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 浴槽に浸かりながら、今日バス停で起こった出来事を思い出していた。白いフリル傘の女はガムの包み紙にサラサラとメモを書き残しながら、首をかしげて言った。

「あなたと会うのは初めてじゃないと思う。どこかで前に見かけたような気がするの」

 俺はすぐに否定したが、白いフリル傘の女は納得がいかないようだった。数秒考え込んだ後、女は丸い瞳をさらに大きくして「あっ」と小さく声を出した。

「思い出した。緑二高の二年C組、櫻井悠」

「え? なんで? なんで知ってんの?」

「うちの学校では有名よ。ほら」

 白いフリル傘の女がカバンから素早く携帯を取り出して指で画面を操作し始めた。そして、携帯を俺の方に近づけてきた。ちらっと見た瞬間、洋人の言葉を思い出した。あの日学校の屋上で、俺の情報をプロフィールの中に書き込んだって言ってたよな……。削除するように言ったのに結局無視か、あいつは。胃のあたりにキリキリとした痛みを感じたが、白いフリル傘の女と目が合った瞬間、そんな気持ちは一気に吹っ飛んでいった。脳からアドレナリンが大量放出されているせいか、心臓がドキドキして気分がこの上なく高揚している。この得体の知れない感情は一体何だろう。俺が俺自身じゃなくなっていくようで、なんだかそら恐ろしかった。


 浴室を出て、俺は脱衣所に脱ぎ捨ててあるジーンズのポケットを探った。手のひらにザラっとした感触が伝わる。探していたガムの包み紙はすぐに見つかった。だが、この紙を開くかどうかで俺は随分と悩んでいた。白いフリル傘の女なんて、最初から単なるまぼろしのようにも思えるのだ。もし開けてみて、それがただの紙だったら? 最初から白いフリル傘の女なんて存在しなかったら? 考えれば考えるほど、現実を知るのが怖い。だが、俺は心の奥底で中身を知りたいと渇望していた。一瞬目をつぶり、ぐっと指先に力を入れて中を開く。メモには丸っこい文字で、宮川 美衣という漢字に、みやかわ みいとふりがなが振ってあり、その下に携帯のメールアドレスが書かれていた。

「みやかわ みい……みやかわ みい……」

 俺は腰にベージュのバスタオルを巻いただけの姿で、包み紙を右手に握ったまま女の名前を数回呼んだ。

 その夜、久しぶりに夢を見た。地平線が見渡せる広い野原のような場所で、俺は苺を摘んでいた。楽しそうに鼻歌まで歌っている。手のひらいっぱいの苺を抱えて、俺は急に走りだした。目指した先は大きな木の下で、そこには誰かが幹にもたれかかって立っていた。真っ白いワンピースの裾が風に吹かれてゆらゆらと揺れている。目深に被ったつばの大きな麦わら帽子からは、肩より少し長い黒髪がのぞいていた。後姿からは誰なのかがまったく判断できない(そもそも俺にとって女はみんな同じに見える)。俺が甘い香りのする苺を腕に抱えて小走りで近づいて行くと、女はクルリと振り返ってこっちを見た。麦わら帽子のせいで顔がよく見えない。でも、俺の心はまるで海辺で見る夕焼けのようにキラキラと輝いていた。理由はわからないが、とにかく“嬉しい”という感情だけが強く残っていたのだ。翌朝、目がさめてからも俺の心は弾んだままだった。小さな子どもがずっと欲しがっていたおもちゃをやっと手に入れた時の嬉しさに似ているのかもしれない。何か足りなかったものがカチっと心にはまったような気がして、俺の心は幸福感で満たされていった。

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