1−3−1「冗談は顔だけにしとけ」
全身を汗で濡らし、あまりの不快感にクロは目を覚ました。壁も天井も金属の閉鎖空間。床には生活用品やら酒瓶が散乱している。
ああ、そうか。
クロはここがコンテナの中であることを思い出して、自分が傭兵になった現実を認識するまでに、いくらか時間を要した。
向かいで寝たはずのウェスの姿は既にない。代わりに、改築して雑に取り付けられた大きめの窓が全開になっていた。それでも屋内は蒸されるような状態だ。一応居住用などとウェスは言っていたが、こんな窓1つでは中に籠る熱をどうすることもできない。ひと月もすれば馴れることとはいえ、その前にストレスでおかしくなってしまいそうだ。
「よっ、おはようさん」
抗えぬ不快になすすべもなく、思考停止していると、ウェスが窓から顔を覗かせた。
「あ、ウェスさん。おはようございます」
「だから昨日言っただろうが! 呼び捨てでいいし敬語もいらねーって。年も大して変わらねーのにむず痒いったらない」
「はい、じゃなくて……わかった」
「そうそれ。で、お前そんな暑いとこで何してんの? 早く出てこいよ。今日は基地回りながら偉い人の紹介だからな」
「聞いてないですよ。って、あ! 今のなし」
「何でもいいから早く出てこい」
クロは弾かれたように急いで着替え始める。そういえば、今日の予定どころか、これからのことを一切聞いていなかった。まずはシャワーでも浴びたい気分だが、当然そんなものはここにない。ゼンツクの幹部達に会うというのに、汗臭かったら失礼ではないだろうか。準備をしながらそんな不安を募らせる。
「お待たせし……たよ?」
「なんじゃそりゃ。ま、そのうち慣れるだろ」
クロはぱぱっと支給された作業服を着ると、表で待っていたウェスまで駆け足で近寄った。外は日差しが強いながら、断然屋内より涼しい。
「言い忘れてたけどよ、日が昇ってからコンテナん中いると暑くてやばいからな。夜明け前の起床をお勧めするぜ。皆そうしてる」
「今言う!? もうこれ、ほら、完全に手遅れだって」
「わるいわるい」
「シャワーとか浴びれる場所ないの?」
「いらねーよ、心配すんな。ここのコンテナにいるのは全員同じようなもんだ」
「ホントに? じゃあ、まぁいいか」
新しい生活の場であるコンテナを振り返った。ゼンツク基地の一面いっぱいにずらりと並べられたコンテナは、クロやウェス同様ゼンツクに所属している人々が寝泊まりするためのものだ。一つにつき2人が暮らしているとすると、少なくとも数十人はいることになる。中にはコンテナを幾つかくっつけた大掛かりな改築を施しており、好き勝手にしても許されるようだ。そこまでするなら、コンテナでなくても良い気がしないでもない。
「おら、いくぜ」
慌ててウェスの後を追う。昨日、基地から出る時に通った入り口の横を通り過ぎた。中に入るのかと思っていたが、そうではないらしい。
「偉い人は外住みなの?」
「いんや、全員あの中だ。えーと……どっから説明したらいいか。面倒くさいな。とにかく付いて来りゃいいんだよ」
そう言って足早に歩いていく。ゼンツクの基地となっている倉庫の周りには、同じような巨大な倉庫らしき建物しか見当たらない。解放されてから真っ先に聞いたことだが、この場所は大陸西部で最大の都市“ホルテンジア”だそうだ。この辺りは倉庫街と言われ、大小さまざまな倉庫が立ち並ぶエリアである。
大陸の北西を源流として、西部を南北に縦断するサザン川の河岸には多くの町や村が点在している。その内のひとつがホルテンジアだ。北西部からの資源を水路を使って中央へ運ぶために栄えた港町である。故に、西部の主要都市は今もなお帝国の支配が続いていた。
「着いたぞ。あれ、山本さんいねーな」
二人が立ち止まったのは出発地点の裏手。つまり、基地を半周回ってきただけである。コンテナが並ぶ寝床の反対側は土の見えるあき地だ。そんな場所で、あからさまに屈強な男たちがタンクトップや上半身裸になって訓練を行っていた。昨日、訳も分からず戸惑うクロを跳甲機にぶち込んだ者達もちらほら見受けられる。
「山本さんどこ行って——」
「危ない! 後ろッ!」
クロは突如背後に気配を感じ、即座にウェスを庇いつつ身構えて振り返った。するとそこには、長身ですらりとした大男が朗らかな表情を浮かべて立っていた。クロの間合いにはギリギリ入られていない。30代半ば、半袖からのぞく腕の筋肉は相当鍛え上げられたものだ。
「お前すっげ、よくわかったな。ってか山本さん、ビビらせないでくださいっすよ」
「驚いた。気づかれるとは思わなかったよ」
「え? 誰?」
「諜報部隊長の山本さんな」
驚いたのはお互い様である。力試しなのだろうが、いきなり背後から近づくとは嫌らしい趣向だ。ウェスの発言から察するに、この大男がゼンツク幹部の一人ということらしい。状況を理解したクロは動揺しながら自己紹介した。
「ど、どうも、初めまして。昨日入ってきました駆人のクロ・リースです」
「アハハハ、こんな警戒した状態で自己紹介されたの初めてだなぁ。ごめんね、完全にこっちのせいだよね」
近づいてきた山本と握手を交わした。笑顔も自然な感じで接しやすそうな印象だ。とはいえ、武人は相手と交えることで、その人物の人となりを見極めるとはよく聞く話である。暗殺方面に長けているのは仕事柄かもしれないが、好んで用いるからには本人にそういった性質があるように思えてならない。
「気を取り直して。自分は諜報部隊長の山本であります! 格闘訓練とかしたくなったら自分に言ってね。いつでもお相手するよ」
「お手柔らかに」
去り際、山本にしつこく諜報部隊への転属をお願いされた。そういった才能があるらしく、育ててみたいとようだ。といっても、クロにはどうにもできなし、諜報部隊は正直乗り気がしない。メイカにも懇願するような勢いだったが、恐らくは一蹴されて終わりだろう。そうであってほしい。
「それにしてもなぁ。お前見かけによらねーよな」
「急に何?」
戻りの道中でウェスがぽつりと言った。
「リムさん真っ二つにした奴がどんな面してっかと思ったらこんなちっこいし。一人で機体から出てこれねー軟弱かと思ったら山本さんと渡り合えてる。まったく不思議な野郎だぜ」
「気に入らない?」
「いんや、なかなかおもしれー」
「そう。なら良かった」
クロは生身の戦闘でも、それなりであると自負している。しかし、こうもあっさりと背後を取られてしまったのである。跳甲機の操縦技術同様、兵士のカンも衰えているかもしれない。昔教官には跳甲機の腕だけでなく、肉体の鍛錬も続けるように言われていた。これでは教官に会わせる顔がない。尤も、もう会うこともないだろう。
常用口を通って基地に入った。ロビーの右手に行けば、すぐにあの記憶に新しいガレージである。多くの整備士が忙しなく働く空間を抜け、薄い壁で区切られて部屋になった所のドアを開ける。中には髪よりもたくさんの髭を蓄えた老年の男ともう一人の整備士が話をしていた。
「オヤジさん、二番機の調整完了しました」
「おうよ。そしたらちょっくらリム呼んできて乗せてやれや。あいつも注文多いからなぁ、毎回違うことを言いやがる」
「そ、それって、まさか、俺がやっていいってことですかそうですかそうなんですか!?」
「まあなぁ、そろそろ別の仕事覚えてもいい頃だろ。俺にも楽させてくれや」
「ありがとごじぁすッ!!」
整備士は目を輝かせながら頭を何回も下げると、スキップでガレージに出て行く。その背中をいくらか見つめ、老年の男は短く鼻を鳴らした。
「なぁオヤジ、俺にも任してくれていいんだぜ」
「馬鹿野郎、冗談は顔だけにしとけ。それで、アホな事言いに来たわけじゃあないよなぁ」
男の鋭い眼光がクロに向けられた。太っているというよりは横にでかい。デコからてっぺんにかけて禿げ上がった白髪から、そこそこの歳であることが窺える。
「えーと、どうも。クロ・リースです。反省会にもいましたよね?」
「おうよ。俺は整備長の島田だ。こいつらはオヤジとか言いやがる。昨日の操縦を見る限りだと、てめぇには世話ぁかけられそうだ」
「ぐ、よろしくお願いします」
「縮こまることはねーぜクロ。オヤジは腕がなる、機体の方は任せとけって言ってんだよ」
ウェスの言葉を聞いて島田が鼻を鳴らす。
「それより聞いてくれオヤジ。こいつの教育係とか言われて、色々回る予定なんだけどよ。いざ説明するとなると俺もよくわかってねーんだ。だからちょっと教えてやってくれよ」
「ざけんなや。教えてください、だろうが。俺も暇じゃない」
島田は乱雑に積まれていた木箱を2つ掴んでクロとウェスに放る。ウェスが木箱を椅子代わりに腰を下ろしたのでクロもそれに倣った。
「つっても仕方ないしなぁ。任されてやるよ」
「オヤジあざっす」
相変わらす厳しい表情のままだが、おざなりなお願いでも簡単に聞き入れてくれた。外見のイメージと違って柔軟な人なのかもしれない。島田に対するウェスのタメ口もきっと信頼あってのことだろう。
「で、誰のとこに行った?」
「団長、秋山さん、アイゼンさん、リムさんは昨日会って、今日は山本さんと後オヤジだ」
「全員回ったか」
「ということは今名前の挙がった人がその、所謂偉い人なんですか?」
「そうだなぁ。ゼンツク全体としての決定権はメイカにあるが、久は事務関係、アイゼンは駆人、山本は諜報部隊、俺はこのガレージにいる奴らの監督だとかを任されてる。5人以外にも傭兵団立ち上げ当初からの団員はたくさんいるがまぁ、結局はどいつもヒラだ。気にするなや」
「違いねー。俺らなんか働いたらその分だけ金が貰えるって事だけ知ってりゃ十分だしな」
思ったとおり組織体系がしっかりしている。仕事の内容こそ傭兵だが、やっていることはその辺の企業と変わらない。今の話によればクロの直属の上司はアイゼンで、同僚がリムということになる。そう考えるとまともな職場っぽそうだ。
「普段の仕事とかはどんな感じでしょう?」
「てめぇは駆人だからなぁ。適当にシミュレーションで訓練して、メイカが依頼受けて声が掛かれば戦場っつうわけだ」
「他の皆さんは何を?」
「えらい食いつくじゃねーか。勉強熱心な野郎だな」
「てめぇも見習えやバカ。まだ覚えることは山ほどある。軽く修理ができるようになったぐらいで調子こくなや」
「おう! オヤジどもの技術をスポンジのごとく吸収したら、俺が楽にしてやるぜ。ヘッヘッ」
ウェスが拳を突き出して渾身のポーズを決める。島田はそれをスルーして話を続けた。
「まずは諜報部隊だが、あれは簡単に言ってしまえばメイカの手駒だ。戦場での斥候から情報収集、尾行に窃盗拉致監禁、殺しまで。跳甲機で戦う以外だったら何でもしやがる」
なるほど、そういうことだったか。
クロの情報を短期間で集めてきたのがこの諜報部隊というわけである。軍を辞めてから西へ向かったことは誰にも言ってない。なので、メイカ達が初めからクロを狙ったとは考えにくいが、これで数ある疑問の一つが解消できた。
「お前にはしばらくの間そいつらの監視がつくと思うが、まぁ我慢してくれや」
当然入団して間もないクロに監視がつくのは理解できる。できれば山本くらいの者に就いて貰えると、警戒しても気がつけないので、その方がありがたい。
「それで、後はここか」
島田は立ち上がって窓からガレージの方に向けられていたボードをひっくり返した。時間と仕事内容で区切られたボードのマス目が名前の書かれた紙で埋め尽くされている。
「てめぇも知ってのとおり、跳甲機の修理やら調整には人手がいるし手間が掛かる。っつうわけで団員の大半がここで働いてる。弄る奴の技量や経験なんかを考えながらシフトを組んで仕事に当たらせてるが、見てのとおり跳甲機を弄るだけが仕事じゃあない。予備パーツの仕入れから改修、それと武器の仕入れもそうだ。この他に、作戦に出向いて機体の最終調整、輸送車両の運転も俺たちの務めになってやがる」
「ゼンツクはオヤジと俺らが回してるって言っても過言じゃねーぜ!」
「過言だボケ」
島田の説明を聞きながらボードを眺める。順に見ていくと、非番と書かれたところにウェスの名が書かれた紙を見つけた。中には黄ばんで角のめくれた紙もある中で、ウェスの紙はまだ白くて新しい。別に疑っていたわけではないが、ペーペーというのは本当のようである。それに名前の筆跡も全て違っている。
「あの、ここの皆さんは字が書けるんですか?」
「あったり前だ、書類が書けねーだろうが。俺はこれでも下の学校は出てんだぜ。こっちに来たのはそっからよ」
「整備士はどれだけいようが困らない。だから、そこそこ学のある流れもんを拾って来て雇ってんだ」
それって僕の時と変わらない気が。
クロはメイカと秋山が昨日のような面接を定期的に行ってはしゃぐ様を想像し、げんなりした気持ちになった。
「話を戻します。整備の人たちが忙しいのはわかりましたが、それにしたって慌ただしくないですか?」
「おうよ。実はこないだ依頼で行ったアザーで思いっきり負けてな。損傷の酷い箇所は総取っ替えっつうわけで最近はこんな状態が続いてる。更にだ、てめぇが来やがったせいで、今まで予備だった機体を調整しーの、急きょ新しいパーツが必要だのっつって、てんやわんやだ」
「……なんかすいません」
「謝るなや、てめぇにはてめぇの仕事があるだろうが。駆人が暇ぁ持て余してんのは命張ってっからで、俺らはその後ろで守られながら働いてんだ。ちっと忙しいぐらいで文句垂れる奴は俺がクビにしてやる」
「オヤジの言うとおりだぜ。こういう時は給料もいいから大歓迎ってな」
整備士二人のなんとも誇らしい顔を見て、クロはメイカに同じような話をされたのを思い出した。
てめぇの、僕の仕事。駆人の役割、整備の役割、それぞれの役割がある。
他人を心配、配慮できることは素晴らしいことだが、それよりも自分の役割と真摯に向き合える人間が求められる。ここはそういう場所だ。メイカの貫ぬく信条が団の幹部、少なくとも秋山と島田には共有されている。クロはそのことに今まで以上の心地よさを感じた。
「昨日のシミュレーションの途中にはもう団長の指示が出てたっけか。クロ、お前なかなか評価されてんぜ」
「頑張りますよ。まぁ、やれることをやるだけですが」
「わかってきたな。俺からはこんなところだが、他に何かあるか」
「大丈夫です。ありがとうございました、あの……オ、オヤジさん」
「おうよ」
島田は最後に大きく鼻を鳴らした。クロとウェスの二人はガレージを後にして、再び基地の外に出た。
「そういえばウェス。ボードにあったけど、今日非番なのに付き合ってくれてありがとね」
「ヘヘッ、いいってことよ。それより腹減っただろ、飯いくぞ。今日は俺の奢りだ、ささやかな入団祝いだぜ」
「ホントに? ありがとう!」
でも、どうだろうなぁ。
笑顔で応答するクロだが、内心はとても不安であった。一端の傭兵が西部大都市の一般市民が暮らす生活圏まで堂々と行けるはずがないし、きっと案内してくれるのはスラムすれすれのような飲食店だろう。それは別にいい。なにも中央にいた時と同じ文化レベルを享受できるとは考えていない。一番の問題は食べ物の美味い不味いよりも、体が受け付けるかどうかである。基地の料理は大丈夫だったが、外食は危ない気がしてならない。
それはさて置き、ウェウの心意気はとても嬉しい。気分の乗っているウェスにつられ、一緒になって意気揚々と倉庫街を歩く。このエリアを抜けると、すぐに傭兵たちのたまり場となっていて、店はその中にあるらしい。
「もし、お兄さん方。少々よろしいですかね」
途中、ちんぴら風の男に歩みを止められた。気取られないよう目だけを動かして周囲を確認すると、周りには男の仲間どころか通行人の一人すら見当たらない。あまり関わり合いたくない風貌だが、どうしたものか。クロはウェスにそんな視線を送った。すると、ウェスが一歩前に出て肩を揺らした。
「あん? 何用だよ」
おそらく強めに押していく感じだ。ここは大人しくウェスに任せる。
「私は“虎々”という会社から来ました都と申す者ですが、お兄さん方はもしやゼンツクの関係者では?」
「あん? 知らねーよ。お前に関係ねーだろ」
「そうでしたかすいません。ではゼンツクの倉庫がどれかなんて、当然わかりませんよね?」
「あん? ベラベラうるせーな、知らねーって言ってんだろが! ああん!?」
「うへぇ、すいませんすいません」
ウェスが少しばかり凄んだだけで、チンピラ風の男は怯えながら逃げていった。
「ヘヘッ。とまぁ、絡まれた時はこんな感じよ。何を言われてもうるせぇ知らねぇ関係ねぇで押しとおせ」
「なるほど」
てっきり毎回最初に入る“あん?”もポイントだと思ったのだが、それは違うようだ。
「確かに俺らの傭兵団はこの町じゃちょいと有名だ。団長なんかは面が割れてるからしゃーないが、俺の経験から言わせてもらうと、自分から名乗って得することはあんまりねーな」
「よくない体験は是非前もって聞いておきたいね」
クロがそう言うと、ウェスは身振りを交えて随分大げさに語ってくれた。ともあれ、この傭兵がひしめくホルテンジアで、自ら素性を晒すのは避けるべきということはわかった。
それにしても先ほどの男、ゼンツクがどうのと言っていた。ウェスは本当に知らないらしい。誰かが呼んだのであれば、基地の場所を知らないはずはないし、一体何が目的だったのだろうか。クロは行きの道中、そのことばかりが気がかりであった。




