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Minに登録して数日経った頃、「承認のお知らせ」というメールが届いた。どうやら管理人の鼓太郎とよばれる人物が、俺の入会を許可したらしい。実のところ、さっきまでは入会希望を出したことすら忘れていたが、ネットの世界に足跡を残すことで本格的に自分の知らない次元に足を踏み入れたような気がした。
「悠ちゃん、まだ支度できないの?」
母さんがドアをノックした。
「今着替えてる」
俺は手短に答えると、パソコンデスクを離れ、ベージュのチノパンとブルーのTシャツを素早く脱いでベッドの上に放り投げた。クローゼットの中にかかっている白いシャツに手をかけ、慣れた手つきでボタンを留める。グレーのズボンを履き、緑と白のチェックのネクタイを締めて、ドアを開けた。母さんは真っ赤なノースリーブのドレスを身にまとい、肩から白いストールを巻いている。そして、目の前でくるりと回って見せた。
「なんで俺だけ制服なわけ?」
「高校生なんだから制服が一番よ。それに進学校だってこともアピールできるでしょ。ほら、鏡を見て」
母さんは部屋に三歩ほど入り、姿見を俺の前まで持ってきた。
「ね? 似合うでしょ?」
「ま、いいけど。母さんの好きなようにすればいいよ」
鏡の中の母さんは満足げだった。
「寝ぐせも直すのよ。あと十分で約束の時間だから、遅れないで下に来て」
母さんはそう告げると、軽い足取りで階段を下りて行った。考えてみれば、俺は小さい頃から母さんの喜ぶことを意識的にするようにしてきた。逆らって困らせることはほとんどなかったように思う。世間一般では思春期になると、子どもは親に生意気な態度を取り始める。いわゆる“反抗期”というものだ。俺はこの反抗期を体験していない。反抗しようとする気持ちすら起こらなかった。それはきっと、母さんをこれ以上悲しませなくなかったからだと思う。黄色い帽子を被って幼稚園に通っていた頃、突然父親がいなくなった。母さんは平日フルタイムでピアノ講師とモデルスクールの講師を掛け持ちしていたせいか、比較的時間に融通の利く父親が幼稚園の迎えに来ることが多かった。だがその日、父親は現れなかった。日が暮れても、夜になっても姿を見せることはなかった。
「初めまして、西園寺です」
口にもしゃもしゃのヒゲを生やし、黒ぶちの眼鏡をかけた中肉中背の男が俺の目の前で右手を差し出した。反射的に自分も右手を出して軽く握ると、俺の冷たい手とは対照的に西園寺の手は少し汗ばんでじっとりしていた。
「こっちが長女の小夜子、そして次女の菜々子です」
ぱっちりした目元が特徴的な菜々子と呼ばれる少女は、物珍しそうに俺の顔を上目遣いに見て「うわっ、本当にイケメンじゃん」と姉の小夜子の耳元で囁いた。
「菜々子、やめなさい」
小夜子は妹をたしなめるように、鋭い声で制した。小夜子は菜々子とは対照的で、全体的にぼんやりとした顔つきをしている。色素がもともと薄いのだろう。茶色がかった髪の毛に栗色の瞳、薄い唇がピンクに色づいている。俺の方を見て少し微笑むと、「同じ2年生ですよね。よろしくおねがいします」と丁寧な言葉遣いで頭を下げた。