結
ロザリーは少し後悔した。十階に下りたことではなく、中級魔法をもっと覚えておくべきだったことを。ロザリーが使える最強の攻撃魔法は「ファイヤーボール」だが、火の属性を持つ火炎蜥蜴には効果が無い。弱点の水の攻撃魔法は、初級の「アイスニードル」しか使えない。ロザリーは必死に頭を回転させた。
どんな動物も弱点は目だ。少なくとも、目がある動物も魔物も同じはずだ。目をつぶして視界を奪えば有利になるはずだ。ロザリーは目をねらった。
「アイスニードル!」
鋭い氷柱が、火炎蜥蜴の目をねらったが、外れた。顔を攻撃された火炎蜥蜴は怒り狂った。ロザリーは何度も繰り返したが、ことごとく外れた。
ロザリーは愕然とした。火炎蜥蜴は巨体に似合わず動きが速く、目どころか顔に当てるのさえ難しかった。
火炎蜥蜴は溜めを作るかのように、首を持ち上げた。攻撃がくる、そう察したロザリーは、防御魔法を使った。
「フォースシールド!」
ロザリーの予感どおりに、火炎蜥蜴は火炎を吐き出した。その迫力に、ロザリーは思わず横へ逃げた。それが正解だった。ロザリーの防御魔法は簡単に粉砕され、ロザリーがいた場所にはマグマができていた。
ロザリーは全身が震えた。初めて死ぬかもしれないという恐怖を体験した。魔物とはずいぶん戦ったが、帰還石という安全装置が常にあった。今はそれが無い。その恐怖に飲み込まれそうになったが……
「わ、わ、わた、私は、誇り高き名門貴族ローレック家の一員、ロザリー・ローレックだ!」
土壇場で強がりが出た。
ロザリーはまた頭をフル回転させた。炎の攻撃には、魔力が使われている。それなら……
「アブスオプション!」
ロザリーは敵から魔力を奪った。だがその感触に、再び愕然とした。敵の魔力は大きいうえに、回復が早かった。魔力を奪って攻撃不能にさせるというアイディアは、通用しなかった。
ロザリーは半ばやけくそで、中級魔法を使った。
「ホーリーランス!」
光の槍が当たったが、皮膚を貫くことはできなかった。敵は痛がったが、ほとんどダメージを受けなかったようだ。
ロザリーは再び頭をフル回転させた。覚えた中級魔法の三つは通用しない。最後の中級魔法を試すことにした。
「クレイバリア!」
ロザリーは自分の前に幅の広い土の壁を作り、敵の視界を妨げながら横へ移動した。ロザリーがいた位置の壁が灼熱で溶けたが、一撃では壁を貫通しなかった。一回だけなら防げるし、隠れることもできる。階段まで移動して逃げることもできたかもしれない。だがロザリーはそれを選ばなかった。禁じ手を選んだ。
「クレイバリア!」「クレイバリア!」「クレイバリア!」「クレイバリア!」「クレイバリア!」「クレイバリア!」……
何重もの土の壁を作って、時間を稼いだ。そして……
「アブスオプション!」「アブスオプション!」「アブスオプション!」「アブスオプション!」「アブスオプション!」「アブスオプション!」……
敵から魔力を奪って、自分の魔力を満タンにした。それから……
「アイスニードルアイスニードルアイスニードルアイスニードルアイスニードルアイスニードルアイスニードルアイスニードルアイスニードル……」
水の攻撃魔法の呪文を続けて唱え、全ての魔力を魔方陣に溜め込んだ。魔力が大きくなった魔方陣は、青い輝きを放った。
ロザリーの目の前の壁が溶け落ちた。敵はついにロザリーを見つけた。
だがこの瞬間を待っていたのは、敵だけではなかった。
「……アイスニードル!」
ロザリーは渾身の一撃を放った。
アンジェリカは、ズシンという音と衝撃を感じた。それは地下から響いてきた。
「今のは何? 魔法? ううん、お姉様に強力な魔法が……まさか!」
アンジェリカは再び不吉な予感に襲われた。杖を使って立ち上がり、なんとか階段を下りた。
十階に下りたアンジェリカは、信じられない光景を見た。凍りついた火炎蜥蜴が、巨大な氷柱で迷宮の壁に串刺しにされていた。
「火炎蜥蜴が! 一撃で? これ、本当にお姉様がやったの?」
アンジェリカは一瞬気をとられたが、我に返ってロザリーを探した。すぐに見つけることができた。アンジェリカはうつ伏せで倒れているロザリーの所へ行った。
「お姉様、しっかりして!」
アンジェリカはロザリーの頬を叩いてみたが、反応が無かった。意識を失っていた。顔に耳を近づけ呼吸音を聞き、手首をとって脈を調べた。
「大丈夫、息も脈もある。今すぐ治療をすれば助かる。でも……魔力が残っていれば、治癒魔法が使えたのに!」
アンジェリカは帰還石の腕輪を取り出した。
「これしかないか!」
ロザリーは目を開いた。光がまぶしかったが、すぐに慣れた。ピンボケだった風景も、すぐにピントが合った。
「アンジェリカ様、ロザリー様が!」
「お姉様!」
ロザリーの視界に二人の顔が飛び込んできた。アンジェリカと、ローレック家に仕えているメイドの少女の顔だった。
「ご主人様と奥様に報せてきます」
「そうして」
ロザリーは上半身を起こした。
「私の部屋だ。あれから何があったの?」
「二人で一緒に帰還石を使って脱出したの。成功したけど、負担をかけすぎて、帰還石を壊しちゃった」
「火炎蜥蜴は?」
「お姉様が倒したわ」
「アンジェリカ、傷は?」
「治癒魔法で完治したわ。お姉様は三日間も意識がなかったのよ」
「三日、じゃあ誕生日は……」
「……過ぎちゃった」
アンジェリカは申し訳なさそうに言った。
「お父様とお母様は?」
「マーゴットが呼びに行ったわ」
「ううん、そうじゃなくて、お父様とお母様はどこまで知ってるの?」
アンジェリカは、答えるのを少しためらった。
「全部知ってる。二人で同時に脱出したから、言い訳のしようが無かった」
「それでいいのよ」
アンジェリカは驚いた。
「ずるをするようでは、ローレック家の当主に相応しくないわ。ごめんなさい。あなたの希望をかなえてあげられなかった」
申し訳なさそうな表情のロザリーを見て、アンジェリカは動揺した。
アンジェリカは自分を恥じた。私は姉のことをわかっていなかった。姉は本当に家のことを考えていた。自分のことは二の次なんだ。それなのに私は、姉の心配をする振りをしていただけで、自分のことしか考えていなかった。本当に当主に相応しいのは姉だ。姉が家を継ぐ最後のチャンスを私が奪ってしまったんだ。そう自分を責めた。
ドアが開く音がして、両親とメイドの三人が部屋に入ってきた。
父親はロザリーの前に立つと、右手を大きく振り上げ、ロザリーの頬を叩いた。
「あなた、やめてください!」
「ロザリー様は怪我をなさっているんです!」
「お姉様は悪くない。叩くのなら私を叩いて!」
三人の言葉を無視して、父親は大声で怒鳴った。
「なんという愚かな真似をしたのだ! おまえは魔力が多いのだぞ。それを初級魔法で一度に放出するなど、自殺行為ではないか! 死んだら……」
父親の言葉が、一瞬途切れた。ロザリーは頬を押さえながら父親を見た。そして驚いた。一度も涙を見せたことがない父親が、大粒の涙をボロボロとこぼしていた。
「死んだら、取り返しがつかないのだぞ」
父親はそう言って、ロザリーを抱きしめた。周囲を気にせず、嗚咽した。その場にいた三人も、もらい泣きした。
しばらく抱擁した後、父親はロザリーを手放した。そのときはいつもの表情に戻っていた。
「愚かな真似をしたとはいえ、火炎蜥蜴を倒したことは、評価しよう」
「でも自力で十階に行った……」
父親はロザリーの発言をさえぎり、アンジェリカに向かって言った。
「三日前、おまえは乗馬の練習中に、落ちて怪我をしたのだったな」
「はあ?」
「落馬で怪我をした、そうだな!」
「は、はい」
父親の剣幕に、アンジェリカは答えてしまった。
「なら問題無い」
その場にいた四人の女性たちは、唖然とした。
「だが魔法は復習も大切だ。念のためにもう一回制覇しておけ。それができたら、流れてしまった十七歳の誕生パーティーをやろう。だから十八歳になる前に必ずしろ。いいな」
ロザリーは明るい表情で答えた。
「はい」
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