変わらない。見たぶんには特に問題なさそうだ。
「基地で出してくれる料理もここで仕入れてる?」
「おう、ただまぁ詳しくは知らねーよ。食料やなんかは秋山さんが手配して、俺らぺーぺーは買い付けたもんを基地まで運ぶのが仕事な。これがすげー疲れるんだぜ」
ウェスの返答に胸をなで下ろすクロ。外食がヤバそうという心配も杞憂に終わった。既にここの物を食べて何とも無かったのだから、近隣の飲食店でもよっぽどは大丈夫である。それよりも、荷物運びの話は聞きづてならない。力仕事は苦手である。
「もしかしてお祝いってそのついでじゃあ……」
「良かったな、一昨日運んだばっかりだ」
「ふぅ、そっか」
再び安堵したクロの表情を見てウェスが続けた。
「嫌だったら料理担当になれば全部免除だぞ。ただし団長と秋山さんリムさんの合格が貰えたらだけどな」
「それ受かった人いる?」
「今んとこ合格率は100%だ。意外と緩いのかもな」
「不味かったら何されるかわかんないってだけじゃない? 絶対自信ある人しか受けてないよ」
「給料のいい仕事ってのはな、リスクがあるもんだぜ」
ウェスが感慨深げに呟いた。確かにその通りだと思うが、少なくとも整備士が駆人に言う台詞ではない。
店が出ていた辺りを抜けた後、交差点を曲がって路地に入った。道幅が一気に狭まり、建物の陰で通りが薄暗い。道を進むにつれて大通りの喧騒が小さくなっていく。
「だんだん人少なくなってない? こっちであってるの?」
「心配すんなって、知る人ぞ知る名店ってやつよ。せっかくのお祝いぐらいうまいもん食わしてやりてぇからな」
「うーん、ならいいけど」
曲がったらすぐだと言っていた割に遠い。“すぐ”のニュアンスの違いなら良いが、道を間違えている予感は否めない。とはいえ、知らない者がうるさくするのもいけ好かないので、ここは我慢して見守ることにした。
「おかしい。全然ねー」
終いには通行人も全く見かけなくなった。先ほどまで俺についてこいと言わんばかりの自信顔だったウェスにも、焦りの色が見え始める。
「言わんこっちゃない。一回大通りまで戻る?」
「しゃあねー。そうするか」
案の定だ。しかし、これはこれでいつか良い思い出になることだろう。役に立つ時が来るかわからないが、ウェスのポンコツ話がひとつできるようになった。踵を返して歩き出したウェスの後を追おうとした時、ふと誰かの声が届いたような気がした。振り返って耳を澄ましてみる。
「——いで! 放せッ!」
おそらく若い女の声、それもかなり緊迫した状況だ。クロは自然と走り出していた。
「あ? おい、どこ行くんだクロ! 待てって!」
ウェスの制止も耳に入らない。入り組んだ道を何回か曲がって現場近くまで辿り着き、建物の壁に張り付いた。明らかに人のいる気配がする。クロは息を吐いて角から様子を盗み見た。
最初に目についたのは、クロと同じく作業服を着た華奢な少女。シャッターを背にして、卑しい男二人が行く手を塞ぐように立ちはだかっていた。少女は男達を必死に睨みつけているが、手は震え、体が強張っているのがわかった。
「チッ、抵抗すんなよ。痛い目見んのはお前だかんな」
「どいて! そっちこそ、衛兵に見つかったらただじゃすまない」
「んなもん滅多に来ねぇ。諦めろ」
「ッ……」
「観念して精々楽しむこったな」
「おら! こっち来い!」
片方の男が少女の腕を乱暴に引っ張った。倒れてしまった少女は髪を掴まれて引きずられ、連れてかれようとしている。それでも男たちを睨みつけるのをやめない。
って、何でこんなことしてんだ!?
ここでようやくクロは我に返った。しかし、体が動いてしまったものは仕方がない。このまま見てないふりをして去ることもできるが、胸糞悪い気持ちがしばらくは残ってしまうだろう。傭兵としての初陣を前に、負の精神的要素を抱えるのは避けたい。
逡巡の末、クロは少女を助けることに決めた。相手は男二人。ゼンツクの諜報部隊とは比べるまでもない。あのくらいであれば、おそらく何とかなりそうだ。クロは頃合いを見て飛び出した。
「やっと見つけた! お前探したぜ!」
「あ……」
そこへ絶妙なタイミングで現れたウェス。クロと男たちはウェスの方を一斉に振り返り、しばしの沈黙が訪れる。
「クソ、見られた! 殺るぞ!」
「走って!」
「この野郎、待ちやがれ!」
少女を掴んだ男が拳銃を取り出したのを見てクロが駆けだした。ウェスも本能的に危険を察したようで、歯を食いしばりながらクロの後ろに続いた。
「死んだらごめん!」
「なんかよくわかんねーけどよ! 元はと言えば俺が迷ったせいだ、呪うなら俺の不運の方だぜ!」
「こんな時にカッコつけなくていいから! 本音は?」
「いきなり面倒事起こしやがって畜生が!」
「だよね! ホントごめん!」
適当な所で何度か曲がって後ろを見た。手ぶらだった男がナイフ片手に追って来ているが、拳銃の男は見当たらない。今ならやれそうだ。
「やれる!?」
「さぁ、どうだろうな! この前は酔っ払ったオッサンに辛うじて勝ったぜ!」
「わかった、このまま行って!」
「おう、後でな!」
「了解」
ウェスは戦力にならない。それどころか足手まといになる可能性があるので、先に退場してもらった。本人も自覚していたのか、大変素直でよろしい。クロはウェスを見送ることなく、反転して突っ込んだ。ナイフの男が追うのをやめて身構える。
「サクッと楽にしてやるぜ!」
低い重心から男の懐に滑り込み、突き出されたナイフを悠々とすり抜けた。その流れのままに、体重を乗せた渾身の強打をお見舞いする。
「はあッ!」
「ごぇ——」
クロの拳が男の腹に刺さった。男は短く奇声を発し、手を前に出したまま膝から崩れ落ちた。何ともあっけない。教官の格闘訓練に比べれば、この程度の動きは止まって見えるも同然だ。クロは男が起き上がってこないのを確認すると、ナイフを奪って全力で少女の元へと走った。
まだ無事だといいけど。
息を落ち着けつつ、逃げる前の場所に戻る。少女は変わらずそこにいた。当然もう一人の男も一緒である。クロは相手を刺激しないよう、ゆっくり歩きながら様子を伺った。
「その子を離してあげる気はない?」
「連れはいいのか、今頃は切り刻まれてるぞ」
「これのこと?」
クロはわざとらしく男にナイフを見せびらかした。力の差を示すことで早々に諦めてくれることを願う。ある程度近づいた時、ついに男は行動に出る。少女の首をシャッターに押し付け、その額に拳銃を突きつけた。少女の顔が苦悶に歪む。
「悲惨な光景を見たくなきゃ失せな。こうなりゃ誰も得しねぇ」
そんな、裏目だったか。
クロはその場で立ち止まった。圧倒的なリーチ差、このままでは手が出せない。ナイフを握る手に力が入る。投擲でやれない距離ではないが、相手も警戒しているので成功する確率は低いだろう。男が少女を盾にして下がろうとする瞬間、おそらくそこ以外にクロが優勢に持ち込める場面はない。
「カハッ……!」
少女の苦しそうな呻きだけが静かに流れ続ける。尚も男は動かない。どうすればこの場を乗り切れるのか、必死に考えを巡らす。楽観視はダメだ。最悪、男が今すぐ引き金を引くか、少女の限界がきてしまうか。もしそうなった時は自衛のために全力で男を殺す。これまで少女のため衝動的に奔走したクロだが、結局は自分の身が最優先だ。
早く動け、早く。頼むから。
それでも助けたい気持ちは十分にある。これは駆人の精神状態云々ではなく、単純にクロの人並みに備え付けられた正義感から来るものであった。男の動きの流れを見逃さぬよう呼吸から脈拍にまで注意して全神経を捧げる。
「チッ、死ね!」
刹那、男は拳銃をクロに向けた。動き始めたならば、挙動、そして空気感から発砲のタイミングはわかる。発砲音と同時に頭から飛び込んで受け身を取り、ナイフを投げようとしたところでクロは動きを止めた。
「え?」
眼前に全く予想していなかった光景が広がった。男の股に少女の足が食い込み、蹴り上げた状態で静止している。見てすぐに男の意識がなくなっているのがわかった。
「うわ、痛そう……」
あまりのショッキングさにクロの股が少しずつ閉じられていく。少女が足を引き抜くと、男が仰向けに力なく倒れた。結果、不利な状況を強いられた刹那の差し合いは、少女の横槍によってあっさりと終了した。
クロは立ち上がって髪を整えている少女に近づいた。途中、男の常軌を逸した表情を見て思わず気分が悪くなる。
「怪我はありませんでしたか?」
「ううん、僕は別に。そっちこそ大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
少女が首をさすりながら答えた。見ると少し青くなっている。
「これくらい何でもないです。それより、助けていただいてありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」
互いに深々とお辞儀した後、同時に起きて目が合い、笑った。まだ少しだけあどけなさの残る顔。10代なのは間違いない。長髪な点や体つきはメイカに似ているが、受ける印象は全然違って、こちらは見るからにか弱い。身なりはまともなので、生活はできているようだ。あのような人気のない場所に一人で行けば、危険だとわからなかったのだろうか。
何故このような子が傭兵溜まりにいるのか、というのは愚問だ。戦争などによって孤児になれば真っ当な道を外れるのは容易い。おそらく流れ流れた末にここへ辿り着いたのだろう。こういった生い立ちは軍でよく聞いた話だ。軍人の中にも同じような境遇の者は何人もいる。施設などで育った人間は社会に出ると下に見られ、不当な評価を受けることが多い。故に、死に物狂いで好待遇を得られる駆人を目指すのである。
「あなたは、なんだか不思議な感じがします。傭兵、なのですか?」
「……どうして?」
名乗るのは良くないとウェスが話していた手前、返答に詰まって質問を返してしまった。
「ここにいる人たちとは違うような。ごめんなさい、気にしないでください」
それから少女は俯いたきり、黙ってしまった。
「よお、無事で何よりだぜ」
「ウェス!」
クロ達の会話が途切れたところでウェスがやって来た。明らかに見計らっていた感じの登場である。いらぬ気を回してくれたらしい。
「結構な問題起こしたんだからよ。団長のお小言ぐらいは覚悟してもらうぜ。俺は減給だな」
「ご迷惑をお掛けしました。ホントごめん」
「生きてるだけで儲けもんよ。じゃあな、こいつはもらってくぜ」
首をウェスの腕に引っ掛けられて連行されるクロ。その去り際に少女が口を開いた。
「私は傭兵団“朝霧”のエリス、エリス・カーディナルです。今度会ったら是非お礼させてください。私の気が済みませんので!」
エリスの言葉に一度振り返り、片手を上げて答えた。
今度会ったら、か。
これも何かの縁だ。エリスとは一度ゆっくり話でもしてみたかった。しかしこの広いホルテンジア、待ち合わせでもしなければ出くわすことはそうそうない。まして傭兵ならば、明日とも限らぬ命だ。おそらくエリスに会うことはもうないだろう。
クロはエリスについて考えることをやめ、懸命に走り行くウェスの背中を追った。