1−2−4「聞こえないなぁー」
『クロさーん、生きてますかぁ?』
「大丈夫です。突然モニターと明かりが消える以外、何ってありませんから。お疲れ様でした」
『はいはいお疲れ様でした。ではそのまま下に降りてきてくださいね』
「わかりました」
秋山との通信を終え、クロは操縦席からの脱出を試みた。しかし、慣れない駆人服が邪魔をしてままならない。しばらく狭い空間で戦っていると、操縦席の入り口が開いて、暗がりに光が差し込んだ。
「おーいどうした? 早く出てこいよ」
「えっと、すいません。引っ張ってもらえます?」
「はぁ?」
そうして作業服の男に引き上げてもらうことで、ようやく外の世界を拝むことができた。
「あ、ありがとうございました」
「おっす、お疲れー」
クロは窮屈さから解放されて大きく伸びをした。ここはゼンツク基地内のガレージである。メイカがしたり顔で命じてきた仕事というのは、シミュレーションのことであった。入団試験はなかったとはいえ、やはり実力は確かめておきたかったのだろう。跳甲機から脱出したクロはハンガーに伸びた足場から広いガレージを眺めた。
巨大な倉庫を改装して造られたゼンツク傭兵団の基地。そのガレージは相当な広さをもっている。壁際にはハンガーに納められて立っている跳甲機が3機並ぶ。そして中央の辺りには武器やら跳甲機の部品などが丁寧に保管されていたり、作業中のまま乱雑に放ってあったりする。さらに搬入口の近くには輸送車両が4台と指揮車両があり、機体を起動させずともハンガーに納めた状態から輸送車両に積める仕組みになっている。設備の規模でいえば、そこらの警備会社にも引けを取らないと思われる。そのどこに目を向けても整備士たちがせっせと作業に勤しんでいた。
「お前のブレード捌き、なかなか痺れたぜ」
声を掛けられてクロは横を振り向いた。いたのは先ほど助けてもらった作業服の男だ。てっきりどこかへ去ったと思っていたが、ずっとここにいたらしい。下にいる人たち同様紺の作業服で、歳はクロよりやや上ぐらいだろう。タバコ臭く、メイカや秋山のように教養ある人物には見えない。それについてはあの2人の方が異常なのだが。ともあれ、整備の仕事で汚れた作業服がばっちり様になる感じだ。
「見てたんですね。ありがとうございます」
「お、おう。かたっくるしい奴だな。俺はここで跳甲機を弄ってるウェスだ」
「クロ・リースです」
「知ってるよ。お前が来るまでは俺が団の中で一番ぺーぺーだったからな。今日からはブービーペーペーだぜ。ま、お前よりちょっとだけ先輩ってわけよ。よろしくな」
手でも差し出されると思ったが、ウェスは顔の高さに拳を突き出した。どう対応したらいいものか。クロは長考した後、ウェスの拳目がけて自らの拳を打ち付けた。
「よろしくお願いします!」
「おま、イテーよ! グータッチ知らねーのかよ! まぁいいや。俺、お前の教育係に任命されたから。また後でな」
クロの返答も待たず、ウェスは痛そうに手をさすりながらハンガーを降りていった。人当たりの良さそうな人で、第一印象は悪くない。ウェスが教育係になってくれるのであれば、一先ずは大丈夫そうである。
「おいクロ、たそがれてないで早く降りて来い」
またしても見えない所から声が掛けられた。下を見ると不機嫌そうな顔をしたメイカが立っていた。その一歩下がった位置には柔和な笑みの秋山もいる。
「作戦失敗しました。面目ないです。すいませんでした!」
そそくさと下に降りて第一声、クロは全力で頭を下げた。入団させてもらったにも関わらず、テストに近しい一発目のシミュレーションをしくじったことは大変なマイナスだ。ウェスはああ言ってくれたものの、とんでもないポンコツを入れてしまったと団員たちからメイカの評判を落としかねない。今更クビにされても困るので、誠意を見せて挽回の機会をもらうことを念頭に入れての対応だ。全くもって情けない話である。
「ん、別に構わん」
「そうですとも」
「え?」
予想外の返答に頭を上げた。そこでメイカの顔をジッと見た。どうやら本当に怒っているわけではないらしい。メイカは溜め息をつくと、お前は何もわかっていないと続けた。
「言ったはずだ。殺したら勝ち、死ななかったら負けではない。だからお前は負けてない、むしろ駆人としての役割は十分に果たせた。それでも作戦に失敗したということはだ、お前を単機で出撃させた私がクソ野郎、責任は私にある。くだらんことに気を回す暇があるのなら、今日の晩飯にでも思いを馳せていろ。その方が有意義だ」
「は、はぁ」
私がクソ野郎。野郎?
真面目な話をしているはずなのに、何故かそっちの方に気がいってしまった。早速この二人に毒され始めているのかもしれない。それにしても、戦場で戦う駆人にとって、これほど頼もしい言葉があるだろうか。面接の時もそうだったが、メイカの言葉には魅せられるものがある。今の地位にあるのも納得だ。
「なんと!? 確かに……言われてみれば心なしか、胸が平たくなった気がしますねぇ。下の方も——」
「減給」
メイカが振り向きもせず、短く冷たく言い放った。
「やってしまいました。メイカ様がツッコミを返してくれるギリギリのラインを攻めるのが堪らなく楽しいのですが、今回は攻めすぎてしまいました。体型いじりは加減が難しいですねぇ。無念」
秋山が心底悔しそうに聞いてもいないことを漏らしていく。メイカはそれを完全に無視し、シミュレーションでの反省点をクロに話し始めた。全くもって仲が良いことこの上ない。
「あぁっぁぁぁあ! もう、あぁぁ!」
突然ガレージに危ない雰囲気の叫びが響き渡った。何事かと振り返ると、クロが乗っていた隣の跳甲機から、女が頭を覗かせていた。赤髪の若い女、メイカよりもやや大人びた印象を受ける。臨界点に達したような表情からして叫んだのはこの女に違いない。続いてその機体のさらに向こう、最後の1機から男が出てきた。見た感じは40前後。体型の出づらいこの駆人服を着ていても相当な体格であることがわかる。
「この前はリーに防がれて、今回は絶好のチャンスミスった挙句に真っ二つ。ミラクル続きすぎでしょ! 私最近キてるんだけど、ちょっとどんな気持ちか聞いてみてよアイゼン」
「むう、興味はあるな。どんな気分だ?」
「ああ!? 爆死していい気持ちなわけないでしょ! 死んだ仲間に向かってどんな気分? なんてよく聞けたよね! これはもうアレ、今から私が勝つまで戦うか、晩に奢るかだよ。酒、高いやつね」
「分かった分かった。で、どんな気分なんだ?」
「はあ!? はぁぁぁあ!?」
あれがさっき戦ってたゼンツクの駆人、なのか。
内容から察するに、無茶苦茶言っている女がキャノンを撃った方。抜けているのかわざとなのか、話を聞かない男がクロを負かした方だ。やはり機体を通じての印象とは大きく異なる。こういう場面に出くわす経験は何度かあるが、毎回新鮮な驚きや興奮を得られている。
「おい、聞け」
メイカがクロの両肩に手を置いて揺らした。頭上で謎の会話が大音量で繰り広げられている中、それも無視して淡々と語っていたようだ。あの事態でも目に入らないというのか、メイカには少しだけズレた部分を感じる。
「すいません。さすがにあの二人が気になるんですけど」
「まぁ、それもそうか」
納得したメイカは、上の足場で取っ組み合いを始めた男女の駆人を呼びつける。二人は会話をすぐに打ち切り、堂々と並んでクロの前に立った。ついに先任とのご対面である。
まずは赤髪の女の方が一歩踏み出る。先ほどのやり取りが聞こえてしまった以上、正直今この人とはあまり接したくない。クロは固い表情で女の方に向き直った。
「おーようこそー、よろしくー! 私はリム・シュッティン、リムちゃんって呼んでね。オッケー?」
「えっと、あの、どうも。今日からお世話になります、クロ・リースです」
ついさっきまでの怒りはどこへいってしまったのか。リムは眩しいくらいの笑顔と握手でクロを迎えた。クロとさして変わらない身長で、思ったよりも大きい。耐熱用の方の駆人服を上半身だけ脱いでいるので、素晴らしく整った体の曲線が惜しげもなく晒されている。
「せいッ!」
「え? ちょ——」
突然視界が闇に包まれた。リムの胸元に正面から抱きつく形で首をキメられている。完全に気を抜いていたのであっさりとやられてしまった。これは仕方がない。クロは誰に対するでもなく、謎の言い訳を咄嗟に心の中で唱えた。
「せっかく挨拶してるのに、目を見て話さないのは失礼じゃないかいクロちゃん」
「ふ、ふいまふぇん」
「聞こえないなぁー」
そう言いながらリムはクロの耳元に顔を寄せて囁いた。
「そんなに私の体に興味ある? 今夜部屋に来なよ」
そして先ほどまでの調子で、許してあげるよ、とクロを解放した。
これはあれだ、早速誘われてしまった。
それにしても早い。軍時代も何度かこういったことはあったが、クロはすべてを断っていた。行為をしてしまえば、その人に何らかの感情を抱かずにいられる自信がない。それはすなわち駆人としての弱さになり得る。
「おいインラン、こいつが腑抜けたらどうするつもりだ。やめろ」
「は!? なんのことかさっぱりなんだけど! メイカ何言ってんの、わっかりーませーん!」
「困りますねぇリムさん。溜まった膿は外で出すようにしてくださいよ」
「膿って! 膿はさすがに表現ひどくない!?」
最善の断り方を一人必死に考えていたクロに対して、メイカ達にはお見通しだったようである。短い口論の末、リムは渋々引き下がった。入れ替わりで今度は男の方が前に出た。これまでのやり取りには参加せずに無言を貫くも、どこかゼンツクの雰囲気に馴染む存在である。
「アイゼンだ。貴様は良いものをもっている。戦場では頼りにさせてもらおう」
「はい!」
ガッチリと手を交わし、クロは力強く頷いた。
この人がさっきの。
シミュレーションでの一幕が蘇る。アイゼンには一歩も二歩も及ばなかった。この年で現役ということは、数々の戦場を切り抜けてきたのだろう。長い駆人暦で培った経験とそれを生かすことのできる技量。自らが猛者であることを雄弁に語るアイゼンの目はクロの興味を引いた。
アイゼンはそれ以上語ることはなく、一人背を向けて輪を離れていった。
「では挨拶も済んだことですし、大反省会と行きましょうかねぇ。クロさんも付いてきてください」
「はい」
「えー、めんどくさーい」
「いいから来い」
この後、シミュレーションに関わった全員が一堂に会し、クロの戦闘について話し合いが行われた。こうして、長かったクロの傭兵1日目が終了した。