1−2−2「そんな感じです」
『クロ機輸送車両、作戦開始地点に到着しました』
『ん、下ろせ。システムの待機モードを解除、クロは即時行動を開始しろ』
「了解です。通常モード、起動確認。異常ありません」
『秋山、後は任せたぞ』
『はいはいかしこまりました』
真っ暗で何も見えなかった操縦席に灯りがともり、顔の正面にあるモニターにメインカメラの映像が映し出された。輸送車両にうつ伏せで格納されていた機体がハンガーと共に起こされていく。クロは一度グリップから手を離し、中がすっかり汗ばんでしまったグローブの感触を確かめた。
操縦で触れる主要な部分は発光するので、操縦席自体が明るくならずとも支障はない。しかし、昔大きな損傷を受けた際に、手足が欠損したことに気づかない駆人が何人もいたという事態を受けて改良されたらしい。クロは久しぶりに乗った跳甲機内でふとそんな話を思い出していた。
『もしもーし、どうかしましたか?』
「あ、いえ。最後の出撃からずいぶん日が空いてますから。変な緊張感が……」
『そうですか。これは期待せずには入られませんねぇ』
一体何を期待しているというのか。それを尋ねる気はない。ハンガーが垂直まで起き上がったところで数秒間停止した後、接合部が一斉に外れて機体が少しだけ落下した。クロは手馴れた操縦で衝撃を最小限に抑え、着地を成功させた。
『お見事です。全然いけそうですねぇ』
「まぁ、これくらいは」
跳甲機に乗る前にメイカから言われたことは一つだけだ。この機体に自動制御の類は一切付いていない。故に倒れそうな時、落下している時、着地の時、機体の制御は全て駆人の手で行う必要がある。それもクロには慣れたことだった。
システムの技術は進み、初心者に毛が生えた程度同士の戦いであれば、自動制御は大きな力となる。しかし戦いのレベルが上がるほど、自動制御中に発生する操縦の制限が熟練者の邪魔となってしまう。如何に技術が発展しようとも、未だシステムが玄人の腕を上回るには至っていない。そういった理由で、軍学校では初めから手動操縦の訓練を行っていた。
『目標の場所まではまだ距離がありますので、あまり音が出ないよう歩行にてマーカーの地点まで移動をお願いします』
「了解です」
クロ機はゆっくりと一歩目を踏み出して、歩行を開始した。見渡す限り山々に囲まれた山間を進む。夜、人工の明かりが届かないこの場所は全てが闇に包まれている。
「そういえば作戦の話とか何も聞いてないですけど。というかボスは?」
『メイカ様は色々あって手が離せないので、代わりに私がオペレーターを務めさせていただきます。こんなジジイが相手ですいませんねぇ』
クロはメイカと秋山に対面後、基地の人間には一切紹介されることなく、あれやこれやと屈強な男達に連れ出された。そして、瞬く間に駆人服に着替えさせられ、跳甲機の中に押し込まれて現在に至る。
「とんでもないです! こちらこそペーペーですがお願いします」
『カッカッカッ、新鮮な反応で楽しくなってきました。ではブリーフィング……っと、その辺罠とかあるかもしれません』
「そういうの先に言ってくださいよ! でも警戒してましたし、一応大丈夫そうです」
暗視装置は人工物の少ない森の中で罠を見つけるのに役立つ。索敵で判別できる訳ではないが、跳甲機用の罠ぐらい進行中に注意していればそうそう引っかかるものではない。
『さすがですねぇ。では改めて。今回の依頼内容は賊の始末です。近場に立派なアジトを構えられて、町の企業や住人から不安の声が上がっているそうです。それで何とかして欲しいと』
「実害はどのくらい出ているんですか?」
『さぁ? そういったことは調べておりません。私達には関係のないことです。さて、このまま山間を進んでいけば、賊が拠点にしている砦にたどり着きます。敵が所有してる跳甲機は5機以上、ですが敵の駆人は2人だそうで、それ以外はデフォルトのAI制御です。確認された機体はDEC-1と“デイ”。ですから、デイは全てAI制御だと思っていただいていいでしょう。こんなのは高価な動くゴミに過ぎません、全機破壊してください』
“フォリッジ”社製、デイ。比較的安価の割に頑丈であることを売りにするも、跳躍機関が故障しやすいという欠点が広まり始めて使用者は激減した。現在はAI制御専用機として、さらに安価にすることで需要を取り戻した機体だ。正真正銘の跳甲機には間違いないが、訓練を積んだ駆人の相手が務まるとは思えない。秋山がゴミと評するのにも頷ける。
「了解です。それで作戦の具体的な流れはどうなってます?」
『全てクロさんにお任せします。以上ブリーフィング終わり』
「はい?」
『ですから、お任せします。終わりです』
「う……わかりました」
語気に若干の圧を感じ、止むを得ず通信を終えた。傭兵のブリーフィングはこれが普通なのだろうか、それともゼンツクだけが特殊なのか。情報はそれなりに貰ったわけだが、さすがに雑な気がする。まずは入団直後の初陣だ。操縦技能だけでなく、どう戦術を立てて動くのかとか、戦闘のセンスを見ている可能性はある。なんにせよ、絶対に失敗は避けなければならない。
圧倒的な緊張。体の様々なところから汗が噴きだしているのがわかった。
それにしても暑い。
軍の時に着ていた駆人服は要所を守るガードが付いていて、体に密着するものだった。今はその上に耐熱用のぶ厚いゴワゴワした服を重ねて着用している。機体も旧世代機なら駆人服も旧世代だ。クロはここでひとつ、あることに気がついた。
「前乗ってた機体と操縦の感触は全然違うのに、あんまり違和感ない……? というか、むしろこっちの方が動かしやすい」
『その機体、中身はシステムと合わせてそれなりの物を積んでいますよ。クロさんは軍の汎用機“VAL”に乗ってたわけですから、同じパラキート社製で操縦席は一緒ではないですか?』
そう言われて、操縦席周りを詳しく観察してみる。とはいえ、衝撃保護のために膝や股、肩などはきつく固定されているので首が回る範囲でしか見ることができない。現在の体制は椅子に座ったまま仰向けに寝そべっている状態に近い。跳甲機の胸部に人が入るためには、コンパクトにしなければ収まらないのである。
頭のすぐ上にある天井には、見やすいように角度を調節したメインモニターがあり、その周りには計器やボタンがびっしり並んでいる。肩がつきそうな左右の壁には全ての指にそれぞれ対応したトリガーのついたグリップ。足元にはいくつかのペダル、そして股の間には緊急脱出用のボタンがある。確かにVALの操縦席と全く同じだ。
それならば、かさ張る駆人服で圧迫されている分、こちらの方が操縦しづらいのが道理である。久しい操縦の割には感覚に馴染むので、錯覚しているだけかも知れない。
『その疑問にお答えいたしましょう』
「え?」
まるでクロの心中を見透かしているかのような頃合いで秋山が得意げに言った。
『クロさんが感じているであろう違いの原因、それはシステムです』
「システム、ですか……?」
『んー、ピンときませんか。仕方がないですねぇ、ご説明いたします。システムとは跳甲機の機能における一切を司るもの、およびそれらを構成する論理です。跳甲機を動かすためのあらゆることが記述されており、その記述のとおりにしか動かないわけです。と、言われて理解できる人は少ないですけどね』
「確かに。ですが、知人にシステム技師を目指していた人がいたので、ある程度のことは分かるつもりです」
『おおそうでしたか。システム技師という言葉をご存知でしたら話は早いです。実はその機体、組み込まれているシステムは既製品ではなくゼンツク独自のものとなっております』
「傭兵団でシステムを作ったんですか!?」
秋山が言ったようにシステムは跳甲機の機能が記されている。言うのは簡単だが、その量は膨大だ。企業が雇った何十人のシステム技師達が、数ヶ月もの期間をかけてやっと完成できると聞いている。そこまでしても、機体のテスト稼動と実戦投入の直後は大量に起こる障害の修正に追われるらしい。そのようなものをただの一傭兵団が自分たちの手で作り上げたことに驚きを隠せない。
『驚いていただけるとは、やはりシステムを理解いただいているようですね。……そんなんですよ。何を隠そう、そのシステムを組んだのがメイカ様です』
クロに2度目の衝撃が走った。どうやって完成させたのか、本当なのか。率直な疑問が浮かんだが、とりあえず一旦飲み込んだ。少なくとも、その才能の一部を現在身をもって体験している。それに、傭兵としてすぐに頭角を現したのも、常人離れした頭脳のなせる業なのだろう。
『どうです、メイカ様の凄さがおわかりいただけましたか?』
「はい、十分過ぎるほど」
ついでにメイカと秋山の関係性についても少しだけわかった気がする。親バカならぬ従者バカとでも言おうか。口に出せることではないので、すぐに心の奥底に沈めた。
『もうすぐ目標地点に到着です』
「あ……はい」
『また緊張してしまいましたか?』
「ちょっと色々思い出してしまって」
クロはいつの間にか緊張も解けて平常心に戻っていた。静かな歩行をしているせいか、聞こえてくる排熱機関の低い地鳴りのような音が跳甲機に乗った様々な記憶を思い起こさせる。学生時代、操縦の全てを体に叩き込んでくれた教官は元気だろうか。
『余裕ですねぇ』
「そんなことはないですけど、僕の場所はやっぱりここしかないのかなぁと」
『心の準備はできたということですか』
「そんな感じです」
『では、最後に武装の確認をしましょう。右手ライフル、左手索敵ランチャー、右肩部なし、左肩部大型ブレード、脚部横のサブ武器はハンドガンとナイフです。索敵ランチャーの使い方は大丈夫ですね?』
「はい、いつも撃ってましたから」
頭部にある索敵装置の小型版を弾として発射し、射撃軌道上の上空から一瞬だけ敵を捉えて位置や数を知る。主に索敵範囲外や索敵装置が反応しにくい屋内や入り組んだ場所で使用する兵器だ。
『ただ索敵ランチャーはコストが高いですからねぇ、一発で決めてください』
「了解です」
『クロさんは気の利く方ですので、節約して戦おうかな、などと思案していただいていることかと思いますが、どうぞお構いなく。余計なことは考えずに敵の殲滅をお願いしますね』
「アッハッハ……わかりました」
またしてもクロは思考を読まれた。この好々爺にはどこまでも驚かされる。もはや笑うしかない。
目標地点に到着したクロは機体を停止させた。この位置ならば、敵の拠点にいる跳甲機の索敵範囲には入らない。一方的に存在を知られているという最悪の事態も考えられなくはないが、そのときはそのときだ。今は相手の状況を把握する必要がある。クロは装備した索敵ランチャーを構えるように操作した。
木々の生い茂る山の頂上付近に建てられた砦は、来るものを拒むようにその門を堅く閉ざしている。賊のアジトにしては大規模で随分立派な構えだ。全体が見えているわけではないが、正面の塀は山の傾斜も相まってそれなりの高さである。中量のDEC-1ならばギリギリ越えられるだろう。
クロはモニターを見ながら索敵機の弾が飛んでいく軌道をイメージした。案の定、システムによる軌道予測の可視化はなされない。経験で補える過剰な機能は取っ払われているようだ。それぐらいであれば支障はない。
「それじゃあ、撃ちます」
クロ機が索敵ランチャーを放った。それと同時に役目の終わった索敵ランチャーを破棄し、砦に向かって走行を開始する。行動を起こしたことで存在がすぐにバレてしまう以上、ここからは音も何も気にする必要はない。抵抗される前に潰してしまうのが最良だ。発射された弾は思いどおりの軌道で砦深くの隅に飛んでいく。途中、数秒だけ敵機の反応を捉えた。
『反応あり、数2、距離400。これはおそらく常時起動、警備目的のAIですかねぇ』
2機相手ならば正面突破は容易い。AIならやり様はいくらでもある。
足場の悪い岩などを跳躍で回避しながら山の斜面をぐんぐんと登っていく。発射した索敵機は砦の奥まで探知できるように飛ばしたつもりだが、他に反応はない。騒がしく機体を動かしているので、そろそろ敵機は音でクロ機の位置を把握している。目の前に高くそびえる砦の外壁が迫った。
ここを飛び越えればいよいよ戦闘が始まる。跳躍のために踏み込んだペダルに思わず力がこもった。
「クロ・リース、いきますッ!」
クロ機は山を駆け上った勢いそのままに両脚を揃えて大跳躍。最小限の放物線で外壁を飛び越えた。