彼女の嘘
いつになったら秋になるのでしょうか。
朝晩は涼しくなりましたけど、未だ昼間は暑いですね。
「ここオレが見つけたのに…何でお前がいるんだよ…」
僕は手すりにもたれながら、朝、コンビニで買ったパンをかじり、ぶつぶつ文句を言った。
毎日食べ飽きたパンだが、腹が減るとそれでもおいしく感じるから不思議なものだ。
綾は手すり近くのちょっとした段差に腰かけている。ちなみに僕のコートをひざ掛けに使っているせいで、寒空の中僕は上着なしで過ごさなきゃいけなかった。
走りっぱなしのせいで僕の体は少し汗ばんでいたから、空気の冷たさが少し心地よかった。まあそんなのは一瞬で、汗が引いたら尋常じゃない寒さに襲われるだろうけど。
「だって昼休みになると、修こそこそしてるから。どうしたんだろうなーって後をつけたら、屋上に行っちゃうだもん。こんないい場所を独り占めしてたなんてせこいよね」
屋上を出入りするようになってからしばらく経ったある日、僕はいつものように昼休みに屋上に向かった。
その頃には屋上で日向ぼっこするのが日課になっていた。何も考えず、ぼーっとすごす。少し退屈でもあるが、教室の緊縛した雰囲気の中で過ごすより全然ましだった。
屋上へ向かう階段を上り、扉に手をやると何か違和感を感じた。その違和感が何なのか分からなかったが、大して気にもとめず扉をぐっと押して開いた。ギギギと錆びた音が響き、陽の光が差し込む。
その瞬間、僕は違和感の正体を理解した。
綾がこちらを向いて立っていた。ニコニコと笑って、僕が来るのを知っていたかのように。
違和感の正体は扉がしっかり締まりきっていなかったことだった。元々古い校舎であるがために、ほかのところの修繕に手いっぱいで、ほとんど使われていない屋上の扉など錆だらけである。だから扉を閉めるときは最後までしっかり引かないと半開きになってしまうのだ。
「驚いた?私がいて」
勝ち誇ったかのように、綾は満足そうな顔をして言った。
「なんでいるんだよ…?」
他に言うことが見つからなくて、呆けた様に月並みな質問をした。
「私がいちゃいけない理由ある?」
綾は意地悪そうに口端をあげて笑う。
僕は面食らって何も言い返せなくなった。
「すごくここいいね。私、気にいちゃった」
綾は僕をからかうのに満足して、ふり返って屋上の端まで駆け走り、手すりに手をかけて身を乗り出した。
穏やかな風を一身に受け、気持ちよさそうに目を細めた。
髪が、制服の端が、風になびいて僕は少しドキドキした。
「私も毎日お昼、ここに来るからね」
「オレが嫌だって言っても関係ないだろ」
「たしかにそうかも」
綾はふふって笑い、僕たちが住む町を眺めた。僕も綾の隣に立ち、同じように眺めた。屋上からは僕の家も綾の家も見える。
ちっぽけな町だ。小さい頃漫画を買いに行ってた本屋も、小さい頃お使いを頼まれたスーパーも、床屋も、クリーニング屋も、僕達が暮らしてきた場所はこんなにも狭かった。
そして多くの人はこの狭い場所から出ることなく老いていく。
そんな風に感傷的な気分に浸っていると、いたたまれなくなる。こんなところで老いていくなんてゴメンだ。テレビとかで見る世界はもっと綺麗な町並みで、建っているビルなんかもこんな屋上よりずっと高い。
都会に憧れている人はいると思う。今までだって都会に勇んで旅立った人がいるはずだ。けど、なぜだか分からないけど、その半分はこのちっぽけな街に戻ってくる。数年で帰ってくる人もいれば、人生の多くを都会で過ごしてきて、残りの余生をこっちで過ごす人もいる。
何故だろう。
こんな街にも都会と同じくらいの魅力はあるのだろうか。もしくは僕が思っているほど、都会という所はいい場所じゃないのかもしれない。僕は自分でそれを確かめたかったし、たとえこの街の魅力に気づいても都会に勝るとは思えなかった。
自分が知らない世界を見てみたかった。この街からもっと遠くの世界を。
隣の綾を見る。綾は真っすぐな目で一点を見つめていた。
その表情は真剣だった。
何を綾が見ているのか僕には分からなかった。聞いてもよかったんだけど、なんだかはぐらかされそうな気がしたのでやめといた。
不意に綾がこちらを向いた。気づかれたのかとドキドキしたけど、そうではないようだった。先ほどの真剣な表情はなく、何か悪いことを企んだようなそんな表情だった。
案の定、綾は突拍子のないことを言い出した。
「ねえ、寒いから早くちょうだい」
綾は早く早くと僕を急かした。
「はいはい、コーラの冷たいやつだっけ?」
「違う!ミルクティの温かいのって言ったじゃん!」
僕の冗談に綾は声を荒らげた。まあ、確かに真冬に冷たい飲み物は罰ゲームにしかならない。
「分かってるよ、ほれ」
僕は綾に暖かいミルクティの缶を渡して、自分用に買ったコーヒーのプルタブを開けた。
「あー、あったかー」
綾は両手で缶を転がしながら、幸せそうに顔をほころばせた。
「てか、この勝負、勝目ないよな。」
僕はコーヒーをずずっとすすりながら、ため息をついた。
吐いた暖かい息は冷たい空気にさらされ、霧となりやがて所在をなくしたかのように消えていく。
あの日、綾が唐突に言いだしたのは屋上までの競争だった。
「勝った方が負けた方にジュース1本ね」
自信たっぷりにそう言った。まるで自分が初めから勝つに決まっているような感じに。
昔からそうなんだ。何かにつけて綾は勝負するのが好きで、相手役は決まって僕だった。子供の頃から変わっていない。
正直僕は断ってもよかった。そんな子供っぽいことやってられるかって。
ただ僕もそういった勝負事が好きだった。綾と同じように僕も十分子供だった。
「分かった。後からやっぱり賭けなしにしようとかはなしだからな」
ぼくは自信たっぷりに綾の勝負に受けてたった。
それからすぐに、この賭けをしたことを後悔した。
「賭けなしにしようかなしって言ったの自分でしょ?」
僕の愚痴を意に介そうともせず、綾はまだ手で大切そうにミルクティを転がしている。
「なんでそんな早く、授業終わっているんだよ?」
吐き捨てるように、更に愚痴った。
「それはうちのクラスが優秀だからじゃない?」
おどけた調子で綾は自慢そうに笑った。
「それにしたって毎日だぞ、毎日。流石におかしくね?」
勝負を始めて数日、僕は連戦連敗だった。しかも綾が走っている姿を見たことがない。
始めは自分の運の悪さを恨んだが、日が経つにつれ、明らかに不自然である事に気づいた。
「ああ、あそこのクラスいつも時間前に授業終わってるよ」
友達に何気なくそのことを聞いてみた所、そんな答えが返ってきた。
「え、毎日?」
信じられず、もう一度聞きなおす。
「うん、ほとんど毎日。なんか昼休み時間長くしたいからって、授業早く終わるように頼んだらしいぞ」
「まさか」
「まあ、普通だったらそんなの通んないけど、あそこのクラス成績いいし、教師からの評判もいいからな。公に早く終わることはないけど、5分くらい早く終わることだってあるし、絶対に授業の延長はしないらしいぞ」
綾が自信たっぷりに勝負をしかけた理由が分かった。初めから分かっててこんな勝負を言い始めたのだ。
僕はすぐに綾に勝負にならないことを言ったのだが、
「数分の差でしかないでしょ?私の教室の方が遠いし、イーブンだよ」
と聞く耳を持たなかった。
現在の所、勝率は2割程度。5回に1回勝てるかどうかって所なのだが、今月に入ってから1回も勝てたことがなかった。最近、授業が終わるのが遅くなっているせいである。
「やっぱりハンデでかすぎじゃね?これ。明らかにオレ不利だろ」
僕はコーヒーを啜りつつ、また愚痴った。愚痴というより勝負に対する抗議である。
「大丈夫、大丈夫。修も結構勝ってるじゃん。そんな大きいハンデじゃないって」
僕の抗議に取り合わず、綾は転がしていたミルクティのプルタブをようやく開けて、大切そうに口をつけた。はああ、と余韻に浸り幸せそうにため息をつく。
「でも、最近オレんとこ授業延長が多いしさ」
「はいはい、言い訳しない」
綾はやっぱり聞く耳を持たずに、ミルクティを啜り続けた。啜っては、はああとため息をつき続けている。
まるでわがままな子供をあやすような綾の態度に僕はちょっとムカついた。
ちょっと調子に乗ってないか、こいつ。
「ああ、もう一回見たいな。修のガッツポーズ」
ニヤニヤしながら、意地悪そうに笑って綾は言った。
ああ、完全に調子乗ってる。
静かに僕はキレた。
「綾…」
一呼吸おいてから真剣な顔をして、座っている綾を見つめた。
「なに、修…」
その真剣な雰囲気におされてか、綾は笑うのをやめて不安そうに僕を見あげた。
「お前、オレが来るまで降りられなかっただけだろ?」
そう言った瞬間、綾の体が僅かにビクッと震えたのを僕は見逃さなかった。
「何言ってんの?そんな訳ないでしょ」
綾は不機嫌そうにため息を付きつつも真剣な顔を崩さず、冷静に反論した。
ただ目線は僕から、少し下の方に移動して伏し目がちになったが。
そのせいで、声では怒っているはずなのに、少し怯えているような表情に見える。
まあ、要するに綾は隠し事とか嘘がすごく下手だ。すぐにボロが出るというか、初めから隠す気がないんじゃなかと思うくらいだ。
綾はバレないようにと頑なに冷静になろうとしていた。いきなり怒って罵詈雑言を吐かなくなったのは少しは成長した証だろう。
その様子に内心苦笑しつつ、さてこれからどう仕返ししようかと大人気ないことを考えながら、昔のことを思い出した。
雨の後の少し湿っぽい土の香りがした。
更新ペースが遅いですが、まだまだ書き続けます。