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後ろから大山が何かをごちゃごちゃ言いながら追いかけて来る。本当に面倒な女だ。俺の態度が気に食わないのか、声を荒げながら早足で近づいてきた。俺は歩くスピードを変えずそのまま玄関へ向かい、外靴に履きかえた。その時、突然ゴーッという音がして地面がゆらゆらと大きく揺れるのを感じた。地震なら震度4ぐらいだろうか。背後で「キャッ」という小さな悲鳴が聞こえた。振り向くと、俺のすぐ後ろには顔面蒼白で頭を抱えてうずくまっている大山がいた。グレーのタイトスカートから伸びる細長い脚はガタガタと震え、肩まである黒い髪の毛は手で押さえられているせいかグシャグシャになっていた。
揺れはおさまらない。大きな横揺れで下駄箱に収まっていた靴がいくつか頭上に落ちてきた。俺は咄嗟に後ろへ数歩下がり、頭と体をすっぽり包むようにして大山に覆いかぶさった。揺れは数秒後に完全に収まった。だが大山はまだ半泣き状態で、体を小刻みに震わせている。数メートル先で生徒たちがざわざわと騒いでいる声が聞こえてきて、俺はハッと我に返った。すぐに大山から体を離して立ち上がると、自分の靴を手に持って玄関へ出た。
「悠ちゃん、珍しいわね。あなたが携帯をいじってるなんて」
母の朱莉がキッチンで料理をしながら、俺の方をチラチラ見て声をかけてきた。
「こうやって見てると、悠ちゃんもイマドキの高校生よね」
ウキウキしたような声で「今日はハンバーグにしたわよ。おいしそうでしょ」と言い、ダイニングテーブルに平皿を置いた。テーブルの上には、防水加工がされたオレンジ色のランチョンマットが二枚敷いてあり、それぞれのマットの上にハンバーグの乗ったお皿とご飯茶碗、そして味噌汁の入ったお椀が置かれていた。テーブルの真ん中には、ガラスのボウルに入った生野菜のサラダも乗っている。俺は母さんと向かい合って座り、静かに箸を取った。
「大根おろしとポン酢って合うのよ。今日は和風おろしハンバーグにしてみたの。大葉を乗せると彩りもいいでしょ。どう? おいしい?」
「おいしいよ」
俺は小さく笑った。
「学校はどうなの? 楽しい? 悩みがあったらいつでも言うのよ」
「心配してんの?」
「忙しくてなかなか家にいられないことが多いでしょ。私は悪い母親ね」
「そんなことないって」
「悠ちゃん、あかねちゃんとか洋人くん以外に仲の良い子はいないの? 彼女ができたらお母さんにも紹介してちょうだいね」
「あぁ」
「今週の土曜、空けておいてくれる?」
「なんで? どっか行きたいの?」
「悠ちゃんに紹介したい人がいるの」
「もしかして彼氏?」
「まぁね。うちで一緒に夕食をしようってことになったのよ」
「わかった。空けとくよ」
「もし悠ちゃんが気にいらなかったら、別に諦めてもいいって思ってるの」
母さんは申し訳なさそうな顔を浮かべ、箸を置いて俯いた。
「どうやって知り合ったの」
「MinっていうSNSサイトで。最初はネットから仲良くなって、付き合うようになったのよ」
俺はもやもやした気持ちのまま、自室に戻ってパソコンのスイッチを入れた。これまでは必要な時以外はインターネットに接続するという行為自体を避けてきた。だが、今は母のことが気にかかって仕方ない。検索窓に「Min」と入力してみると、会員登録の画面が出てきた。母の相手のことを調べるには自分も会員にならなければならないらしい。
母のページには、相手の男の顔写真が出ている。高校生と中学生の子どもがいるらしい。離婚歴は一回。ネット上によく個人情報を載せるなと半ば呆れながらも、男の素性がわかって少しホッとした。Minにはグループというものもあるらしい。母のページには、「簡単料理の会」や「洋画大好きな人集まれ」と書かれたいくつかのグループ名が載っている。相手の男の方のページにも「洋画大好きな人集まれ」というグループが載っている。もしかすると、このグループを通じて二人は知り合ったのかもしれない。サイトをぐるぐる回っているうちに「男子スイーツ倶楽部」という文字が目に飛び込んできた。男子限定でお菓子好きが集まるグループらしい。発足は約1ヵ月前。会員数はゼロ。Minで母とその男を見張るには自分も多少はアクティブな会員になっておく必要がある……ふとそんな思いが頭に浮かび、俺は「入会する」と書かれたボタンを押した。