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善悪と、僕と、彼女たち  作者: 砂鳥 えいち
1章 花壇荒らし
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第1話 始まりの夜

 如月涼香(きさらぎすずか)は校内でも知らぬ人間のいない秀才だった。学年代表として入学式では檀上にあがり、進学校でもある我が高校の定期考査では常にトップの成績を飾る。眉目秀麗、頭脳明晰という言葉を体現したかのような存在が、如月涼香というクラスメートだった。

 高校二年になり同じクラスになって、仲の良い友人たちには羨ましがられた。

 あの如月さんと同じクラスになれるなんて、お前って本当に運の良い奴だな、と。

 僕からしてみれば、ただ同じクラスになっただけで交際が始まるわけでもなく、高嶺の花である彼女との距離がほんの少しだけ縮まった程度にしか思っていなかった。もともと、僕は女子とのコミュニケーションが苦手なのだ。そんな自分が彼女と同じクラスになっただけでどうにかなれるとは思えないし、クラスメートになっただけで友人になれるかどうかさえ疑わしいところである。更に、顔立ちも整っており、成績優秀な女性なんてこちらが引いてしまって、付き合ったとしてもうまくいくとは思えない。

 高嶺の花は高嶺の花だからこそ、美しいのだ。

 そんなことを勝手ながら彼女に対して思っていた時だった。


 その日、僕はすっかり夜の帳が落ちた校舎の中をおそるおそる歩いていた。

 時刻は夜9時を過ぎている。

 ちょっとした用事と、明日までに提出しなくてはならない現国のレポートを机の中に忘れてしまうミスをしなければ、こんな不気味な校舎の中に入ることもなかったのに。

 夜の校舎の中に入るのは、何年ぶりだろうか。

 小学生の頃は部活に所属していたので、よくこういうことはあったが、中学、高校では帰宅部となった僕は、久しぶりの夜の校舎の不気味さに呑まれてしまい、すっかり恐怖でびくついてしまっていた。情けない話である。

 自分のクラスに着いて、ガラガラガラと静けさに包まれた校舎の中で、驚くほど響く引戸の音にさえびくつきながら、僕はようやく自分の机から目当ての現国のレポートを手に入れた。

 もうここには用がない。幽霊などという非科学的な存在を信じているわけではなかったが、誰もいない校舎の気色悪さに、僕は限界を感じつつあった。すぐさまここから退散しよう。

 そう考えて、僕は帰りの昇降口まで急ごうとした時だった。

 2階の自分の教室で、かすかな物音がしたのだ。いや、教室の中からではなく、外からだ。僕は不思議に思って、窓際の席に近づいた。地面を見下ろすと――暗い視界の中で蠢く人影があった。

 どうやら女生徒のようだ。

 あんなところでいったい何をしているのか。まず一番最初にそう思った。そこは大きな丸い花壇のど真ん中で全校生徒がクラスで一カ月交代で水やりをしている。情操教育の一環として教師たちと生徒が季節ごとに苗を植え、大切に植物を育てている場所なのだ。

 今ではコスモスがゆらゆらと風に漂うように揺れていて、その近くで弁当やら購買で買った食事を取る生徒も少なくない。生憎、僕にはそういう情緒を重んじる性格ではないので、いつも教室で友人たちと話しながら――というよりも駄弁りながら食事を取っていた。

 その大きな花壇のど真ん中。暗闇でよく見えないが鮮やかなコスモスが咲き誇る場所の中心に、彼女はいた。

 怪訝に思った僕が彼女の様子を気にしていると、彼女は突然、激しく動き出した。足をせわしなく動かし始めたのだ。

 まさか…花を荒らしているのか?

 僕はもしかしたら自分がとんでもない現場を目撃してしまったのではないかと気がついた。校内で大切に育てている花壇の花を踏み荒らす少女。これは俗に言う「花壇荒らし」というやつではないか。

 暗さに慣れた夜目(よめ)の中で、だんだんとその少女の輪郭がはっきりと視えてくる。

 セミロングの髪に制服姿。背はどちらかというと高めで、すらりとした痩身だった。モデル体型とでもいうべきか。

 どこかで、見たことがある生徒のような気がする。

 そう思った僕は、必死に花壇を荒らし続ける少女を凝視し続けた。ばれないように、カーテンに身を隠しながら。

 少女はコスモスを踏んで踏んで荒らし続けた。その行為は日ごろの鬱憤を晴らすかのような、荒々しいもので、非日常の狂気染みた少女の行為に呆然と魅入ってしまった。

 明日の朝はどんな朝礼になるのだろう。きっと、担任は荒らされた花壇について言及し犯人探しが始まるのではないだろうか。クラスだけで栽培されている花壇などではなく、その花壇の力の入れようは、情操教育の一環に加えてオープンキャンパスで訪れる中学生たちの目を引く為に力を入れていると聞いたこともある。校長も密かに手入れを行っているらしいし、何より全校生徒があの花壇に関わっているのだ。

 もしかして、自分は彼女を止めるべきだろうか。

 おい、きみ、何してるんだ、やめないか、と。

 勇敢な人間ならばそうしたかもしれない。しかし、僕はあんな狂ったような少女と関わるようなことは避けたかった。

 花壇のほとんどを荒らしつくした時だろうか。

 少女は肩で息をしているように見えた。それだけ必死だったのだろう。

 ちょうどその時、彼女が校舎側――僕のほうへ顔を向けた。

 どきり、としたと同時に、僕は驚愕する。

 その少女は――我が校の誇る秀才、如月涼香(きさらぎすずか)だったのだ。


 次の日は思った通りの展開となった。

 臨時の全校集会が開かれることになり、花壇が荒らされていたことが全校生徒に報告されることとなった。きっとこの事件は警察に届け出ることなく内々で処理されることになるだろう。犯人が外部の人間であればいいが、学内の生徒であるという可能性もあるのだから。

 そして、今回の事件の犯人は校内一の秀才と言われている生徒なのだ。もし、ばれるようなことがあれば如月もただでは済まないだろう。

 クラスに戻ってからまた改めて担任から簡単な事情説明があった。

 朝、3年の学年顧問が花壇を見に来てみたら、荒らされており怪しい人物は今のところ一人も目撃されていないということだった。不審者が忍びこんだ可能性があるため、出来得る限り下校時は友人と一緒に帰ること。夜遅くまで活動している部活動などはその顧問から改めて指示がある旨が伝えられた。

 僕はこっそりと如月の顔を盗み見た。僕の席よりも少し斜め前に座っている彼女の顔は、いつもと変わりなく、人形のように整った顔立ちを少しも乱すことがない。いきなり泣きだして「ごめんなさい、私がやりました」と自白するような感じではなかった。

 彼女の心の中は窺いしれないが、あの花壇に何か特別な感情があったのだろうか。優等生でいつづけることに鬱憤が溜まっていて、それをあの花壇にぶつけたのだろうか。

 どちらにしろ、僕にはどうでもいいことだった。

 今、この時点で犯人を知っているのは犯人自身である彼女と、僕だけということになる。もしかしたら、別の人間が彼女の凶行を見ている可能性もあったが、花壇はちょうど奥にあって、僕たちの教室である2-Fまたは1-Fの教室からではないと見えないようになっている。また、うちの高校は一昨年に変質者が近隣で出たということもあり、またPTAの申請もあった為か、午後7時以降は校内に残ってはいけないように指導されている。部活動も例外ではない。だから夜の9時なんて時間に学校にいる生徒は、僕のような例外がない限りいないはずなのだ。このまま彼女についての情報が出てくることは可能性としてはかなり低いのではないだろうか。

 もし、仮に。

 僕が彼女を脅して好きなことを要求する、などということも出来るのではないか。

 その考えをすぐに頭の中で打ち消す。

 やめよう。こういうのって、なんて言えばいいのかな。下賎げせんな考え、ってヤツだ。そこまで人間として堕ちるつもりはない。

 そこまで考えて、僕は失笑を抑えた。

 もう、十分、僕は人間として駄目なやつなんだろうに、何をいまさら考えているのか。

 その日は、終始、如月の様子を観察した。

 笑顔を絶やさず極めていつも通りな優秀な生活態度。クラスではいつでも何人もの友人が彼女の周囲に存在している。その中心は彼女であり、友人たちは僕から見れば彼女の取り巻きと言っていい存在に見える。授業中、教師に問いを指されれば的確な解答を答え、そういえば彼女が授業中に教師に問いかけられたことに対して、間違ったことがないことに気がつく。いつも予習をしているということなのだろう。まさに生徒の模範的存在ともいえる。

 僕はその日、教師たちに彼女のことを密告することなく、また、彼女に昨夜の出来事の一部始終を見ていたことも言うことなく、下校する為に昇降口へ向かった。

 下足箱が少しだけ空いていることに気がついた。

 少しだけおかしいな、と思う。たしかきちんと閉めたと思ったが。

 上履きを取り出そうとして下足箱を開け、僕はその少しだけ開いていた下足箱に納得する。そこには簡単に折られた紙が入っていたのだ。

 恐らく誰かがこれを置いていった為に、下足箱の蓋が少し空いていたのだろう。

 それにしてもいったい誰が…。

 それを手に取って見てみると、ノートの切れ端だということが分かった。

 まさか、人生初のラブレターというやつではないだろうか。

 僕は心がざわつくのを感じた。一体、そこにどんな言葉が書かれているのか期待に膨らむ。

 逸る気持ちを抑えて、折りたたまれた紙を開いてゆく。

 そこには――本日、下校時、屋上に来られたし。

 と書かれてあるだけだった。

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