転
八階は雑魚だけだった。すばしっこい小悪魔三体に翻弄されながらも、一撃必殺の「ホーリーランス」でなんとか仕留めた。この階でロザリーは結構ダメージを受けた。自分に治癒魔法を使って、ダメージを回復した。
「数が少なくて助かった。多かったら負けていたかも」
そう口に出して、自分の言葉を聞いて疑問がわいた。一階から四階までも雑魚だけだった。しかしその数は、最低でも五体、多いときは八体もいた。それに比べると、六階から八階は少ない。
ロザリーはその疑問を捨てた。今考えて答えが出る疑問ではない。それより切羽詰った状況にいるのだ。ロザリーは気を引き締め直して、九階に下りた。
九階は丸いホールだった。今下りてきた上りの階段の反対側に、下りの階段がある。ホールを横断しないと下には行けない。だが魔物の姿は見えない。隠れているのは明らかだ。
ロザリーは杖で地面を叩きながら、慎重に進んだ。そしてホールの中央に進んだとき、罠が発動した。
ロザリーの首に、毛むくじゃらの腕が巻きついた。腕はそのまま上昇し、ロザリーを宙吊りにした。ロザリーは息がつまり、呪文を唱えることもできなかった。ロザリーは何もできず、もがくことしかできなかった。
ふいに首に巻きついていた腕が離れた。ロザリーは地面に落ちて、しりもちをついた。
「お姉様、上よ!」
アンジェリカの声が聞こえた。ロザリーが上を見ると、体に火がついた巨大な蜘蛛が、天井へ登っていた。蜘蛛が天井に張り付いたとき、火は消えていた。
ロザリーは声が聞こえた方向を見た。下りの階段の入り口に、アンジェリカがいた。アンジェリカが発動した「フレイムアロー」の魔法陣が消えかけていた。
「早く壁際へ移動して。相手は一匹じゃないわ!」
ロザリーは立ち上がって、移動しようとしたが遅かった。巨大な蜘蛛の腹からいくつもの小さな蜘蛛が現れた。小蜘蛛たちは天井を移動して、糸を作って、ロザリーの周囲に垂れ下がった。ロザリーは包囲された。
アンジェリカは「フレイムアロー」を連射して、小蜘蛛たちを焼き払った。ロザリーの脱出口を開こうとした。小蜘蛛たちは標的を変えた。ロザリーよりアンジェリカの方が危険だと判断し、体をスイングさせて、アンジェリカを糸で絡め捕ろうとした。
「ダークシールド!」
アンジェリカは防御魔法で、小蜘蛛たちを跳ね返した。小蜘蛛たちは作戦を修正した。体をスイングして再びアンジェリカに向かい、魔力で作った酸液をアンジェリカに掛けようとした。
「フォースシールド!」
アンジェリカは二重の防御魔法を使って、糸と酸の両方を防御した。しかしこれは、アンジェリカの魔力を著しく消耗させた。アンジェリカが制覇したときは、広範囲攻撃魔法を使って小蜘蛛たちを殲滅したが、ロザリーがいるため、その手は使えなかった。
ロザリーはアンジェリカを助けようとした。小蜘蛛をねらおうとしたが、動きが速く、ねらえなかった。ロザリーは親玉をねらうことにした。
「ファイヤーボール!」
巨大な蜘蛛に火がついたが、体毛の表面を焦がしただけで消えた。
「きゃああ!」
アンジェリカの悲鳴が聞こえた。魔力が尽きたアンジェリカは、糸でがんじがらめにされ、体のあちこちの服と皮膚を酸で灼かれていた。それでもアンジェリカは気丈だった。
「お姉様、上!」
ロザリーが上を見ると、大蜘蛛が口を開いていた。ロザリーに酸液を掛けようとしていた。
「そいつの弱点は口の中よ。そこなら初級魔法でも倒せるわ!」
ロザリーはアンジェリカの言葉を信じた。「ファイヤーボール」より呪文が短い「フレイムアロー」を使った。
火を飲み込んだ大蜘蛛は、頭が爆発した。胴体が天井から落ちた。小蜘蛛たちも動かなくなった。
ロザリーは仰向けに倒れたアンジェリカに駆け寄った。道具として持っていたナイフで糸を切り、杖の先にある魔法石を、アンジェリカの上にかざした。そして治癒魔法の呪文を唱えた。魔法陣がアンジェリカの上に現れた。荒かったアンジェリカの息が普通に戻った。
「ごめんなさい。私の魔法じゃ完治は無理みたい」
すまなそうなロザリーに、アンジェリカが答えた。
「もう大丈夫、苦しくなくなった。命に係わるような怪我じゃなくなったわ」
ロザリーは思い切って訊いた。
「なぜここに来たの?」
アンジェリカは答えなかった。
「四階の落とし穴と七階の迷路を作ったのは?」
アンジェリカはちょっとためらったが、答えた。
「私よ」
予想していたとはいえ、ロザリーはショックを受けた。わかっているとはいえ、訊かざるを得なかった。
「なぜ私を妨害したの? なのになぜ私を助けたの?」
アンジェリカはあきらめた様子で答えた。
「最初の質問だけど、妨害なんかしていないわ。時間稼ぎよ。お姉様にあまり早く降りてこられたら困るから」
「なぜ困るの?」
「露払いをしてたから」
「露払いって何のこと?」
「中ボスの体力を削って、雑魚を間引いておいたの」
ロザリーは訳がわからなくなった。
「二番目の質問だけど、なぜそんな質問をするの? 妹が姉を助けるのに理由が必要?」
ロザリーは言葉を失った。
「露払いでもしないと、お姉様、制覇できないじゃない」
ロザリーはアンジェリカの真意を図りかねた。
「自分が家を継ごうと思わないの?」
「思わない。私は家を出たいの」
ロザリーはアンジェリカの言葉が信じられなかった。
「小さいころからお姉様がうらやましかったわ。長女で魔力が多くて、周囲から跡取りと期待され、大人たちの注目を集めてた。次女の私は魔力が少なくて、誰も振り向いてくれなかった。そんな大人たちを見返してやりたくて、必死に魔法をがんばったわ」
「私に勝ちたかったの?」
「最初はね。でもすぐにそうじゃなくなった」
「私が弱いから?」
「ううん。私ががんばっても、周囲の大人たちはこう言うの。『さすがはローレック家の娘だ』って」
アンジェリカは笑おうとしたが、傷が痛くて笑えなかった。
「これっておかしくない? 確かに私はローレック家の娘よ。でも、それ以前にアンジェリカという人間よ。がんばっているのは私、なのに褒められるのは家、こんなの絶対間違っているわ」
「だから家を出たいの?」
「そうよ」
「お父様とお母様には言ったの?」
「言ったら怒られたわ。おまえはローレック家に産まれたことが、どれほど幸運なことかわかっていない。お姉様を見習って、家のことを考えろって」
苦しいのか、アンジェリカは一息おいてから、先を続けた。
「お父様の言っていることは正しい。それは私もわかっているの。それでも、私は自分に張られたラベルをはがしたいの」
ロザリーは首を横に振った。
「私には理解できない」
「でしょうね。私もお姉様がなぜ家にこだわるのか、理解できないんだもの」
アンジェリカの頬に熱い水滴が落ちた。ロザリーは泣いていた。
ロザリーは自分を責めていた。アンジェリカは自分を馬鹿になんかしていなかった。心配して真剣にアドバイスしてくれていた。自分がひがんでいたんだ。そんなアンジェリカを一瞬でも疑ったなんて、自分は卑しい人間だ。そう思った。
「お姉様、どうしたの? 大丈夫?」
ロザリーは答えず、逆に質問した。
「十階はどうなっているの?」
「最後の敵は火炎蜥蜴よ。水系の魔法が効果的だけど、攻撃力も体力も高いから、中級の魔法でも苦戦するわ。確実に倒したかったら、上級の魔法が必要よ」
「それ以外に敵は?」
「いないわ。火炎蜥蜴だけ」
その答えを聞いたロザリーは、左腕につけていた帰還石がはめられた腕輪を外し、アンジェリカの胸に置いた。
「あなたはそれを使って、脱出しなさい」
「なぜ帰還石を私に?」
「姉が妹を助けるのに理由が必要?」
そう言って、ロザリーは立ち上がった。まだ頬は濡れていたが、涙は止まっていた。ロザリーは下りる階段に向かった。
その姿を見たアンジェリカの脳裏に、不吉な予感が生まれた。
「お姉様、何を考えているの? さっき言ったでしょう。お姉様が勝てる相手じゃないわ。帰還石が無かったら死んじゃうわ。お姉様!」
アンジェリカの言葉はロザリーに届いていた。だがロザリーは決意を変えなかった。
知らなかったとはいえ、九階に来るまでアンジェリカの手を借りてしまった。今さら最後の敵を倒しても、自力で制覇したことにはならない。こんなことはムダだ。それでも、妹に怪我をさせて、自分だけ無傷で帰るなんてできない。
他人から見れば、こっけいな話だ。だがロザリーは真剣だった。
ロザリーは十階に下りた。そして全長十メートルくらいの最後の敵に向かって見得をきった。
「さあ来い! ローレック家の娘の意地と誇りを見せてやる!」
知能が低い火炎蜥蜴は、人間の言葉を理解できなかった。だが敵が現れたことは理解できた。




