オタクな先輩が落とせない?
大野要は大学で友人と談笑していた。友人は最近、甥っ子が三才になり反抗期なことを愚痴っているが、顔は嬉しそうだ。
「……それで『遊ばない!』 とか言うくせに、苺を見たら目を輝かせてな。食べるかって聞くと『ありがと!』 って食べるんだよ。まったくしょうがねえよなあ」
甥っ子が生まれた時、母親――友人の姉は産後の肥立ちが思わしくなく、しばらく病院のお世話になっていた。一番暇なのはお前だよな、と周りに言われ、その間は甥を夏休み中の友人が主に面倒をみた。大変だったが、おしめの世話までした甥っ子は、可愛い。そんな友人が微笑ましく、要が軽口を言う。
「でも三才でそれなら、中学生とかの年頃になったら『貰ってあげてもいいからな!』 とか可愛くなくなるんだろうなー。今のうちに堪能しとけよ?」
友人はそれを聞いてふと神妙な顔になった後、言った。
「いや、そこは『子供じゃないからもういらない』 とかじゃね? 何だその萌えアニメみたいなキャラ……」
要の顔が凍ったのを見て、友人は「あ、昨日深夜アニメでも見たか? そうなんだろ?」 とフォローをする。要は余計に切ない気持ちにさせられたが、影響先ははっきり分かっているので訂正することにした。
「いや、彼女の影響だ」
「彼女? ああ、小松崎……千江美とかいったっけ? オタクなのか?」
「まあ……」
「今時のアニメってクオリティ高いもんな! 昔のアニメだって復刻版とか出てるし、良い時代だよなー」
余計なことを言わず気を遣ってフォローする友人に感謝しながら、要は大学をあとにする。今日はその小松崎千江美とデートの日だ。バイト先で知り合った彼女は漫画やアニメが好きな人だった。そういう人種が珍しく、興味本位で手を出している最中である。
彼女、とは言ったが、交際宣言はした覚えがない。けれど男女二人で何回も遊びに行って「付き合ってません」 は通用しないだろう。だから彼女でいい、はずだ……。
たとえデート場所がアニメショップめぐりであったり、千江美がオンラインゲームの嫁キャラだか婿キャラだかを「私の嫁!」 と愛でていたり、たまのオタク以外の会話が職場の連絡事項だったりしようとも。
デートの待ち合わせ場所である本屋でさっそく度肝を抜かれる。立ち読みしている彼女に話しかけようとして背筋が凍った。彼女が手にしていた本。『今日から書けるBL☆ ~貴方もランキング常連に!~』
「あ、要くん。……ん? これ?」
視線に気づいた千江美が話しかけるも、俺が凍り付いているのを見てどう思ったのか、特に動揺することなく話を続ける。
「うーん嫁関連でよく見るからちょっと読んでみたんだけど、まあわざわざ読むことはなかったかも。大丈夫、買わないよ、すぐ行ける」
「そ、そうなんですか。ところで……」
「え? 何?」
「……いや、何でもないです……」
言えなかった。「どこまでそのジャンルを知っている?」
その一言がどうしても言えずに……ちょっと泣いた。
普段そんなそぶり見せないし、ちょっと興味本位で読んでみただけだよな? と思うことにする。世の中には知りたくない世界というものが存在するのだ。
本屋を出たら定番のアニメショップめぐりだ。最近流行のオンゲの婿キャラの等身大抱き枕(水洗いOK)を買って移動する図はシュールである。いくら包装されてるからとはいえ。
「あの、私の買い物なんだから私が持つよ?」
「大きい荷物だし、俺が持ちます。その方が確実ですよ。身長低めの千江美さんじゃ引きずってしまいます。……大事な人、なんでしょう?」
「要くん、ありがとう」
好感度をあげる作戦でもあるが、周りの視線が痛いというのもある。彼女のほうに重いのを持たせるのかと。まあ、理由はそれだけでもないが。
喫茶店は唯一デートらしいデートが出来る場所だ。しかし大きな荷物(抱き枕)があるために四人用の席に座らざるを得ないのは少し心苦しい。……早く車を買いたい。
「今日は要くんがいて助かったよ。なっちん(嫁キャラ♂)は大きいから」
「ハハハ。でも大変ならネットで買ったほうが楽だと思いますよ」
「そんなのダメよ! こういうのは苦労して買わないと意味がないの! それに私、なっちんクラスタの中でもちょっとした人なんだもん。そんな真似は出来ないから」
その言葉に、要は真面目な顔をして押し黙る。彼女がそう自称できる理由があることはよく分かっていた。
「まさか千江美さんがまとめスレに記事があるだけの人とは思いませんでした」
「あ、あれ見たの? ちょっと恥ずかしいかも」
「なっちん誕生日記事で部屋中をなっちん一色にデコレートした写真がいい晒しも……大変なご評判で」
「これだけの愛を与えられるキャラだと多くの人に分かってもらえたと思うの」
皮肉を承知で答えているのだろうか。どっちにも取れるからちょっとうざい。ともあれこの答えで微妙な空気にならないで済んだ。落とそうとしているのに嫌われるなどもってのほかだ。慌てて褒めどころを探す。
「でも千江美さんがケーキを作れたなんて。キャラ弁ならぬキャラケーキって凄いですよね。食べてみたいな」
「え? あれ見た目重視で作ったから普通にまずかったよ? ケーキ食べたいならお店で買ったら?」
要は地味に切れそうになった。それが二十代半ばで初めて出来た恋人に取る態度か。普通なら慌てて母親に作らせたりして恋人を逃がさないようにするところだろ! 振る理由も出来てこっちも美味しいのに。
そんな要の考えは地味に今までの女性遍歴が反映されていたが、ツッコミはいない。
当の千江美は要の顔が曇ったのを見て、失礼なことを言ったと自覚し、さすがに自己嫌悪で落ち込んだ。
「あ、ごめん。でも本当に美味しい料理とかは得意じゃなくて」
「い、いえ。俺も無神経でしたよね」
「……ねえ、何で要くんは私といるの? 私って何かいいとこある?」
ギクリ。そんな擬音が出てきそうな質問だった。何故一緒にいるか。
職場に自分に夢中な人間がいれば、色々楽になりそうだったし。千江美は人が良さそう、に見えたし、異性に耐性がなさそう、に思えたし。結果的には精神が二次元の世界に生きてる人だったが。
まずとにかく早く何か言わねば。こういう質問で答えが遅くなれば遅くなるほど人は不機嫌になる。えーと顔……普通すぎて。服装……しま○らですね。性格……嫁キャラうるさくてフォローのしようが無い。普段の様子……くそっアニメに精通してないから迂闊なことが言えない。あれ、俺何でこの人と一緒にいるんだろう? 一緒に居られるんだろう?
「一緒にいて、飽きない」
ポロっと出たのは、紛れもない本音だった。まあ、今まで会ったことないタイプではあったし。
「それは……要くんもなっちんにハマってくれたってこと!?」
千江美は超ポジティブだ。だがそれはない。
千江美の家まで抱き枕を抱えて送る途中、ガラの悪い二人組みにぶつかった。男は髪の毛キンキンで歩きタバコ。女もキンキンで刺さりそうな爪で不自由そうにスマホを弄っていた。どう見てもお前らの前方不注意だ。
「ああ!? んだテメー! ちゃんと前見て歩いてんのかゴラァ!」
見た目も悪けりゃ中身も悪い。こっちは荷物を落としているというのに。しかし関わりたくもないので適当に謝って去ろうとすると、女の方が因縁をつけてきた。
「ちょっとあっくん、見てよこいつキモーイ! キャラものの抱き枕なんて買ってる!」
見ると、落ちた拍子に中身が出ていた。あの店梱包手抜きかよと思うより、これ千江美がネタにするんじゃないかと真っ先に思った俺は末期だと思う。そして千江美は絶望した表情でスマホに何か打ってる。呟きあたりに「悲劇なう。嫁が白日のもとに」 だろうか……。フォロワーが増えるな。
「うっわキメエ。ちっわざわざ金のかかるやつとか……」
男は自分が被害者のような顔をして、抱き枕を一睨みすると、足で戸惑いなくそれを蹴った。女は大受けして笑った。「きゃーひっどーい! あっくん悪ぅー」
ふと、要は思い出した。小さい頃に母親が買ってくれた、ロボットアニメのプラモ。生まれて初めて買ってもらえた玩具、嬉しくて嬉しくて抱いて寝るほどで。翌朝父にも見せに行って持たせたりした。
父親は大人だから、「またこんな玩具業界の罠に引っかかって」 という顔をしたあと、ぞんざいにテーブルへ放り投げるように置いた。それを見た要は、一日泣いて幼稚園にも行かなかった。
自分が大事なものは人も大事にするだろう。それがただの独善的な考えだったと知った日だった。ずっとあとで、そんな事があったから、二次元を大事にする千江美に惹かれたのかとも思った。そしてそんなことがあったから、大事なものを傷つけないように自分が持つことにこだわった。
「謝れ」
二人組みはぎょっとした。一見ちょっとチャラそうだが大人しそうな要のドスの利いた声に。
「謝れ! お前が邪険にするものは、誰かが大事にしていたものかもしれないんだぞ! 謝れ!」
豹変した要に二人組は動揺した。「ヤベエなコイツ」 「やだ刺されちゃうかも。逃げよう!」 と言って去っていった。
二人が去ってハッとした。千江美に引かれたか?
しかし千江美は驚いた顔をしているだけで、要を褒めだした。
「咄嗟に実況ツイートする私より、要くんの方がずっとなっちんの悲劇に怒ってくれてるなんて……」
そっちなのか、と要はツッコむ。 まあ引かれていないだけマシだが。
「ありがとね。なっちん守ってくれて」
「いえそんな……。枕、汚れちゃいましたね。店に戻って交換……はもう無理か」
「そんなことしなくていいよ。要くんと買ったのはこのなっちんなんだから。汚れてても大事」
要と買った、のところに特別な意味を感じ取れるような気がするのはただの願望だろうか。結局要は汚れた抱き枕を抱え、千江美を家まで送った。
その日の呟きにはこう書かれていた。
『このなっちんは一生の宝物だよ』
――『発売日に買った嫁ですもんね!』
『それもあるけど、ソウルメイトな心友との絆の証でもあるんだよ!』
――『最近よく言ってるリア友ですか? チーちゃんさんのリア友ならそっちも面白そう、ツイアカ教えてください』
『アカ持ってないし、それでなくてもオタクじゃないからダメなんだよ!』
――『オタクじゃないのによくアニメショップ行くんですか??』
質問責めで困っている千江美を尻目に、要は薄っすら笑う。
このまま、このまま恋愛感情が無くても離れられない人になればいい。底なし沼のように。やはり俺に落とせない女はいない。
呟きが流れている最中、電話が鳴る。友人からだ。中断して電話に出る。
『もしもし要か? こんな時間に悪い。甥と姉が胃腸炎で倒れて、しばらく面倒見るようなんだ。明日なんだけど、俺駅まで行くから、明日期限のレポート代わりに出しといてくれよ。ほら一限の』
時間を選ばないだけあって、中々深刻な話だった。断る理由はない。
「分かった。ところでそれ移るやつ? お前も気をつけろよ?」
『移るやつだ。すまん。幼稚園で流行ってるらしくてな。綺麗にはしていくけどよ。は~しかし助かった。持つべきものは友だよな。彼女に移ったら嫌だって断られたらどうしようかと思ったよ』
「バーカ。俺は彼女も大事にするけど、リア友だって大事にするんだよ」
要がそんな人間だとは微塵も思ってない友人の言い草に対抗するように、要は軽口を言う。が。
『リア、友……? ああ、彼女がよく使う言葉か?』
……。
…………。
あれ? もしかして嵌ってるのって俺のほう?