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 恐れていたその日は何の予告もなくやってきた。

「坊ちゃんよ、ちょっとちょっと」

 自宅から持ってきた替えのバスタオルを紙袋から出していると、同じ病室の天川の婆さんに話しかけられた。80代と思しきこの婆さんは元からくしゃくしゃの顔をさらにくしゃくしゃにして手招きをしていた。

「あんたすごいねぇ。あんなべっぴんさんと男女交際してるのかい? ドラマに出てる女優さんにそっくりじゃないかい。坊ちゃん、あんた女に興味ないって顔して実はやるねぇ」

 自称・昔はモテモテだったという婆さんは、興奮気味にドアの方を指さした。その方向に目線を移すと、制服姿の美衣が大きな花束と果物の入った籠を両手に抱え、病室の出入口から顔を覗かせていた。あまりの驚きに手に持っていたタオルを床に落としそうになったが、冷静を装って母さんの方を見ると、すでに気がついたようで「どなた?」と不思議そうな顔を浮かべていた。

 美衣は素早くベッドの横に移動すると、母さんに深くお辞儀をした。

「あら、悠ちゃんの彼女?」

「い、いや、違うよ」

 耳の中でどんどん速くなる鼓動の旋律が自分の声さえもかき消してしまいそうだった。

「わざわざお見舞いに来てくれるなんて嬉しいわ。ここに座って」

 母さんはベッド横にある小さな丸イスを指さした。美衣は「ありがとうございます」と言い、再び母さんに軽く頭を下げた。

「そうだ、そろそろドラマが始まる時間だろ。テレビでもつけようか」

 俺は話を遮るように、テレビのリモコンを手に取った。

「今日は見ないわ。こんな可愛い子が来てくれたんだもの。ねぇ、お名前はなんていうの?」

「宮……」

「おい、やめろよ」

「どうして? 隠すことないわ」

 美衣は俺に怒りの表情を向けた。

「この子、昔から秘密主義なの。ごめんなさいね。照れてるだけで悪気はないのよ」

 俺は美衣の腕を力いっぱい掴み、引きずるようにして病室の外へ連れ出そうとした。だが、反射的に美衣は病室中に聞こえるような声で叫んだ。

「私、真剣に付き合っています。櫻井君のことが好きなんです。本気なんです」

「そんな泣きそうな顔しなくてもいいのよ。私は賛成だから。あなたすごくいい子そうだもの」

 母さんは笑みを浮かべ、満足そうに美衣を見つめた。

「実は私ね、昔から娘が欲しかったの。一緒にお買い物をしたり、お料理をしたり。そういうことがしたかったの。だから今すごく嬉しいわ。またいつでも来ていいのよ。悠ちゃんがいない時でもいつでもね」

 俺は美衣の腕を強く掴み、もう一度力いっぱいドアの方へ引っ張った。

 病室のドアを閉めた途端、美衣は「嘘つき」と低い声で言い放った。

「どうして言ってくれなかったの?」

 じりじりと詰め寄る美衣の顔には怒りの感情が溢れていた。

「ねぇ、どうして隠したりしたの?」

 美衣は全てを知った上で母さんに自己紹介をしようとしたのか? だったら目的は何なんだ? 事態が把握できず混乱する頭の中で、俺が俺自身に向かってつぶやく。「もうこれ以上言い逃れはできないよ」と。

「私すごくショックだったんだから」

「悪かった。黙ってたことは謝るよ」

「ちゃんと本当の事を言って。私の目を見て正直に」

「わかった。言うよ。今から言うから」

「絶対に誤魔化したりしないで」

「俺たちは……腹違いの、つまり血の繋がった……」

 自分の声が今にも消えてしまいそうに小さくなっていく。

「聞こえないよ」

「……兄妹なんだ」

 美衣はしばらくまばたきもせずに俺の顔をじっと見ていたが、数秒の空白の後にゆっくりと確認をするように「何の話?」と言った。

「今日ここに来たのは、青木さんの言葉を確かめるためだったのよ?」

「あかねの言葉?」

「悠と付き合っているのは私だから邪魔しないでって。さっき下校途中に声を掛けられたの」

「あいつが? そんなことを?」

「疑うの?」

「いや、そうじゃないけど」

「私だって信じたくなかった。けど最近連絡つかない日が多かったし、この前だって急に怒ったりして様子がおかしかったから。本当に青木さんと付き合っていたらどうしようって思って……」

「それで母さんの前であんなことを?」

「遊びだからお母さんにも紹介しないんだって言われてついカッときちゃったの」

「あかねの奴……」

 裏切られたような気持ちでいっぱいになり、何とも言えない悔しさを感じた。

「だけど」

 少しの沈黙の後、美衣は強い口調で切り出した。

「さっきの話は信じないから。私と別れたいから嘘をついているんでしょ?」

 俺は何も言えなかった。

「嘘だって言ってよ」

 美衣の大きな瞳から涙が一粒流れた。

「こんなの絶対嘘に決まってるんだから」

「嘘だったらどんなに良か……」

「もういい。もうやめて!」

 両耳を両手で塞いだ美衣はその場に座り込んだ。それから何を話しかけても反応を示すことはなかった。

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