1−5−2「デートは楽しかった?」
成り行きであったとはいえ、大胆な行動をしたものである。落ち着いてからこれまでのことを省みて、エリスは内心で驚いた。
「んー、日替わり定食にしようかな。あと紅茶で。エリスは?」
「……え? じゃあ私も同じでお願いします」
メニューの書いてある方を眺めはしたものの、何にしようかなど一切考えていなかった。注文を聞いた無愛想な店主が返事もせずに調理を始める。少々汚れの目立つせせこましい店内に他の客は見当たらない。カウンター席に座って隣に目を向ければ、曖昧な表情のクロが店主の手さばきを食い入るように見つめていた。
何でこんな事に。
傭兵団朝霧の一員として日々雑用をこなしているエリスは、今日も諸用を片付けるために傭兵溜まりを歩き回っていた。その道中、荷車に食料らしきものを大量に積み込んでいる一団の横を通りがかった時、たまたまクロの姿を見つけてしまったのである。
仕事中で忙しそうなので、一旦様子を見るべきか。そのような当たり前の考えに至る間もなく、衝動的に声を掛けてしまった末の状況であった。
「呼び止めてしまってごめんなさい。また迷惑をかけてしまいました」
「大丈夫だって。皆送り出してくれたんだから、それを後でとやかく言われることはないよ。多分相方が頑張ってくれるだろうし、エリスが謝ることはないから」
エリスの謝罪に対し、クロは向き直ってから穏やかな声色で制した。
「というか僕、名乗った覚えはないんだけど。やっぱり?」
「はい、それはもう話題になってましたよ。もう2、3ヶ月前ですが、ゼンツクに強いのが入ったって、顔付きで。知名度で言えばそちらの団長さんと同じぐらいになったと思います。自覚ありますよね?」
「うん、でも団の人以外に直接聞いたことなかったから。そっか」
エリスが初めてこのことを知ったのは、道行く傭兵の雑談をたまたま耳にしたからであった。すれ違いざま、紙面からのぞくクロ・リースの名前とその顔が目に入った時の衝撃は記憶に新しい。
そのような事もあってか、軽率な行動を起こしてしまったのは、いくつか重なった偶然に特別な意味を見出してしまっているからだろう。あまり褒めらたことではない。自らの状態をそう分析したエリスはクロに対し、心理的な壁を一枚隔てることを意識していた。
「見られるのが嫌なら、変装でもしたらどうですか?」
「それは別にいいかな。ボス……えっとウチの団長もそうらしいんだけど、どうにも舐められやすくてね。傭兵溜まりに出てきて変なのに絡まれるぐらいなら、遠巻きに睨まれてる方がいいのかなって」
そう言ってからクロは小さく笑った。エリスも釣られてひとつ息を吐く。
色あせてはいない、あの時のままだ。
クロと出会ったのは3ヶ月以上前。最初見た時傭兵かどうか判断しかねたのは、何も見ず知らずの人間を助ける行動を取ったからではない。負の終着点ともいえる傭兵溜まりに希望をも感じさせる瞳の輝きを宿したクロは、エリスから見てあまりにも異質な存在として映った。そこから恐らく3つ4つの戦場には赴いているはずだ。クロの実力であれば、何人も殺しているだろう。それにも関わらず、この微笑んだ双眼は何一つ変わることなく澄み渡っている。
「あの、図々しいことは承知してますが、相談に乗ってもらえませんか?」
「僕に? わかった、いいよ」
「実は……今度跳甲機に乗ることになりました」
「ホントに! 良かったね。このチャンスをものにすれば、晴れて駆人デビューって感じなのかな」
「そんなところです。なので技術的なことはともかくとして、心構えなどを教えてもらえますか?」
朝霧はエリスを含めて6人しかいない小さな傭兵団だ。最近2人しかいない駆人の1人が怪我をして機体に乗れなくなってしまい、整備士などの大きな役割を担っていない才能未知数のエリスに白羽の矢が立ったのである。
「団の人達には聞かなかったの?」
「勿論聞きました。ですがなんというか、皆の答えは飄々としていて、まだ覚悟もろくに整ってない私にはいまいちピンときませんでした」
「うーん……なるほど。じゃあ僕のもその人達と同じようなもんかもね。“よく食べて体を鍛え、そしてよく眠ってください”」
クロは途中で声色を変えて、誰かの真似をしているかのように言った。
「はい?」
「心構えっていうか、気の持ちようは昔から言われているんだけど、とても難しい問題なんだ。例えば、統治組織直属の駆人がいたとします。彼はシミュレーションでいつもトップの成績を出していました。ただし実戦経験はありません。そんな彼は初めて防衛戦に出撃しましたが、大した戦果も出せずに呆気なく死んでしまいました。さて、どうしてだと思う?」
「初めてで緊張して操縦が覚束なかったから、ですか」
「うん、それが正解かもしれない。でも実は精神状態良好だったけど足が攣ったとか、システムが急にバグったとか、あまつさえ流れ弾1発が致命傷になったとか、そういうこともあり得るよね」
「……はい」
一応相槌は打ってみたが、この返答が何を意図しているのかわからない。話が逸れてしまったのではないだろうか。とはいえ、エリスは傭兵歴の長い周りの達観した意見ばかりを聞いてきたので、クロの話はとても新鮮さを覚える。
「これもいまいちだったかな? ごめんごめん。要はね、戦場で数回は生き残れた僕でも、これから初めて跳甲機に乗るエリスでも、落ちる時は落ちるってこと。だから覚悟を決めてようがいまいが不安だし緊張もする。動揺や迷いだったら何とかできることもあるけど、不安を薄めるにはとにかく慣れるしかない。こればっかりは出てみないとわからないから。そんなことは考えるな、っていう旨を団の人達は言っていたんだと思うよ」
エリスは団員達の主張を振り返る。その解釈を挟めば、クロの言ったとおりな気がしなくもない。クロの助言である飯食って寝ろも同じことだ。
「僕個人としての意見だけど、戦場では必ずと言っていいほどどこかでネガティブな思考に囚われてしまう。だけどそこで絶対に生き残ってやろう、失敗したからその分を取り戻そうとは考えない方がいいと思うな。なかなか難しいけどね。ただ流されるままに戦えたら最高だよ。……だから殺意が足りてないとか言われるけど」
「殺意?」
「ああ、こっちの話だから気にしないで。あと、流石にエリス一人では出撃しないよね? だったら共闘する人を頼るといい。任せるんじゃなくて頼る。操縦センスが絶望的とかじゃあなければ、大抵これくらいでなんとかなるよ。負けても死ぬとは限らないしね。偉そうに長々とごめん」
「いえ、とても参考になりました。相談して正解でした」
「なら良かった」
そうして早めの昼食を食べ、激闘の末にクロが食事の代金を支払って店を出た。クロとの会話で色々と思うところがあり、あれこれ考えていたので、定食の味はあまり思い出せないが、とりあえず食後に飲んだ紅茶は美味しかった。傭兵溜まりの細い路地、二人は店の軒先で向かい合う。
「ご馳走様でした。次は助けてもらった件と今回相談に乗ってもらった件、2つのお礼を兼ねますから、大人しく奢られてください」
「んー、場合によるかも」
「本気で言ってます?」
「……了解しました」
「では、またお願いします」
「それじゃあ、気をつけてね」
クロの潔い返事を聞いて、エリスは軽く手を上げてから反対に歩き始めた。路地を出る時に店の方を見るも、既にクロの姿はなかった。慌てて仕事に戻ったのだろうか、もしそうなら本当に申し訳ないことをしたものである。何度も反省したことをもう一度心に留めてから、通りをゆっくりと進みだした。
気をつけてね。
別れ際に見せたクロの不安げな表情が、エリスの封印している襲われた時の光景を呼び起こす。初めの頃は気分が悪くなることもあったが、今はそうでもない。しかし冷たい感触を得て、エリスはいつの間にか背中に忍ばせてある拳銃に手が伸びていたことに気づいた。丁度前から歩いてきた男がエリスの不審な動きに注意しながら、怪訝そうに横を過ぎ去っていく。男が見ているとわかった時には拳銃のグリップを握り、セーフティを滑らせていた。
無関係の人間であっても、危害を加えてくるかもしれない。運が良いのか悪いのか、そのことを知らなかったエリスは拳銃の携帯を拒否していたが、一度味わった劇的な体験はいとも容易く人の倫理を捻じ曲げる。エリスが西の大征伐を生き延びてから1年と少し、もう拳銃を持つことに違和感はなかった。
人肌とは相容れぬ冷たさを備えた武器は、同じく人殺しのために作られた跳甲機に通じるものがある。もうすぐそれにも乗らなくてはならない。そういえば、クロもエリスが駆人になるのをまるで自分のことのように喜んでくれた。
だけど、跳甲機だけはどうにもダメだ。
エリスはデレクタブルで次女として生まれ、能動的で責任感のある父と優しい母に愛されて何不自由なく育った。10歳から下の学校を6年掛けて卒業し、漠然とした夢を抱えながら父の勧めで次の学校に進んだ。このままの流れで就職して結婚、姉と同じようにずっとこの町で生きていくものと思っていた。しかし、そんな平穏はあっさりと終わってしまう。
ある日の午後、エリスは聞きなれぬ避難勧告を受けて、母と二人で公共のシェルターに逃げ込んだ。町中でパニックを起こした群衆を見ていただけに、シェルターにいた人々の落ち着き様を見て安心したのを覚えている。母に体を包まれて、時折遠く聞こえる轟音に怯えながら、この状況が終わるのをただひたすらに待った。
どれだけ時間が経った頃だろうか、今までにない大きな音にびくりとして頭を上げた。天井の一部が崩れた刹那、その下にいた数人が形状を変えて周りの人々をひどく汚した。続いて聞こえる大絶叫に耳がおかしくなりそうだった。それと同じくして、皆が目の色を変えてシェルターの出入り口に走り出していた。呆然とするエリスも母の手に引かれて外に連れ出された。入ってきた時とは違う変わり果てた街並みを見て、当時は別の所に来てしまったと思った。
別の避難所では大量の車両が集められて、人々を詰め込み次第どこかに送り出していた。少しでも早く逃れさせようと、母はエリスを一つ前の車両に乗せた。それが生死の分かれ道であった。母を心配するエリスはひらけた後部から後ろを追ってくる車両をずっと注視していた。もうすぐで町を出られる、そう思った時、母の乗る車両を何かが貫通した。車両はふらふらと失速していき、やがて横転して爆散した。あまりに突然の事態に感情が追いつかない。エリスは無意識に何かが飛んできたであろう方向を向いていた。
交差点の奥、町の景観に馴染まない深緑の塊が大きな得物の銃口を覗かせて立っていた。標的を見据える単眼が動き、エリスを捉えた。それは跳甲機だった。母を失った悲しみよりも先に来る戦慄。エリスはここで意識を失った。
鮮烈に焼きついたあの光景が忘れられない。今では跳甲機の全体像が視界に入るたびに心臓が跳ね回る。
これだけは、誰にも言えない。
ふと気がつくと、いつの間にか倉庫街の一角である通りを歩いて来ていた。帰るべき家はもうすぐそこだ。
「お頭、只今戻りました」
「あ? おう、お疲れ」
エリスは近くにいた中年の男、朝霧の団長であるウッズに告げた。玄関の横にあるガレージの搬入口を全開にし、ぼろっちいロングチェアとサイドテーブルを展開してくつろいでいる。テーブルの上には種類の違う酒瓶が3本も空けられていた。その怠惰な有様に思わず眉をひそめる。
「また昼間からですか」
「うるせぇよ、んなもん俺の勝手だろ。やりてーことをやらねぇ奴はただのバカだ。……で、お前遅かったな」
「それは——」
「ようエリス! 魔女の駆人とデートは楽しかった?」
エリスを遮って、ガレージの暗がりから歩いてきたウドがニヤニヤして言った。布で吊られた左腕が何とも痛々しいが、本人はいつもどおり騒がしさである。
「なんだよ。お前も楽しんでたんじゃねぇか」
「会ったことは否定しませんが、デートではないです」
「俺らがせっせと働いてる間に男とランチとは優雅なもんだ。エリスも面の皮が厚くなったなぁ」
「ウドさんは何もできないから食べて寝てるだけじゃないですか」
「違いねぇ」
「あ、朝霧エースの俺にとって今は食って寝て早くこの腕を治すことが仕事だ!」
「開き直りましたね。それよりあの、“魔女”とはもしかして……」
「エリスは知らないのか。だけど察しはつくよな、ゼンツクの団長だよ。俺らみたいに細々とやってる傭兵にとっちゃ、本当に不思議な力が使えるとしか思えない。何よりもあの若さで悪逆そうな面してるのがいかにも魔女らしいって、割と真面目にそう呼ばれているんだ」
「ったく、相変わらずくだらねぇな。んなもん合うかどうかだろ。ゼンツクのはたまたまあの歳で天職を見つけちまったんだ。本物の才能ってやつはどんなに経験の差があったとしても関係ねぇ。一瞬で埋められちまうもんよ。それと同じで、傭兵に馴染みゃあ顔つきも変わる。羨ましいことじゃあねぇか」
「そういうもんかなぁ。エリスにも駆人としての才能ってやつがあるといいな。こんな風になっちまう俺にはなかったみたいだし」
ウドは左肩の方を前に突き出し、右手で怪我した部分を指しておどけてみせた。その変顔がツボに入ってウッズとエリスは笑わされてしまう。
西の大征伐から逃れ、エリスが意識を取り戻したのは見知らぬ町であった。ベッドの上などではなく、往来の片隅の壁により掛かった状態だった。頼るべき母を亡くして金も食料もない。途方にくれたエリスは同じような境遇にある人間を探し、生活を真似るところから始めた。より良く生きていくために人を変え場所を変え、とにかく生きることに必死だった。ウッズとウドが傭兵溜まりの路地で眠るエリスを見つけて声をかけたのは、そんな折であった。
「……だがまぁ、別になくてもよくなっちまったな」
「だな。今更だけど、無理を言ったのに引き受けてありがとうエリス」
急にトーンの変わったウッズに同調するウド。二人が何を言っているのかわからない。ぼんやりとするエリスをよそに、ウッズはおもむろに語り始めた。
「少し前、助けてもらったのがゼンツクの駆人だったって、お前珍しく興奮して話しただろ。あん時俺たちはチャンスだと思ったわけだ。ゼンツクにつてができりゃあお前をそっちにやれるかもしれねぇってな。……正直、ここ見てーな所じゃお前は手に余る。一人で外に出しても帰りが遅けりゃ気になっちまう。整備はまだまだ下手くそで重いもんも持てねぇときた。んなお前にだって一応金を出さなきゃならねぇ貧乏な俺の気持ちになってみろよ。勧められんのが優良組織だってんならお前だって文句ねぇだろ」
「町で育ったエリスには学があるから、魔女だって認めてくれるはずだよ。本来なら前の段階でこの事を言おうと思ったけど、ゼンツクは逆に悪い話もよく聞くし、その時は結局やめたんだ」
「だが、お前がそこの駆人とよろしくやってんなら心配ねぇな」
今まで考えもしなかった選択肢だった。しかし二人の話を聞いて、その選択肢がエリスの中で現実味のあるものとして想像できる。ゼンツクに入れば、組織の存亡のためだからといって駆人になることもないだろう。そもそも存亡の危機に陥る可能性も低いように思える。見ているだけで気が滅入る跳甲機に関わる仕事なのは引き続き。あと強いていえば、クロ・リースという人物をより身近で感じられるようになる。
組織が安定しているというのは確かに魅力的だが、最後のはどうなのだ。そこでエリスはハッとして顔を上げた。目の前にはしてやったりと言わんばかりの顔で互いを讃えるウッズとウドがいた。二人は視線に気づくと、そのままの顔でエリスの方を見る。またしてもエリスは笑わされてしまった。
移籍促されて二人の顔を見ていたら、朝霧に来てからの出来事が胸いっぱいに思い出される。今のエリスがあるのはウッズとウド、そして朝霧のおかけだ。
「嫌ならこれまでどおりだ、この話は忘れてくれ。手に余るなんて言ったけど、別にエリスをほっぽり出したいわけじゃないのはわかるよな?」
「で、お前はどうしてーんだ? 俺らは親でもなんでもねぇからな。お前のしてーことに口を挟むつもりはねぇ」
二人は普段の顔つきで改めてエリスに問う。
「私は——」




