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狐の嫁入り

作者: 管野緑茶

 

 ある雨の日。

 男は煙管をふかす不思議な男と出会う。

 その出会いは、偶然か、必然か。



しゃらんしゃらんと雨が降り注ぐ田舎道を、山菜の入った籠を背負って急ぐ男がいた。色褪せた着物に股引きを着込み、頭には日々流した汗で薄く黄ばんだ手拭いを巻いているといった、如何にも百姓の身なりである。

 雨を凌ぐ笠も簑も持ち合わせていないのか、籠の紐が食い込む肩を濡らしながら、どこか雨宿りが出来るところはないものかと辺りを見回しながら走っていた。

「最近は天気が変わりやすくていけねぇや」

 男はぼやくが相手もいないのでもちろん返事などない。返ってくるのは雨が弾ける音と道の端の草むらに身を隠しているであろう蛙の鳴き声くらいだった。


 暫く人ッ子一人いない道を走っていくと、緑が繁った丘に立派な楠が一本立っているのが目に入った。

「おお、ありがてえ」

 男は雨で冷えきった手を擦りながら、その楠の下までもう一っ走りしていった。

 楠が立っている丘を上っていくと、すでに楠の下で雨宿りしている先客がいた。地面に座り込んで煙管キセルをふかしている。

 この急な雨ならば先客がいてもおかしくはあるまい。ちょうどいい話し相手になる、と思いつつ男は楠の下に入り込んだ。

「やれやれ。参った参った。急に降ってきやがって」

 肩に食い込んでいた籠を下ろし、男は溜め息をつきながら言った。

「お互い災難だなァ」

 すると煙管の男もかっかっと笑って言った。

 その男を見てみると、身につけている着物は不自然なほど黒ずくめだった。座り込んだ隣には旅商人がもつような大きな荷がどかんと置いてあり、履いている下駄の歯は随分と磨り減っていた。雨空を見上げる横顔は、かなり若いようだ。

 遠くからきた商人だろうか。しかし何だって商人がこんな田舎にくるだろうか。何だか風変わりなお人だ、と男が思っていると、煙管の男がくるりとこちらを振り向いた。

「あんた、ここらの人か」

「ん? ああ、そうだ。ここからもう少し行ったところに小さな村があってな。そこのもんだ」

 まじまじ見入っていたところに急に振り向かれて驚きつつも、男は雨に濡れた着物の裾を絞るのに忙しいふりをしながら答えた。

「俺は佐平さへいってんだ。お前さんは? どっから来たんだい。旅の途中に見えるが……」

 男、佐平がそう尋ねると、煙管の男は少し困ったという風に首を傾けた。

「俺か? 俺は……鬼龍きりゅう阿近あこんってんだ。あんたの言う通り、諸国をぶらついてる流れもんさ」

「アコン? 変わった名前だねぇ。坊さんか何かかい?」

「そんな高尚なもんじゃねェさ。まあ、似たようなことはしてるッちゃあしてるが……坊さんが線香以外の煙に巻かれちゃならんだろ」

 阿近はにやりと口の端を吊り上げて笑った。

「ちげぇねぇ」

 つられて佐平もからからと笑った。

 確かに、阿近という男は僧侶には見えなかった。会ったばかりでそう感じるのもおかしなことかも知れないが、何か掴み所のなさそうな空気を漂わせていた。その目付きも、どこか獣じみている。

 もしかすると異人なのだろうか、と考えながら佐平は白い空を見つめた。

「しっかし、やみゃあしねェな。だらだら降りやがって」

 煙管を燻らせながら阿近が不満そうに呟いた。

「ああ。ここんとこはずっとこうだ」

「ずっと?」

 阿近が訝しげな顔で佐平を見上げた。

「そうさ。朝は景気よく晴れてると思やぁ、昼にはこれだ。急に降ってきやがって、月さんが顔出すまで長いこと降るんだ。月が出る頃にゃあ夢かっつうくらい、からっと晴れんだがね」

全く、畑仕事してるもんにゃあ迷惑な話だよ、と佐平は笑ってみせた。しかし、阿近はすでにこちらを見ていなかった。

 阿近は立ち上がって空を見上げていた。煙管を咥えたまま、睨むようにしてみていた。

佐平もそれにならって雨の降る空を見つめた。

「……なんかあんのかい」

「いやなァ……佐平さんよ、最近空で妙なもん見ねェか」

「妙なもん?」

「その変な雨が降り出した頃から、空で何か変わったことがあるだろう」

空から視線を移し、阿近の鋭い目が佐平を見つめる。黒髪から覗くその目は、見間違いかもしれないが、赤みがかっていた。

佐平はその目に気圧されながらも、「そうさなぁ」と腕を組んで考え込んだ。そうすると、ぽんとあることを思い出した。

「ああ。そういやぁ最近、雨が降ってるってのに日が差すことがよくあるな!」

「日が……」

「夕方くらいになるとな、さあっと雲がなくなって黄色い夕日がでてくんのよ。けれども雨は変わらず降ってんのさ。雨が夕日でちらちら光ってんのは綺麗だが、どうも不気味でね」

佐平が身振り手振りでそう語ると、阿近は再び雨空に目を戻した。

そして呟くような静かな声で言った。

「そりゃあ……“狐の嫁入り”だな」

「きつねのよめいり?」

聞きなれない単語に佐平は首を傾げた。

その様子に阿近は若干眉根を寄せつつ語った。

「天気雨のことさ。晴れてるとこに雨が降るっていう」

「はあ」

「それが起こる原因は諸説あるが、まあ大抵は、狐が嫁入りする時に人に見られないように、目くらましに天気雨を降らせてんだよ」

「へえ!?」

阿近の話に、佐平は目を真ん丸くした。

「じゃあ、ここらで最近狐どもが祝言あげたってのかい」

そりゃ、めでたいんだか恐ろしいんだか。世の中不思議なこともあるもんだ。まあ狐のすることだからそういうもんか、と佐平が一人納得していると、阿近が余計に顔をしかめて言った。

「いや。それがおかしいんだよ」

「へえ? どうおかしいんだい」

俄然狐の嫁入りとやらに興味がわいて来た佐平は身を乗り出した。

一方、阿近は顎に手を添えて難しい顔をする。

「普通、狐の嫁入りが起きんのは一回こっきしだ。そう何日も続くもんじゃねェ。それに、晴れているところへ雨が降るもんなんだ。雲が消えて日が差すなんざ……」

阿近はそれきり黙り込んでしまった。眉間に皺を寄せて、

何か思いを巡らせているらしい。

その横顔を見つめながら、佐平はこの男が何故そんな摩訶不思議なことを知っているのだろうかと考えた。雰囲気といい身なりといい、ただの旅人には見えない。

そういえば、さっき「坊さんと似たことをしている」と言っていた。それの関わりで狐の嫁入りとやらを知っていたのか。そうは言っても「坊さんと似たこと」とは何であろうか。

「なあ、佐平さん」

佐平があれこれ考えていると、考えにまとまりがついたのか、阿近が静かに尋ねてきた。

「ん、あ? 何だい?」

「さっき、あんたが住んでる村はここからすぐ近くだと言っていたな」

「ああ。それがどうかしたのかい」

「もしかしてその村に狐を狩る習慣があるか?」

阿近の問いに、佐平はなぜそんなことを、と首をかしげつつも、「ああ」と言って頷いた。

「俺はしねぇが、村の年寄りたちがたまに山に行っちゃあ狩ってるな」

その答えに、阿近が少しだけ、目を見開いた気がした。

「……それは、食ったり毛皮にしたり……生活のためにしていることなのか」

「いやぁ、ただ狩ってるだけよ。なんでも娯楽にぴったりなんだとさ。ついこの間も、雄の狐を一匹狩ったらしい。俺は狐を狩るなんて、そんな気味の悪いことしたくないがね」

化かされちゃあかなわねぇからな、と佐平は笑った。

「………」

佐平の言葉に阿近の目がきゅうと細まった。顔がすうっと暗くなったように、佐平には見えた。

「ど、どうかしたのかい?」

急に雲行きが怪しくなったその顔に何となく寒気を感じ、佐平は問うた。

阿近は影の落ちた表情を変えぬまま、静かに、低く、言った。

「残念だが、もう手遅れみてェだな」

「は? 手遅れ?」

一体何が手遅れなんだ。突拍子のない言葉に佐平は首をひねった。

楠の薄暗い影の中でより顔を陰らせながら、阿近ははっきりと言った。

「その年寄りが狩ってきたっていう雄狐、恐らく今天気雨を降らせている狐の旦那だ」

「え……」

予想していなかった答えに、思わず声が漏れた。

同時に、意味も分からず背筋が冷えた。

「さっきも言った通り、狐の嫁入りってのは何日も続くもんじゃねェ。嫁入りが済んだのと同時に止むもんだ」

その寒気を助長するような顔と声で、阿近は続ける。

「が、あんたの話じゃあいつまでも続いているという。それは、嫁入りが無事に済まなかったってことだ。……たとえば、嫁ぎ先の旦那が死んじまったとかな」

「………」

佐平は言葉を失った。急な話についていけないというのもあったが、自分が狐を狩ったわけでもないのに、何かとんでもなく不味いことをしてしまったのではないだろうかと感じていた。狐を蔑ろにするとひどい目にあうというのは、昔から言い伝えられていることだ。

「今起こってる天気雨は、嫁にいくはずだった狐の涙雨だ。旦那殺された怨みに泣いてんだろう。狐の嫁入りと似ているが、全く違うもんだ」

目頭を押さえ、阿近は短く溜め息をついた。

「そりゃあ……その狐の涙雨ってのは、いつになったら終わるんだい?」

佐平は恐る恐る尋ねた。

阿近は、ゆっくりと首を横に振った。

「わからんな。俺が思うに、もう何をやっても無駄だろう。生きてくために狩ったならまだしも、ただの娯楽で命を奪ったとなるとな。怨みは相当深いだろう」

愚かなことをしたもんだ、と苦く口の端が吊り上がった。

信じがたい話に、佐平の顔はへらりと歪んだ。

「……いやいや! 冗談だろう? 狐が嫁だ旦那だって、そんな話聞いたことがねぇよ」

たまたま通りかかった旅人が、話題作りに上手い偽りごとを言っただけに違いない。佐平はそう思い笑った。

「………」

しかし、阿近は口を閉じてじっと佐平を見つめていた。

その目は、冗談をいう人間のものではなかった。

その目を見たとき、佐平は己がひどく愚かなことを口走ったと分かった。

考えてみると、たまたま通りかかっただけの旅人が、村に狐を狩る習慣があることを見当づけてまで冗談を言えるはずもなかった。

阿近はふんと鼻から息を吐くと、固まった佐平から視線を外した。そして横に置いてあった荷をよっこいせと背負った。

「狐の怨みは怖ェぞ」

それだけ言い、再び煙管をふかしながら丘を下りようとした。

佐平はそれを慌てて呼び止めた。

「おい、待ってくれ! 何しても無駄ってどういうこった!? 何が起こるってんだ! それに、さっき手遅れとも……」

佐平が声高く叫ぶのに、阿近がさっと振り返った。そして、まっすぐに佐平を見据えて言った。

「……近いうちに、あんたの村は大洪水に襲われる」

「大洪水……!?」

佐平は背筋を震わせた。

「狐の涙雨によってすぐ傍の川の水が増えて、あっという間に村は飲み込まれちまうだろう」

阿近は細く煙を吐いた。

「狐ってのは一度恨怨むとなかなか許しちゃくれねェからな。何をやっても無駄ってのはそういうこった」

「……そんな、そんなことがあり得るのか? たった狐一匹で……」

とても信じられない、と佐平は俯いた。しかし、やはり目の前の男が冗談を言っているようには思えなかった。

黙り込む佐平に、阿近が心の読めない平たい声色で問うてきた。

「あんた、家族はいるのか」

「……妻と、子供が二人」

佐平は短く茂った雑草を見つめながら答えた。

「そうか。なら、そいつら連れてさっさと逃げな。阿呆の爺どもと心中してやる義理はねェだろう」

肩を竦めるようにして、何でもないことのように阿近は言った。

阿近の突き放すような言い草に、佐平は顔を上げて食い下がった。

「お前さん、そんなこと知ってるってことは、祓い屋か何かなんだろう? どうにかできねぇのかい!」

生活していくのもやっとなこの時世、簡単に住み慣れた家を手放すわけにはいかなかった。

しかし、佐平がそう助けを求めると、もとから鋭かった目をより吊り上げて、冷たく言い放たれた。

「確かに俺はそういう職の人間だ。だけどな、餓鬼でもわかるような間違いを犯した他人の尻拭いしてやるほど、お人好しじゃあねェんだよ。頼む相手間違ってんぞ、あんた」

そう言い捨てると、阿近は今度こそ背を向けて楠の下から出ていった。

佐平は去っていく阿近を追いかけようと一歩前へ踏み出した。

その時――。急にごうと大きく風が吹いた。

身体の芯まで冷えそうな風が、佐平をぶるりと震わせた。

頭の上に茂った楠の葉がざわざわと揺れ、雨雲が走るように流れていくのが見えた。

そして、佐平が空を見上げたのと同時に、黄金色の光が滝のように降り注いだ。埃を拭い取ったかのように雲が消え失せ、辺りが明るくなる。

その光の中で、振り続ける雨が金の粒のように輝いた。

その輝きに、不気味さに、佐平は息をのんだ。

「ああ、こりゃあ……相当いかれちまってんな」

金の粒を頬に受けながら、阿近が静かに呟いた。

本当に、嫁入りに行けなかった狐が泣いているのだろうか。旦那を殺されたことを怨んで泣いているのだろうか。俺たちを呪おうとしているのだろうか。佐平はそう考えながら、雲が裂けた空を仰いだ。

阿近もしばらく金の降り注ぐ空を見つめていたが、小さく何かを呟くと、「よいせ」と荷を背負いなおした。

「そいじゃ行きますかねェ」

荷に結び付けてあった笠を被り、顎紐をしっかりと結ぶと、ざくざくと雑草を踏みしめていく。

その後姿を見つめながら、佐平はもう一度口を開いた。

「なあ、阿近さん」

佐平の呼びかけに、阿近はまた足を止めた。しかし、もう振り向きはしなかった。

佐平は溜め息をつくようにして言った。

「お前さんの話、本当の本当なんだな」

出会ったばかりの男にあんな突拍子のない話をされても、やはり、信じきれなかった。しかし、ここでこの男が、はっきりと頷いたなら、信じてみようと佐平は思った。

だが、阿近は肩を竦めて見せた。

「信じるか信じねェかは、あんたの勝手だろ。ただ、俺は、あんたには逃げておいてほしいと思うがな」

自分のことくらい自分で決めろ、というように、阿近は言い捨てた。黒い髪から、金色のしずくが垂れていた。

佐平は、何も言えなかった。

「そいじゃあな」

背を向けたまま手をひらりと適当に振ると、金の雨が降るなかを、阿近は歩いて行った。

佐平は、まるで狐に化かされたかのような気持ちになって、去って行く阿近を黙って見送った。

黄金色に満ちた田舎道を、黒い装束の男がゆるりと歩いて行くのを見送った。



むかし、ある山奥の小さな村で、大きな洪水が起こった。十日以上続いた大洪水は、小さな村を飲み込み、家を、畑を、人を、全てを流して行くような勢いであった。

この大洪水に、村の一人の若い男が、「これは狐の祟りに違いない」と言い回った。嫁狐が婿を殺された怨みを晴らそうとしているのだと言ってきかなかった。しかし、村の者は男の話に耳をかさず、村で祭っている水神様のお怒りに触れたのだと言い騒いだ。

水神様に怒りをしずめていただくがため、村人の中から幾人かの生贄を出そうという話になった。村の年寄りたちが話し合った末、狐の祟りだと言い回った男の妻と子供二人を生贄にすることにしてしまった。そして、男が止めるのも聞かず、村人たちは妻と子供を濁流の中に突き落としてしまった。

生贄を捧げたためか、この世の終わりのようにうねっていた大洪水は、ぱったりと止まった。

しかし、どういうことか。洪水のあとに生き残った村人は、なんと一人もいなかった。

村の年寄りたちも、生贄を捧げた村人たちも、そしてかの男も、全ての村人が死に絶えたという。

不思議なことに、水に飲まれることなく死んだ村人の身体には、何かに掻っ切られたような大きな傷があったという。狐の祟りだと言い回った男は、首と胴が切り離された姿で転がっていたとな。

おお、なんと恐ろしい昔話か。男の言ったことがまことであったなら、狐とはなんと怨み深きものであろうか。お前さんも、狐にはよくよく用心しなされ。

おや。なぜ死に絶えたはずの村の昔話を知っているんだって?

世の中には、知らないほうがいいこともあるってもんだ。

この話、信じるか信じねェかは、あんたの勝手だぜ。



 


 ご精読、ありがとうございました。

 再びあやかしものでした。妖怪っていいな~。

 実はある作品と関連付けてみました。無理やり。



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