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「やるじゃん、さすがだな」
6時間目の終業チャイムと同時に、洋人がニヤニヤした顔つきで耳打ちをしてきた。
「何だよ」
「待ってるぞ、愛しの彼女が」
洋人が窓の外を指さした。その方向に目をやると、聖マヌエル女子高の制服を着た小柄な少女が校門の所に立っていた。急に心臓の鼓動が耳の奥で大きな音を立て始める。
「美衣ちゃんじゃないのか?」
「違うって」
「絶対そうだよ。早く行ってやれよ」
「今はなんていうか、会いたくないんだよな」
「喧嘩?」
「違うよ」
「しょうがないなぁ、伝言してきてやるよ」
「お前に頼むとロクなことないからいい」
「ひでぇ。ま、元ストーカーの俺じゃ逃げられそうだな」
「あいつとは別れようと思ってて」
「え? なんで?」
「事情が事情で」
「意味不明なんですけど」
「だから、あいつがもしかしたら妹かもしれないって」
洋人は口をぽかんと開けたまま、言葉もなく俺の目を真っ直ぐに見つめた。
「冗談だろ?」
「まだDNA鑑定の結果は来てない。けど、多分そうだと思う。初めて会った時からこう何ていうか、懐かしい感じがしたし」
「でも美衣ちゃんは知らないんだよな? 急に避けるのは可哀想じゃんか」
「わかってる。わかってるんだよ」
「いきなり音信不通は酷だと思うよ。とりあえず行ってやれよ」
洋人に背中を押され、俺は気乗りのしないまま校門へ向かって歩いて行った。玄関から校門までの距離は五十メートルくらいだが、この時ばかりは妙に短く感じた。もっと時間稼ぎをして色々と言い訳を考えたかったのに、あっという間に美衣との距離が数十メートルしかなくなった。ふいに後ろを向いた美衣は俺の姿をとらえ、嬉しそうに手を大きく振った。
「ごめんね。カテキョのことずっと謝りたかったの」
「いや、気にしてないから」
「私って昔からドジだから、いつの間にか櫻井君とデートしてるのがバレちゃったみたい。やっぱり怒ってたんでしょ? 電話も取ってくれないんだもん」
「いや、全然」
「嘘。だって無視するようなタイプじゃないでしょ。メールだって一通も返信くれなかったし」
「そうだっけ」
俺はわざととぼけたふりをした。
「すごく心配だった」
美衣はちょっとむくれたような顔をしたが、すぐにまたいつもの笑顔に戻った。
「悠!」
急に背後から名前を呼ばれたので振り向くと、俺のすぐ後ろにあかねが立っていた。
「あなた、うちの学校に何の用?」
俺が何か言う前に、美衣が「櫻井君にちょっと」と返事をした。
「ちょっとって何?」
あかねは腕組みをして上から下まで品定めをするように美衣を睨みつけた。
「あなたに関係ありません」
美衣は丁寧ながらも気の強さがにじみ出るような言い方であかねを睨み返した。
「他の学校の子が来ると困るんです。一応、そこって敷地内だし」
あかねは美衣の靴を指さした。数センチだけ校門よりも学校側に足が入っている。
「入っちゃいけないんですか?」
「書いてあるでしょ、そこに。関係者以外立ち入り禁止って」
「すぐに帰りますから。櫻井君、行こう」
美衣は俺の右腕をつかみ、校門の外へ引っ張ろうとした。
「ダメだって。まだホームルームが終わってないんだから」
あかねも負けじと俺の左腕を引っ張った。
「やめろよ、二人とも」
「どっちかに決めて」
あかねがそう言うと、美衣も「櫻井君は私と行くでしょ」と被せるように言った。引っ張り合いが何往復か続いたが、俺は二人の腕を振り切って、そのまま校舎へ戻って行った。校門の外へ出ると美衣がついてきそうだし、教室へ戻るとあかねがついてきそうだった。だから、とりあえず誰もいなさそうな保健室へ向かい、仮病を装って少しベッドで横になることにした。




