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 ぼうっと浮かび上がる人影がだんだんと近くなり、如実にその姿を照らし出す。だが、にわかに美衣だとは気がつかなかった。

「あの」

 後ろから声をかけると、美衣はゆっくりとした動作で振り返り、赤く腫らした瞳で俺をじっと見つめた。

「遅いよ」

 白いジーンズに紺色のセーラー衿シャツを着た美衣は、かすれた声でポツリと言った。

「もしかしてずっと待ってた、とか?」

 小さく頷く美衣がひどく気の毒に思えた。

「どうして電話しないんだよ。熱中症にでもなったら……」

「確かめたかったの、どうしても」

 美衣は俺の言葉を遮って力強く言った。

「とにかく入れよ。水飲んだ方がいい」

 美衣を玄関へ押し込むと、俺は後ろを振り返って鼓太郎に今は来るなと合図をした。二人がバス停の方に戻っていくのを見届けると、玄関の戸を静かに閉めた。

「誰かいたの?」

「友達」

「いいの? 返しちゃって」

 美衣はきまりの悪そうな表情で、玄関に突っ立ったまま「タイミング悪かったね」と言った。

「中で話そう」

「いいの。別に話すことなんてないから」

「けどここじゃ暑いだろ」

 俺は素早く靴を脱ぎ、水を取りに行こうとした。だがその足を止めるように、美衣が何かをポツリと呟いた。

「何? 聞こえなかった」

「鑑定書」

 美衣は俺の目をまっすぐに見てそう言うと、右手をすっと前に出した。

「見せて」

「そんなもの、もうないよ」

「ないって?」

「すぐに切り刻んで捨てた」

「嘘でしょ?」

「見たってしょうがないだろ」

「決めつけないでよ。私だって辛いんだから。あんな話聞かされて、一体どうしろっていうの? この気持ちをどう抑えつけろっていうのよ」

 美衣はその場にしゃがんで泣き出してしまった。

「ごめん。悪かった。俺が病院であんなこと言ったから」

「謝らないでよ。あなたが悪いなんて私一言も言ってない」

「最初からDNA鑑定なんて、あんなものしなければよかったんだ」

「もう、わからない。私わからないよ。これからどうしたいいのか」

 俺は美衣の震える肩を抱きふんわり体を包み込んだ。すると急に体を硬直させ、「お兄ちゃんなんでしょ? もう恋人みたいに優しくするのはやめて」と冷たい声を放った。そして玄関を飛び出して走り去って行った。


 その夜は一睡もできなかった。一晩中現実と仮想の境目がなくなるくらいに考えて考えて考え尽くした。どうしたら美衣の心の傷が癒えるのか。そればかりを考えていた。だが答えは見つからなかった。

 翌朝、鼓太郎からの電話が俺の意識を現実へ引き戻した。

「おっはよ」

 やたらと明るい声が聞こえてきた途端、張りつめていた緊張の糸がぷっつり切れていくのを感じた。

「昨日ね、大ちゃんとうちでケーキを食べたの。おいしかったわよぉ」

「うん」

「フルーツがいっぱいでね。さすが並んでも買えない有名店って感じ」

「そう」

「悠の分もちゃんと残しておいたわよ」

「うん」

「とにかくね、言葉では表現できない。味もセンスも最高なの。大ちゃんならいいパティシエになれるって褒めておいたわ」

「うん」

「ねぇ大丈夫?」

 ぼうっとする頭では気の利いた台詞なんて浮かばない。ただ相槌を打つのが精いっぱいだった。

「今からちょっと付き合ってほしい所があるんだけど」

「どこ?」

「この前のカフェ前に1時間後。時間厳守でね」

「1時間後?!」

「日帰りの予定だけど、一応歯ブラシとか持ってきて」

「で、行き先は?」

「未定」

「未定って……」

「いいじゃないの。固く考えないで。どうせ今日は予定ないんでしょ?」

「あのさ、暇人扱いしないで欲しいんだけど」

「とにかく待ってるから。1時間後ね」

 母さんの退院が夏風邪で10日間ほど延びたのは幸いだったのかもしれない。行き先も目的も何も知らないまま、子どもの頃に抱いたワクワク感を胸に秘め、俺は少し大きめのカバンに歯ブラシやら着替えやらを詰め始めた。

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